批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 本稿は参院選投票日の前に書いている。

 じつは今回の選挙への関心は、事前にはかなり低かった。NHKによる投票日2週間前調査によると、「必ず行く」ひとや「非常に関心がある」ひとの割合は、3年前や6年前の同時期の調査と比較して8ポイントも低かった。とくに60代以上の投票意欲の低下が著しかった。

 なぜこうなったのか。原因が野党の無力にあることはあきらかである。とりわけ立憲民主党の責任は重い。2017年秋の衆院選直後には15%近くあった支持率は、半年ほどで半減し、いまも党勢は回復していない。今回の選挙戦でもタレント候補を擁立するなど、結党時の新鮮なイメージはない。

 とはいえ、移り気な有権者の責任も同じくらい重い。安倍長期政権に不満をもつ有権者は多い。しかし、安倍打倒だけが目的となった一部有権者の投票行動はじつに不安定である。今回の選挙戦では、立民支持層の票がれいわ新選組に流れるとの予測がある。実際にネットの論戦では、れいわ支持の声はかなり強い。けれども、民進党に失望したから立民、立民に失望したかられいわと次々に投票先を変えて、はたして強い野党が育つだろうか。

 公示前の党首討論会で印象に残る場面があった。選択的夫婦別姓へ賛否を問うたところ、公明党を含め他党党首全員が肯定で挙手し、首相だけが手をあげなかったのである。リベラルから批判が相次いだが、これほど現在の政治を象徴する場面はない。いまの日本では自民党がすべてだ。国民の多くが望んだとしても、首相が拒否すればその政策は通らないのである。

 この状況が不健康であることは明らかである。そしてそれを改善するには強い野党を作るほかない。いまリベラル側の政治家と有権者に課せられているのは、そのような長期的な課題である。そしてそのためにはポピュリズムの誘惑に負けてはならない。かつて小池百合子の登場に幻惑されて、約20年の歴史をもつ野党を解体してしまった、あの過ちを繰り返してはならないのである。

 国民の審判はどう出ただろうか

※AERA 2019年7月29日号