作家・井上荒野さんが、父・光晴さんと恋愛関係にあった瀬戸内寂聴さん、そして二人の関係を承知しながら妻であり続けた母をモデルに綴った小説『あちらにいる鬼』が映画化された。寂聴さんの化身といえる主人公・みはるを演じたのは寺島しのぶさん。仏門に入るためのシーンで自身の髪を剃るなど入魂の演技に息をのむ。以前から縁あるお二人が、作品について愛について、赤裸々に語り合った。

*  *  *

井上:最初にお会いしたのは渋谷・宮益坂にあった今はなきバー「デロリ」ですよね。小説家仲間と飲んでいたら「寺島しのぶさんがいるよ」ってみんながざわっとした。

寺島:ちゃんとお話しさせていただいたのはその後にテレビ局で偶然、お見かけしたとき。私は荒野さんの『だれかの木琴』が大好きで直に伝えたくて、楽屋に押しかけた。

井上:それが縁で寺島さんが文庫版の『だれかの木琴』の解説を引き受けてくださって。

――物語の舞台は1960年代。小説家のみはるは妻子ある作家・白木篤郎(豊川悦司)と出会い、恋に落ちる。篤郎の妻・笙子(広末涼子)は二人の関係を知りつつも家を守り、二人の子を育てる。みはるは寂聴さん、篤郎は井上光晴さん、そして笙子は荒野さんの母がモデルだ。

寺島:みはる役が決まったとき、荒野さんと寂聴さんにお手紙を書いたんです。なんとなく背中を押していただきたくて、少し疑問を持った部分などを書いたら、荒野さんからお返事をいただけたんです。撮影終了まで、お守り代わりに台本に挟んでいました。寂聴さんはもうあまりお加減がよくなかったようで、お返事はいただけなかったんですが。秘書の方に伺ったら読んでくださってはいました。

井上:やっぱり寂聴さんに観ていただきたかったですね。私も自分の原作ではあるけれど、映画には別の道筋ですごく「ぐっ」ときましたから。

――小説の執筆は2016年から18年にかけて。きっかけは寂聴さんとの出会いだった。

井上:最初に編集者からテーマを提案されたときはいやだって言ったんです。「だってまだ寂聴さん生きているし」って。でもその後、小説とは無関係に寂聴さんにお目にかかったら寂聴さんがずっと父のことをお話しになるんです。「光晴さんがこう言った」とか「ここのお豆腐屋さん、光晴さんが好きでね」とか。それに「ぐっ」ときちゃった。すごく父のこと、好きだったんだな、父とのことをなかったことにしたくないんだな、と。そのときに「もう私が書くしかない」と思いました。といっても小説はフィクションです。実在の3人をモチーフに、私なりの物語を構築したということですね。 

寺島:みはる役は50歳にして髪も剃らなきゃならないし、絡みのシーンもある。そういう芝居は久しぶりだったんです。だから撮影がコロナ禍で何度も延期になるたびに、オリンピック選手じゃないですけど毎回、自分の体を奮い立たせて準備をしていました。

井上:寺島さんはもちろんですが、笙子役の広末涼子さんも素晴らしかったですね。

■「切に生きる」を全うしようと

寺島:あとから聞いたんですけど、広末さん、撮っているとき体調が悪くなっちゃったんですって。眠れなくなったりして、でも本人は理由がわからなかった。そしたら広末さんのお母さんが台本を読まれて「あなた、こんなお話をやっているから具合悪くなるのよ」と言われた、とおっしゃっていました。

井上:あっはは。

寺島:私と廣木さん(隆一監督)は爆笑しながら「やっぱり奥さんだったら、この状況つらいよね、演技でも」って話していました。みはるはワッとぶつかっていく演技だったけれど、広末さんの笙子は全てをわかりつつも、見て見ぬふりなのか、という微妙なお芝居でしたからね。

井上:私、撮影を見学しに伺ったんです。篤郎が笙子と団地の入り口で会って「鰻食べに行こうか」というシーン。二人とも父と母とはまったく違うのに、すごく懐かしくて思い出すものがありました。豊川さん、父の1.5倍ぐらい身長があるんですけど(笑)。





――みはると篤郎の関係は有り体に言えば「不倫」だ。題材ゆえの難しさはあったのだろうか。

寺島:みはるは映画の初めから終わりまで「生ききる」人。寂聴さんも著作でおっしゃっていますけど「切に生きる」。その気持ちを全うしようとなさったんです。豊川さんはこの題材を演じるのに「篤郎をチャーミングに見せないといけない」と、すごく考えていらしたと思う。

井上:私はほかの作品でもよく「こんな男の人いないよ」とか「男がこんなこと(浮気)をしているのに我慢する女なんていないよ」って言われるんです。でも私にとっては「いや、でもいたしね、実際」と。

寺島:そばで見ていたしね、と。

井上:だからこそ不倫に、言い訳や理由を作ったりせずに、ただ「こういう人たちがいた」ということを書きたいと思ったんです。書きながら私自身が「愛とはなにか、正しい愛とは? いやそんなものあるのか?」などを考えさせられました。

寺島:篤郎とみはるの関係は出家してから本当に深まった気がします。いろいろなものを捨ててからのほうが逆に人間として執着があったというか。

井上 寂聴さんのお話を聞いても、出家で大きく何かが変わったという感じではないんですよね。世の中を捨てるための出家ではなくて、やっぱり生きていくための出家だったんじゃないかなと私は思っています。

