「被災地を早く訪れたいが、自治体に迷惑をかけたくないという陛下の逡巡を感じた」と河西教授=2019年12月、宮城県丸森町、代表撮影/JMPA

 天皇、皇后両陛下が22日、元日に発生した能登半島地震の被災地を訪れた。令和の両陛下が発災から間もない被災地を訪れるのは、2回目となる。2月の天皇陛下の誕生日会見では「能登半島へ行かなければ」という気持ちと「迷惑になってはいけない」、そんな葛藤が伝わってくるものだった。陛下の学生時代の友人は、「陛下は高校生の頃から、災害が起こると自分との約束は中止して国民に思いをめぐらせていた」と話していた。それは、まだ青年であった陛下の皇位継承者としての覚悟がにじむものだった。

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 能登半島への訪問を、いかに天皇陛下が切望していたか。それは、2月の陛下の誕生日の会見での言葉によく表れていたと、象徴天皇制を研究する名古屋大の河西秀哉准教授は話す。

 陛下は会見で能登半島へのお見舞いについて、こう述べている。

「私としては、現地の復旧の状況を見つつ、被災者の皆さんのお気持ちや、被災自治体を始めとする関係者の考えを伺いながら、訪問できるようになりましたら、雅子と共に被災地へのお見舞いができればと考えております」

 一刻も早く行かなければいけない。しかし、自衛隊や自治体、何より住民の迷惑になってはいけない。

「陛下の言葉からは、そうした逡巡がダイレクトに伝わってきました。周囲への気遣いを絶やさない陛下のご性格そのものだと感じました」

仮設住宅を訪ねた両陛下は、被災者の言葉に深くうなづき、手を握りしめた=2019年12月、宮城県丸森町、代表撮影/JMPA

■台風で即位のパレードを延期

 誕生日での会見で「雅子と共に」と言葉にしていた陛下。22日に能登半島を訪問したおふたりは、黒いタートルネックのセーターにグレーの上着とパンツという、統一された服装。互いの絆の強さを感じさせる光景だった。

被災者らの言葉に深くうなづきながら、皇后雅子さまはときおり目を潤ませた=2019年12月、福島県、代表撮影/JMPA

 おふたりの被災地への思いは、天皇、皇后として初めて訪れた被災地でも強く伝わってくる。

 初めて被災地を訪問したのは2019年12月、台風19号で被害を受けた宮城県と福島県だった。

「台風19号が東日本に甚大な被害を及ぼしたこの年の10月、両陛下は天皇陛下の即位に伴う10月22日の祝賀パレードを1か月延期しています。発災から2カ月後に両陛下は現地への被災地訪問を実現させました。天皇、皇后として初めて被災者と手と手を取りあっての対話でした」(河西さん)

 12月26日、10名以上の死者・行方不明者が出た宮城県丸森町を訪れた。阿武隈川支流の五福谷(ごふくや)川が氾濫し、住宅や道路は土砂崩れや濁流に襲われた。

 丸森町の花田応急仮設住宅では、50人ほどの被災者と対面した。

 被災した女性が、中学生と小学生の子どもが浸水した自宅に取り残されたと話すと、おふたりは目を合わせて女性の手を握り、「怖い思いをされましたね」と寄り添った。

 このとき現地で取材をしていた人物は、

「『生活はどうですか』『心のケアは大丈夫ですか』と、被災者がこれから生きていくためのケアや環境を気遣う言葉は、周囲への気遣いを絶やさない陛下らしいものだと感じました」

 と振り返る。

■災害が起こると友人との約束も中止

宮城県から福島県まで移動するため、陸上自衛隊のヘリコプターに乗り込む陛下と皇后雅子さま=2019年12月、宮城県丸森町、代表撮影/JMPA

 被災地に負担をかけないという点からも、発災直後に皇室が被災地を訪問する場合は、日帰りで日程を組むことも少なくない。

 宮城県丸森町を訪問した際も、自衛隊のヘリコプターで福島県の本宮市へと移動。ヘリの発着は現地の中学校のグランドが使用された。

 安達太良川の堤防が決壊した現場を訪れたおふたり。市街地は水没し、7人の犠牲者を出していた。

 雨脚は強まり、すでにあたりも暗くなっていた。橋のそばにある保育園が屋根まで浸水したことなど、おふたりは何度もうなずきながら、説明に耳を傾けた。

「お亡くなりになられた方々に黙礼を捧げさせてください」

 陛下と雅子さまは、犠牲者が出た市街地の方向に向き直り、祈りを捧げた。

安達太良川で犠牲者への祈りを捧げる両陛下=2019年12月、福島県、代表撮影/JMPA

 おふたりの祈りは、皇太子時代から被災地に足を運び、人びとの対話を重ねることで積み上げてきたものだ。

 特に陛下は、東宮家の長男として誕生した瞬間から、天皇への道が示されていた存在。それだけに、まだ10代のうちから人びとへの寄り添うという覚悟を持って歩んでいたようだ。

 学習院高等科時代から青年期にかけて、天皇陛下の友人として過ごしたアンドルー・B・アークリーさんは、かつて記者にこんな話をしたことがある。

安達太良川で犠牲者への祈りを捧げる両陛下=2019年12月、福島県、代表撮影/JMPA

「たとえば、私たちが東宮御所で会う約束をしていても、国内で災害が起これば、すぐに侍従さんから中止の連絡がきました」

 アークリーさんによれば、高校生であったころから、国民の健康を願い、地震や洪水のような天災の際には国民が安全でいるかということを注意深くご覧になっていたという。

 アークリーさんとの約束が中止になった理由について、アークリーさんは、こう話していた。

「お見舞いや国民のために力になれることがあれば、いつでも駆け付けられるよう、準備をなさっていたのでしょう」

 そして何よりも、犠牲者が出たり、人びとが苦しい思いをしていたりしているときに、友人と楽しい時間を過ごすことはできない、というお気持ちだっただろう、と言葉を添えた。

(AERA dot.編集部・永井貴子)

目と目を合わせて、被災者の気持ちに寄り添う両陛下=2019年12月、宮城県丸森町、代表撮影/JMPA