政治家の失言がこの1年ほど絶え間なく続いている。もちろん発言自体は目に余る。だが、より問題なのは、それを安易に「撤回」させることなのではないか。



 秘書への暴言・暴行で話題となった豊田真由子衆院議員らの「魔の2期生」。だが、問題は2期生だけではない。大ベテランの河村建夫元官房長官が豊田議員を「あんな男の代議士はいっぱいいる」と擁護、訂正と発言取り消しに追い込まれたのだ。

 失言と言えば東日本大震災から6年が経過した今年、復興を担当する行政の長が2人続けて「失言」で辞任した。一人は「東北のほうだったから良かった」の今村雅弘復興大臣で、もう一人は務台俊介復興政務官。昨年9月に台風の被災地を視察した際に長靴を持参せず、水たまりを同行者におんぶされて渡り非難されたが、今年3月に都内で開かれた自身の政治資金パーティーでその件を受け「たぶん長靴業界は、だいぶ儲かったんじゃないか」と発言した。

 なぜ、そんなことを言ったのか。務台氏によるとパーティーの直前に地元、長野で防災ヘリの墜落事故があり、あいさつ前にはゲストの国会議員が「おんぶ事件」について言及したので会場はかなり沈んでいたという。

「めげてないということを支援者の方々に伝えようと、リップサービスのつもりで言ったということです。その場では皆さん普通に聞いていてくださったんですが、多くの人を傷つける結果になってしまった」(務台氏)

 復興2トップに限らず、政治家の「失言」は連打され、盤石と思われた安倍政権にひびを入れている。戦後の政治家失言を約800ページの大著『政治家失言・放言大全』にまとめた政治評論家の木下厚さんは、「小選挙区制が導入されて派閥の力が落ち、党内で議論する下地がなくなって発言の質が下がった」と嘆く。同書をひもとくと失言や放言は絶えず繰り返されていることがよくわかるが、近年のそれは終戦直後と質的に違うと木下さんは考える。

「戦後しばらくは、日本の方向性を決めるための真剣な論じ合いが背景にあった。今は目の前の聴衆へのパフォーマンス目的で、ブラックジョークのうまさが答弁のうまさだと勘違いしていることから生まれている」

 冒頭の務台氏の失言は、まさにこのパターンだろう。

●見たいものしか見ない

 一方、認知神経科学者の下條信輔・カリフォルニア工科大学教授は、失言は聴衆によって引き出される部分もあると語る。

「人間は無意識的に、話している相手を考えてしゃべっている。政治家は特にそういうテクニックに長けている。目の前の聴衆に受けるかを考えて話した結果、他の社会集団から見れば許されない発言をしてしまうのです」

 失言の多くが「内輪」の場で発せられていることからも、この心理が読み取れる。日本ではまだ失言扱いされるが、米国ではもはやそれが失言とすらとらえられず、トランプ政権誕生にまでつながったと下條教授は言う。

「失言増加の理由を政治家のレベル低下だけに求めるのは危険です。受け手側の変化にも注意を払わなければ」(下條教授)

 人は聞きたい、信じたい話に耳目を開き、受け入れる傾向がある。ネットの普及でその傾向はさらに強まっている。近現代史研究家の辻田真佐憲さんは、ネットの普及で左右を問わず既存メディア全体に対する不信が広がっていることにも注目する。

「政治家側もその風潮に乗っかり、失言に対するマスコミ経由の批判を『マスコミは信用できない』『文脈を無視して切り取られ、真意がゆがめられた』といった言い方で切り抜けることができるようになった」

●しつこく覚えておく

 マスコミなどを通じた幅広い層への事実と信念の訴えよりも、特定の集団だけへの発言に軸足が移れば、失言の量も増える。失言を本当に反省し、再発防止をしようというモチベーションが生まれにくいのも当然だろう。

「政治家の発言についてすべて生のソースにあたって確認することには限界がある。メディアの力が失われれば、困るのは国民のほうです」(辻田さん)

 では、どうするか。ライターの武田砂鉄さんは、「政治家の失言をしつこく覚えておかなければいけない」と強調する。

「メディアは失言ばかり取り上げて政策論争をさせないという批判がありますが違うでしょう。失言は政治家の本音を表し、その向こうに政策がある。失言=本質と考え、揚げ足を取り、言葉尻をとらえ続けていく必要がメディアにはあると思います」

