稲田朋美防衛相が7月28日、ようやく辞任した。同日深夜、北朝鮮がICBM(大陸間弾道ミサイル)を発射したことで、自衛隊・防衛省のガバナンスが崩壊状況にある事態の深刻さが浮き彫りになるという、安倍政権にとって、ダメージをさらに大きくする状況となっている。

 防衛省の特別防衛監察の報告書によって、南スーダンPKOに派遣された陸上自衛隊の日報が意図的に隠ぺいされたことはわかったが、それに稲田氏がどこまで関与したかについては、あいまいなままで幕引きがなされようとしている。

 その真相を読み解くうえで、重要なのは、「人事」の影響だ。

 筆者の官僚時代の経験では、官僚の最大の関心事は、国民生活でも国家の安全でもない。では何が最重要事項かと言えば、自分たちの人事である。ここで「人事」と言っても二つの側面がある。一つは、個々の官僚自身の人事。これは説明の必要もないだろう。もちろん、官僚にとっての「人事」は現職時代の人事だけではなく、退職後の「天下り」「渡り」もまた役所の「人事」であるということもよく理解しておく必要がある。

 さらにもう一つ重要な意味がある。人事による自己が所属する組織の盛衰である。この二つの持つ意味を頭に置きながら、防衛省の日報問題を見るといくつかのことがわかってくる。この件については多くの報道がなされているので、今回は、事実関係の詳細に立ち入ることは避け、官僚人事とそれにかかわる官僚の心理を中心に解説してみたい。

●辞任と同時に閣議で承認された防衛省人事

 7月28日に稲田氏が辞任し、黒江哲郎防衛事務次官と岡部俊哉陸上幕僚長の辞任が発表されたが、実はそれと同時に、陸上自衛隊幹部の人事も発表されている。同日の閣議で承認されたものだ。それによれば、岡部陸幕長の辞任は8月8日付。同日付で、北部方面総監の山崎幸二陸将が後任の陸幕長に任命されることになっている。

 陸幕長は陸上自衛隊のトップだが、自衛隊員としてのキャリアはこれで終わりというわけではない。その上には、統合幕僚長という陸自だけでなく空自・海自を含めた3自衛隊を統合する自衛隊の最高幹部のポストがある。陸海空の自衛隊の最高幹部である各々の幕僚長の中から、おおむね順繰りに統合幕僚長が出ることになっている。1954年以降の歴史を見ると(統合幕僚長の前身の統合幕僚会議議長を含め)、海陸空の順で就任していて、海自、空自の順番の時に飛ばされた例がごくまれにあるが、陸自の番で飛ばされた事例はない。そして、現在の統幕長は海自出身者で、すでに就任から2年9カ月以上経っているので、通常であれば、次の順番である陸幕長にバトンタッチする時期になっている。

 もちろん、今回、陸幕長の岡部氏が引責辞任するため、後任の山崎新陸幕長がすぐに統幕長に昇格することはありえない。普通に考えると、今回は陸自を飛ばして、空自に順番を回すという可能性が高い……。

 少なくとも陸自幹部はそう覚悟しているだろう。

 そうなれば、自衛隊の中での陸自の地位は大きく下がる。単に岡部陸幕長や処分された陸自関係者の個人の処遇だけでなく、陸自という組織の勢力維持拡大という観点からも重大な事態なのである。いわば、歴史的大災害と言っても良いだろう。

 このような大災害を招いたのは、他でもない陸自幹部自身の情報隠ぺい工作によるものだが、何故、そんな馬鹿なことをしてしまったのだろうか。

●安倍政権の意向を忖度したのか?
 
 2016年7月の情報公開請求があったとき、陸自の現場は、日報の存在を隠す判断をしている。文書が物理的に存在するのに、情報公開請求に対して不存在と回答する場合の官僚の言い訳は、「物理的に存在しても、単なる個人のメモ、あるいは、ただの走り書きのようなもので正式なものではないから『行政文書』としては存在していない」という理屈である。加計学園問題で文部科学省でも同様の言い訳が使われたことは記憶に新しい。

 今回のケースでは、組織内のネット上で多数の職員が閲覧できる形で存在したものだから立派な行政文書なのだが、それを捻じ曲げて、不開示決定をしてしまった。
その時の陸自関係者の意識は、こういうものではないか。

 安保法に基づいた「駆けつけ警護」の新任務を付与した部隊の南スーダンへのPKO派遣の準備が事実上進められている中で、「現地の情勢が危険である」という情報を陸自が持っていたということになれば、安倍政権が非常に困る。ましてや文書に「戦闘」という言葉が使われていることがわかれば、PKO派遣が困難になる可能性は極めて高い。それは、政策的な問題でもあるが、安倍政権から「どうして、不用意に戦闘などという言葉を使ったのか。あまりにも軽率だ。陸自の現場への指導がなっていない」と叱責される恐れがある。そうなれば、陸上幕僚関係者が次の人事で懲罰的な処遇を受けるかもしれない。やはり、隠すしかないのではないか……。

 こうした心理はある意味自然だ。この場合、本当の狙いは自らの保身と組織防衛なのだが、大義名分は、「政権への協力」である。

 初動段階で陸幕幹部がどこまで関わっていたかは、今回の報告書では明らかではないが、少なくとも、このような不都合な情報を陸幕幹部が最初から知っていたとしても、おそらく同じ結果になっていたと思われる。次の統幕長への昇格を待つ岡部陸幕長としては、仮に早期に事実関係を把握していたとしても、それを正直に出して、安倍総理の悲願、PKO派遣を止めたとなれば、統幕長への栄転をあきらめなければならないかもしれないという、その懸念に打ち勝つことはできなかったのではないだろうか。

