ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「上西議員」を取り上げる。

*  *  *
 ファンタジー。空想や幻想という意味です。そしてそれは純粋な心と無垢な悦びの象徴であり、健全さの権化でもあります。そんな非日常的人生観がここ数年、日常に溢れ返っている。まさにファンタジー依存大国・日本。古くは桃太郎やかぐや姫などのお伽噺から、西洋のお城や王子様。童話における動物や植物の擬人化。そして天使とサンタクロースの過密状態。他にもディズニー、サンリオ、ジブリ、ハリポタ、セカオワ、羽生結弦など。時代屈指のファンタジー渋滞。そこに迷いや躊躇(ためら)いなく、無邪気に胸ときめかせられるかどうかが、現代社会における健やかさのバロメーターなのかもしれません。さらに昨今は「ならばいっそ、あなたもこちら側の住人に」的な気運が、ファンタジー界のネクストステージな様子。もはや『ファンタジーは幻想ではなく人生』とでも言わんばかりに、人間が立ち入れるシステムが次から次へと構築され、『精神的ハロウィン』の高まりは加速する一方です。このまま行くと40年後には、妖精目線でコミュニケーションを取る人たちばかりになり、女装したオカマなどお呼びでなくなっているかもしれません。

 信じ続けたい非日常から切り離され、現実を叩きつけられることは、人間にとって最大の恐怖のひとつです。それでも、いつしかサンタはいないと悟り、憧れのアイドルと結婚できないことにも気付き、皆オトナになっていきます。しかしながら「ずっと夢見ていたい」「妄想や空想に身を委ねていたい」という欲求は、以前に比べて「叶えられて当然」な価値観になり、もはや何ら恥ずべきものではなくなりました。

 元来、芸能を含めファンタジーの世界は、『見物』が主なる消費目的でした。それがやがて『応援』になり、今や消費者への訴求力がいちばん強いのは『参加』の意識を煽ること。そしてその根源は、ずばり『スポーツ観戦』にあります。特にサッカーは、チームのユニフォームを着て応援したり、「サポーターは12人目の選手」と表現してみたり、観る側の客観が『主観』になり得る最強の『参加型ファンタジー』と言えるでしょう。『チーム』や『ファミリー』といった一体感は、人に心強さを与えますし、『共に戦う』という擬似感は、応援する以上の興奮を覚えさせてくれます。つまりは、生身の人間同士が鎬(しのぎ)を削る戦い様に、精神的参加をすることが、現代における究極のファンタジーなのです。

 で、上西小百合議員が放った「他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」発言ですが、スポーツ観戦というのはそこが肝であり、自分の人生乗っけるぐらいに魅了する力があるからこそ、選手らは『ファンタジスタ』などと呼ばれるわけで、そこに世間の確たる欲求や願いはあるのです。そんな絶対的正義に抗うなど、「自分は不健全な人間です」と宣言するようなもの。私も昔から、健全との対峙が苦手で、いっそ自分自身を非日常的な存在に仕立て、世間様とのバランスを取っているつもりですが、それでも似たような失敗をした経験は山ほどあるわけで、ましてや政治家がそこを居直るのはリスキー過ぎます。しかし、政治だけに限らず、不健全さを排除した世の中では旨味がありません。ならば黙々と発酵させるのみ。とりあえず上西議員は、もっと『孤独力』を磨くべきです。

※週刊朝日  2017年8月11日号