「誤解を与えた」と言い逃れ、放置すればいずれ国民も忘れる、という成功体験を政治家に与えてはいけないと武田さんは言う。

 失言の増大に加えて重要視すべきは「撤回」の流行だ。言語学者の加藤重広・北海道大学大学院教授は最近の傾向として
「あとで撤回すればいい、という気のゆるみが政治家に出てきているのではないか」と指摘する。

 失言のあとに「撤回」「取り消し」といった言い訳を重ねているケースが目立つ(表)。山本有二農林水産大臣に至っては発言を一度「撤回」した後「冗談を言ったらクビになりそうに」と自ら蒸し返し、再度撤回する羽目に陥っている。

●撤回で真意探りづらく

「撤回とは、本来何か効力のあるものに対して言うこと」と加藤教授は指摘する。明らかに発言内容に事実誤認があった場合や、国会の議事録から削除が必要な場合ならば適切な言葉かもしれないが、ここ1年で繰り返されている失言はほとんどそういったケースにはあたらない。

「発言を失言だったと認める場合『あれは間違いでした』と非を認めるまでが本来のあり方。『撤回』すると追及する側も矛をおさめやすくなるから安易にこの言葉が使われているが、もっと厳密に使ったほうがよいのではないでしょうか」(加藤教授)

 撤回して「なかったこと」にすれば、それ以上の追及は「しつこい」「蒸し返すな」とかわすこともできる。失言を生み出した真意を探りづらくもなる。

「撤回」しなかった政治家もいる。冒頭の務台氏もその一人だ。

「撤回をしてもしょうがないでしょう。人を傷つけているので、謝罪するしかない」

 ちなみに長靴業界が儲かっているかどうかについて発言後に経済産業省に確かめたところ、わからないと言われたという。

●飲食店の喫煙問題巡り

 もう一つの「非撤回」組は今年5月、自民党の厚生労働部会で大西英男衆院議員が発した「働かなければいいんだよ」発言だ。部会はマスコミなどへ非公開で、受動喫煙対策について「建物内は原則禁煙」を目指す厚労省案と緩やかな自民党案の議論が行われた。問題の発言は、小規模飲食店での喫煙問題についてのもの。厚労省案を推す三原じゅん子参院議員が「本当に自分の命がかかっていて治療している中で、その仕事場が喫煙されているところで働くことの苦しさというのはどういうものがあるか」と発言した直後のヤジだった。三原議員は「働かなければいいという、そんな話がありますか? がん患者はそういう権利がないんですか?」と応戦。大西議員はすぐに「そんなことは言ってない」と応じたが、「(がん患者は)働かなくていい」という発言としてメディアにのり、大西議員は謝罪した。

●撤回は信条からの逃げ

 大西議員に改めて取材を申し込むと、文書で返答があった。

「私の発言の前に行われている受け止め手の議員の方のお話自体が、『喫煙・非喫煙の表示義務を課したうえで、極めて小規模の飲食店に喫煙を認めたとき』に限定された話。私の発言に補足をするなら、『(極めて小規模な飲食店で喫煙を認めたとして、そこで無理して)働かなくてもいい』のはずですが、がん患者全体、オフィスを含めたあらゆる職場における発言をしたように受け止められています」

 真意がそうだとしても、やはり配慮に欠ける発言ではある。大西議員もその点を認め「がん患者などの方々の気持ちを傷つける結果となったことをお詫びしました」としたうえで、語る。

「(がん患者は)働かなくてよいという趣旨での発言をしてはいないので、発言自体は撤回していません。また撤回したら、あとあと私の政策や信条とつじつまがあわなくなります。小規模飲食店での就労を受動喫煙で敬遠せざるを得ない点については、仕事と治療の両立を掲げる働き方改革の中で就労支援や再就職支援の充実などが重要と考えています。私はこういう主張を報道当初からずっとブログなどで続けてきました」

 この意見にも賛否両論はあるだろう。ただ、少なくとも失言を撤回しないことで、大西議員のスタンスや意見がはっきりしたことは確かだ。そのことへの審判は、選挙でしっかり下すというほうが、「失言」に対する健全なあり方ではないか。
 ある自民党関係者は、「失言を撤回するのは、そのほうが楽だから」と言う。政治家に自らの政治信条表明から逃げる「楽」をさせないためには、メディアも有権者も「撤回」という言葉をより慎重に扱う必要がある。

(編集部・福井洋平)

※AERA 2017年8月14−21日号