■「ああ、もうそれ更年期ですよ」

――みはるの出家の理由のひとつに50歳を迎えた「女性の体や心の変化」が描かれることもハッとさせられる。

井上:更年期、というのは寂聴さんがポロッておっしゃったんですよね。私が「なぜ出家したんですか」と一生懸命に聞いてもずっとはぐらかしていらしたのですが、ふと「でも更年期とかもあったかもね」って。

寺島:寂聴さんは51歳で得度されているんですよね。私、今年50歳になるんですよ。体の変化も実際にあって、訳もなく気分がモヤモヤしたり、ぐったり寝込んでいたりする時期もあった。みはるが不正出血で病院に行くと医師に「ああ、もうそれ更年期ですよ」みたいにいなされてどんよりするというシーンがあって、その感覚もすごくよくわかる。もう少し若かったら演じる感覚も違ったかもしれない。

井上:小説もその年齢でしか書けないものがある。私ももっと若いときにこれを書いたら、もっと倫理とか道徳に縛られていたかもしれません。

寺島:私、剃髪シーンの後、性格が変わった気がしたんです。男でも女でもない自分になったというか、さっぱりして元気になれた。カツラにしなくてよかった!と切に思いました。

井上:やっぱり剃髪って何かあるんでしょうね。何かが「落ちる」感じが。

寺島:いまもしんどいときがありますが、小説や仕事に没頭すると忘れられます。

井上:私はね、更年期、何ともなかったんですよ。

寺島:ええ〜〜!

井上:うちの家族全員そうなんです。ただそれまでには書けずに苦しんだ時期がありました。

――井上さんは1989年にデビューした後、7年ほど書けない時期を過ごした。

井上:あのときは本当に駄目でしたね。仕事もなくて、映画も本もほとんど見る気になれなくて。

寺島:何歳くらいのときですか?

井上:30歳ぐらいから、37歳ぐらいまで。父みたいに書かなくちゃ、って何かに縛られていたんでしょうね。自分の方法論がまだできてなかった。がんにもなって、まずい恋愛もしてグニャグニャだったんです。

寺島:その状態から脱出したきっかけは?

井上:それはね、夫と会ったことです。自分が安定できる基盤ができたのかな。ちょうど書き下ろしの依頼もきて、いろんなことがうまく重なり始めたんです。

――人と人が出会うことの不思議。本作からも「人の縁を感じてほしい」と二人は話す。

寺島:この映画で私は、人の縁とはいかに尊くて、愛おしいものなのか、ということを考えました。奇麗に言いすぎてしまっているかもしれないけれど、人を傷つけるにしても愛し合うにしても、憎しみ合ったり喧嘩したりも全て含めて、人の縁って大切にしなきゃいけないなって思いました。

■「鬼」はいろいろな意味でつけた

井上:人間は正しいことだけなんてできるわけがない。でもいまはみんなが過剰な「正しさ」だけを求める世界になっていますよね。「サレ妻」とかいやな言葉もあって。でも家族ってひとつひとつ、すごく特殊なもの。一律に「不倫されている妻は気の毒だ」なんて言えないのに。

寺島:うちの父もけっこう破天荒だったんですよね。いろいろな女の人が部屋に来たり、京都で遊んで騒いで「クリスマスツリー持ってきちゃった!」って帰ってきたりしました。それでも「なんか、いいじゃん?」って思っちゃったんです。破天荒で女性にモテる父、かっこいいじゃん?って。私の感覚も普通じゃないかもしれない。

井上:みんなそれぞれ、いろいろありますよね。「鬼」も私はいろいろな意味でつけたんです。言葉から受ける恐ろしいものではなく、篤郎を鬼とするならば「鬼はいま、あっち(の家)にいる。私のところにはいない」という鬼ごっこのようなイメージもある。

寺島:荒野さんが書かれる話はどれもさらっと怖いんですよね。『だれかの木琴』も『その話は今日はやめておきましょう』も。恐ろしさや狂気の部分はDNAですか?

井上:どちらかというと父より母のDNAかも。

寺島:映画で篤郎が笙子さんのことを「この人に小説を書かせたらもっとすごいの、書きますよ」と言いますけど、実際にお父様とお母様はそうだったんですか?

井上:そう。本当に母が書いて父の名前で出した短編小説が三つ四つあるんです。私が小説を書き始めてから「実は私も書いていたのよ」と聞かされてすごくびっくりしました。しかも父の短編の中で、私が特に好きな作品だった。私の世の中の捉え方には母のDNAがあると思います。もちろん父の影響も大きい。うちは子どものころから「ちょっといい話」みたいなのを全く拒否する家だったのね。

寺島:ええ?

井上:例えば学校で「今日こういうことがあった」とちょっといい話を話すと父は「それ、どこがおもしろいの?」とか「そいつ絶対、嘘ついているぞ」とか言うんです。そうすると「そう言われればそうかも」とか「そしたらこれ、全然、真逆の話になるんじゃない?」とか考える癖がついちゃった。そういう性格の悪さ、みたいなところで自分は小説を作っているんじゃないかなと思います。

寺島:すごく腑に落ちました! でもうちの夫もですが、フランス人はみんなそうですよ。物事を一つじゃなくいろいろな角度から見ることが大事だと言っています。子どもにもそういう教育をしています。私、もともと物事を斜めに見るタイプだったんですけど、主人に出会ってからもっといやな感じになってきた気がします。

井上:あはは。

(構成/フリーランス記者・中村千晶)

※週刊朝日  2022年11月18日号