防衛省は過去に日本領空で確認された気球型の飛行物体について、「中国が飛行させた無人偵察用気球であると強く推定される」とし、情報収集や警戒監視を強めている。さらに同省は外国政府の偵察用気球が領空侵犯した場合の武器の使用要件を緩和する考えだ。今回、米軍が撃墜した中国の偵察用気球は、高度約18キロ(約6万フィート)を飛行した。再び日本領空に気球が現れた場合、自衛隊は撃墜することができるのか。軍事評論家で、フォトジャーナリストの菊池雅之さんに聞いた。
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菊池さんは航空自衛隊の現役戦闘機パイロットに、「もし気球を撃墜するのであれば、どのような方法をとるか」と尋ねた。すると、やはり米軍が撃墜した方法が一番確実だという。
「具体的には、迎撃に飛び立ったF−15J戦闘機が通常の高度で気球に接近します。ある程度近づいたところでエンジンのアフターバーナー(推力増強装置)をたいて、ロケットのような角度で一気に上昇する。高度16〜17キロまで間合いを詰めたところで、斜め上の気球に空対空ミサイルを発射して撃墜します。その直後に急降下して通常の高度に戻る」
米軍のF−22戦闘機が2月4日に気球を撃墜したときの機影を映像で追うと、やはり急な放物線を描くように上昇して高度約17キロからミサイルを発射し、上昇時と同じような角度で下降しているという。
宇宙空間に近い場所
現在、航空自衛隊が運用している戦闘機はF−2A/B、F−15J/DJ、F−35Aの3機種あるが、高度約18キロまで上昇できるのはF−15J/DJのみという。空自航空総隊司令部のホ−ムページには、F−15J/DJの実用上昇限度は1万9000メートルと記されている。
であれば、気球と同じ高度を飛行して、ミサイル、もしくは機関砲を発射して、撃墜できるのではないか?
「空自のパイロットによると、高度18キロでは機体の運動性能は著しく低下します。通常であれば操縦桿を倒すと瞬時に方向を変えるのに、ぬめーっとした感じで時間をかけて徐々に曲がっていく。例えば、飛行機の位置を右に10メートル動かそうとすると、それだけで数キロも飛んでしまうそうです。当然、気球の近くでそんなことをしていたら、目標を通り過ぎてしまう。であれば、最初から少しでも飛行機のかじが利く低い高度から気球に接近してミサイルを発射したほうが確実に撃墜できる、ということです」
飛行機は方向舵、昇降舵と呼ばれるかじを傾けて向きを変える。しかし、かじに十分な風が当たらないと機体をうまくコントロールできない。
高度18キロの空気密度は地表に比べてわずか10分の1ほどしかない。なので、空気の流れはほとんどない。「要するに宇宙空間に近い場所です」と、菊池さんは言う。
「気球に搭載された装置を機関砲で破壊するにしても、思うように機体を制御できない状況で照準を合わせるのはかなり難しい。弾を外して任務を完遂できない可能性があるのなら、やはりミサイルの使用がベターな選択肢でしょう」
高額ミサイルが当たらない?
ミサイルで撃墜するのであれば、陸上基地や護衛艦からミサイルを発射して気球を打ち落とせないだろうか?
「地上や海上から発射する地対空ミサイルや艦対空ミサイルは非常に高価で、費用対効果が著しく悪いうえ、撃墜できない可能性が高いんですよ」
今回、米軍のF−22戦闘機が発射したAIM−9X空地空ミサイルの価格は1発約5000万円。それに対して、空自が保有するPAC−3地対空ミサイルは約5億円。海自のイージス艦に搭載されているSM−3艦対空ミサイルにいたっては約40億円(ブロック2A)である。
確かに費用対効果は非常に悪いが、これほど高額なミサイルが当たらないとは、どういうことなのか?
「PAC−3の場合、18キロという高度は射程ぎりぎりです。なので、当たらない場合も考慮して、複数のミサイルを発射するとさらに費用がかさみます。逆にSM−3の場合、高度18キロというのは距離が近すぎます。飛来する弾道ミサイルをほぼ宇宙空間で迎撃するためのミサイルですから」
たとえ射程内に気球があったとしても、いずれのミサイルも高速で飛来する物体を迎撃するために開発されたものなので、ほぼ同じ高度をゆっくりと飛行する気球を打ち落とせるかは、わからないという。
気球を泳がせてきた米国
しかし、そもそも領空を侵犯する気球を見つけられなければ、撃墜もままならない。
今回、米国は中国の偵察用気球をアラスカ州・アリューシャン列島から追跡している。つまり、米国本土のはるか遠方で気球の侵入を探知し、RC−135電子偵察機やU−2高高度偵察機を接近させて気球の意図を調べ上げたうえで撃墜した。
さらに米国は、この気球がベトナムに近い中国・海南島から打ち上げられ、グアム周辺に到達したあと、北上したと発表した。つまり、当初から気球の動きを正確につかんでいたことになる。
「米国はこの気球がどこから飛び立ったのか、偵察衛星で中国の基地をモニタリングして、知っていたと思われます。宇宙から見れば気球は目立ちますから」
高高度気球の飛行コースは地球大気シミュレーターを使えば、かなり正確に予測できる。なので、米国領空に到達するときを狙って網を張っていればいいわけだ。
米国防総省は2021年に偵察用気球などを発見し、特定するための組織、AOIMSG(Airborne Object Identification and Management Synchronization Group)を設立し、監視体制を強化していた。
ただ、以前取材した防衛省防衛研究所政策研究部防衛政策研究室の高橋杉雄室長によると、今回の気球の撃墜は「完全にイレギュラーなイベントだった」ようだ。
「ことの始まりは明らかにSNSでしたから。謎の気球が飛んでいることがSNSで話題になり、それを大手テレビ局が追い始めて騒ぎになった。そこで国防総省が『この気球についてはずっと追尾しているので、安心してください』と、公式に発表した。なので、騒ぎが起こらなければ、そのまま米国本土を通過させていた可能性が高い」(高橋室長)
気球の撃墜後、国防総省は中国が数年にわたり、気球によって大規模な偵察活動を行ってきたことを明らかにした。つまり、今回の事件が起きるまで米国は中国の偵察用気球を文字どおり、泳がせてきたわけだ。
(AERA dot.編集部・米倉昭仁)
※記事の後編<<古くて斬新な「軍事用気球」の実態 ぶつける、自爆させる…偵察気球を攻撃するための米国の本気度>>に続く