 そして、その後の一連の対応では、関係者が拡大し、内局トップの事務次官まで同じ罪を犯すわけだが、それも全て、自身の保身と組織防衛、そして、それを正当化する内輪での大義名分は「安倍政権への協力」であったと思われる。

●「官僚の作法」で稲田氏へ報告した可能性

 では、2月になって、防衛省幹部が報告した際、稲田氏が日報が陸自に存在していたことを知り、それを隠ぺいするよう指示ないしその黙認をしたのかどうか。今回の監察結果でははっきりしない。

 しかし、報告書の内容を見てその真相を推測することは可能だ。その際、不都合な情報を政治家に報告する際の「官僚の作法」というものを頭に置かなければならない。と言っても、おそらく、これは大きな組織に共通する作法かもしれないが……。

 大臣にとって非常に困ったことになる情報を上げる時に、「大臣大変です。こんなことになってしまいました」というだけでは、「無能」というレッテルを貼られて大バツがつくだろう。こういう時は、必ず、その不都合な事態に対して、大臣が守られるような対応策を同時に提示しながら報告するのが優秀な官僚のやり方である。

 ただし、今回の日報の件では、大臣が完全に安心できるような対応策をとることは不可能である。しかし、そういう時でも、「どうしようもありません。ここは素直に責任を認めましょう」などと言ったら、これも出世の道を閉ざす対応だ。

 そんなときは、いざというときには大臣が庇ってくれる、あるいは、その後の面倒を見てくれることを期待しながら、阿吽の呼吸で、官僚がリスクを取って隠ぺいを続けるのだ。

 今回も稲田氏には、「物理的には存在しましたが、これは行政文書ではないという解釈もできます。つまり、文書は存在しなかったということで対応します。大臣にはご迷惑をかけません」というような報告をした可能性が高い。

 この報告内容であれば、稲田氏は「文書があるという報告を受けた認識はありません」とかろうじて言える。また、元々文書はないのであるから、その隠ぺいを指示することは不可能だし、黙認もするはずがないという理屈が成り立つ。

 もちろん、そんな説明は世間には通用しないが、稲田氏から見れば、報告を受けていないと言い張ればよいという選択肢を与えてもらったということになったのだ。きっと、「ほっとした」というのが正直なところかもしれない。

●阿吽の呼吸が成立しなかったワケ

 しかし、上述した稲田氏と陸自・防衛省内局の取引成立というのは、厳密に言うと、陸自側の希望的な解釈に過ぎなかったようだ。

 その気持ちは稲田氏には通じていなかったのではないか。稲田氏の思いは、「陸自がこんなドジを踏んで、とんでもない迷惑だ。これまでもいつも足を引っ張られてきた。自分たちで後始末をするのは当然ではないか。私を巻き込むなんてとんでもない」というものだった可能性がある。

 つまり、陸自が想定した「阿吽の呼吸」は稲田氏には通用しなかったのだ。その「呼吸の乱れ」が致命傷となって、特別監察報告書のとりまとめの段階で露呈することになったということだろう。

 報道では、自分の責任を全く認めず、全て陸自に押し付けようとした稲田氏への陸自の怒りが爆発したという解説がなされている。それは、その通りだと思うが、今回の事件の結末は、それで終わりというわけにはいかないだろう。

 なぜなら、稲田氏が自らの関与を認めれば、陸自幹部の処分は相当程度軽くなった可能性が高いからだ。特に大臣の指示があったとなれば、陸幕長辞任までは行かずに済んだ可能性もある。

 しかし、今回の特別監察の報告の内容では、稲田氏の責任は監督責任程度のものに過ぎない。一方の陸自は、大量の処分者を出し、しかも、悪人の集まりというイメージを世間に植え付けてしまった。これでは、退職した後の天下りも容易ではない。通常は、何か問題があって処分を受けても、退職後の生活は何とか面倒を見てもらえるということが多い。しかし、稲田大臣にそれを期待することは全く無理だということがわかった。陸自幹部に、「あの取引は何だったのだろう」という思いが残る。

 さらに陸上自衛隊という組織にとっても今回の結末は大きな打撃を与えた。

 自衛隊は国民の信頼を失うことを一番恐れる。さらに、安倍総理が自衛隊を明記する憲法改正を行う上で、自衛隊のイメージ悪化は重大な障害になりかねない。そうなれば、安倍政権は、しばらく陸自を前に出すことは避けたいと考えるのではないか。それどころか、当面は陸自に厳しく当たる可能性がある。そんな不安も拡大するだろう。

 前述した次の統合幕僚長人事で、陸自が順番を飛ばされるのは確実だが、さらに、世論の風向き次第では、次の次の統幕長人事でも飛ばされるかもしれない。そんなことになれば、陸自隊員の士気も大きく下がることは必至だ。そんな事態は陸自としては何としても避けたい。

 以上、主に今回最も大きな被害を出した陸自を中心に解説したが、防衛省内局でも若干文脈は異なるものの、同様に人事をめぐる思惑が今回の事件に大きな影響を与えたことは確実だ。

 そして、森友学園問題では財務省の人事、加計学園問題でも、文科省はもちろん、官邸の経済産業省関係者の人事が、事の成り行きに大きな影響を与えていることも指摘しておきたい。(そのあたりは、別の機会に解説したい)。冒頭に述べた通り、官僚にとって、国民生活より、国家の安全より、何よりも大事なのが「人事」なのである。(文/古賀茂明)