企業の人手不足感が強まっている。日本銀行の12月短観(全国企業短期経済観測調査)によると、人手不足を示す「雇用人員判断指数(全規模全産業)」はマイナス31で、すでにコロナ前の水準に達している。来年度の新規採用も大幅に増える見込みだ。一方、東京都庁下で行われている生活困窮者への食料品配布には毎回500人以上が集まる状態が1年前から続いている。秋以降、経済活動は本格的な回復基調に入り、雇用指標にも改善が見られるのに、なぜ食料品を求める人は減らないのか。NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの理事長、大西連さんに聞いた。
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14年前の「年越し派遣村」を覚えているだろうか。
2008年暮れ、リーマン・ショックによる派遣切りや雇い止めにあった人たちを支援するために東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が立ち上げられた。
「約500人の労働者が集まりました。かなり衝撃的な出来事で『日本でこんなことが起きるなんて』と、多くの人が感じたはずです。メディアも大きく取り上げた。ところが今、毎週土曜日に都庁に食料品を求めて600人前後も集まるのに、もう誰も驚かない。すっかり違和感がなくなった。メディアもあまり取り上げない。これは本当に象徴的なことだと思います」
と、大西さんは語った。
かつて貧困は遠い国のことだった。ところがいつの間にか、それが身近な出来事になった。「普通に働いている人でも貧困に陥るんだな、と」。
■最初は「入り口」だった
新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、もやいが東京都庁前で食料品配布を始めたのは20年4月4日。この日、106人が食料品を手にした。その数は徐々に増え続け、今年に入ると500人台に急上昇。11月26日には過去最多の644人が集まった。12月は少し落ち着いたものの、同月24日には612人が食料品を求める列に並んだ。
当初、食料品配布は「支援の入り口」のつもりだった。配布と同時に生活相談や医療相談を受け付け、公的支援につなげるのが目的だった。
「もともと想定していたのは、仕事をなくして所持金が底をついた方とか、住まいがない方。われわれの活動の対象は、コロナ以前はそういう方が圧倒的に多かった」
ところが、である。
「最近は、状況がかなり変わってきました」
大西さんが感じる変化――それは今、食料品を求めに来る人で無職の人は少ない一方、毎日フルタイムで働いている人も普通にいるからだ。
「ところが、賃金水準がとても低く、生活保護基準に近い状況で働いている人が大勢いる。しかも、そういう人が受けられる支援制度って、基本的にないんです」
食料品配布に訪れる人のほとんどは、非正規労働者と個人事業主だ。
「今、東京都の最低賃金は1072円。その人の状況によりますが、フルタイムで働いても月収は大体18万円台です。そこから税金や社会保険料を引かれると手取りで13万〜14万円。生活保護基準は13万円弱なので、それを少し上回っているものの、生活は厳しい。最近、時給は上がってきていますが、物価の上昇スピードのほうが速い」
■がんばっても生活保護基準
食料品配布に集まった人が最多となった11月の消費者物価指数は上昇率が前年同月比3.7%と、約41年ぶりの上げ幅となった。
「物価の上昇が賃金に反映されるまでタイムラグがある。その間の実質賃金の低下が生活に響いている。今はそういうタイミングにあると思います」
大西さんの活動を頼りにしている人たちの多くはきちんと働き、収入があるので、生活保護制度は利用できないこともある。しかし、生活水準は生活保護を受けている人とそれほど変わらない。
「もしくは、収入は減っているけれど、まだ貯金があるのでなんとか生活を維持できている。ただ、先行きが不安なので、少しでも貯金を減らしたくない。そんなふうに思っている人がたくさんいらっしゃいます」
合理的に考えれば、非正規雇用の仕事を辞めて、給付金つきの職業訓練と、家賃補助を受けながら正社員を目指す、という解決方法もあるかもしれない。
「でも、それは机上論です。本人からすれば一生懸命に働いて、がんばって税金や社会保険料を納めている」
その結果、生活保護基準とほとんど変わらない生活というのが切ない。
■初めて目にする光景
14年前の「年越し派遣村」と比べて、食料品を受け取る人の顔ぶれも変わった。女性が増えた。子ども連れで訪れる人もいる。
「大体2割弱が女性ですが、これは衝撃的な数字です。『年越し派遣村』では約500人が来ましたが、そのうち女性はわずか5人だったといわれています」
年越し派遣村に来た人の多くが自動車や精密機械など製造業の労働者で、地方の工場で派遣業務についていた30〜40代の男性だった。
「現在、行っている食料品の配布はいわゆるホームレス支援の延長上にあるわけですが、そこに女性が来るのはまれでした。炊き出しを訪れると、そこには男性がいる。見られたくないし、知られたくない。そんな理由で女性を目にすることはかなり少なかった。なので、女性が約2割というのは、前代未聞の数字です」
子ども連れも、平均すると毎回3、4組が訪れる。
「私は路上での支援活動を10年以上やってきましたが、初めて目にする光景です」
さらに、10代後半から30代の若年層も増えている。
「見た目での判断なので正確な年齢の割合はわかりませんが、これまでわれわれが行ってきた活動のなかでは明らかに若い方の割合が多くなっています」
これまで貧困は、どこか特殊な人の話だった。公的支援の枠組みを広げようとすると、「特殊な人のために、なぜ税金を使うんだ」という議論になりがちだった。
大西さんは言う。
「そういった意味では、誰もが貧困になる可能性を感じる世の中になった。自分も使うかもしれないからセーフティーネットは必要だよね、というふうに理解が進むようになった。以前は『貧困=自己責任』だといわれましたが、今起こっていることは、それが少しずつ変わっていくきっかけになるでしょう」
■相手の顔が見られる喜び
一方、食料品の配布を支援する企業の動きも少しずつ広がっている。
「まだ一部ではありますが、このようなテーマに関心を持ってくれる企業が徐々に増えています」
企業名は明かせないが、多いのは外資系企業だという。
「本社がアメリカやヨーロッパにあり、われわれのようなNPOに寄付したり、物資のサポートをするプロフェッショナルチームがあったりします。あらかじめ社会貢献のための予算があって、それを有効に使いなさい、とトップから言われたり、日本法人はどんな活動をしているの、と聞かれたりするそうです」
日本の企業や団体ももやいに食料品を提供している。パルシステム生活協同組合連合会やモスバーガー(モスフードサービス)などだ。
「食品ロスの削減など、SDGsの盛り上がりによって社会貢献の意識が徐々に強まっているのを感じます。あと、食料品を渡す相手の顔が見られるのはうれしい、という声を結構聞きます。並ばれる方は商品としては買えないかもしれないけれど、こういったかたちで提供したものを社員の目の前で喜んでくれる。すごくいい体験になったとおっしゃってくれる企業もあります」
そんなこともあって、大西さんは協力企業に積極的に声をかけ、配布の現場に社員を招いている。
■桃が届いた衝撃
ちなみに、配布する食料品のなかでも特に喜ばれるのは、果物だという。
「パルシステムは毎週、果物を届けてくれるんですが、めちゃくちゃありがたいです。生活が苦しい方って、米とか、おなかにたまるものは買いますが、果物には手を出しづらい。ちょっと高級な桃が届いたときには衝撃を受けました。われわれも欲しいと思うような桃です(笑)。もちろん、全部配りました。果物を受け取ると季節も感じられますし、心が和みます」
(AERA dot.編集部・米倉昭仁)