日本学術会議が推薦した会員候補6人を菅義偉首相が任命拒否したことに続き、河野太郎行政・規制改革担当相が学術会議の運営見直しを検討する方針を示した。

 そのほか、学術会議には「中国の軍事研究に積極的に協力している」などの根拠のないデマが流布されている。デマの発信源となったのは、甘利明・元経済財政担当相のホームページに掲載されたコラムだ。そこで本誌が甘利氏に根拠となる資料の提示を求めたところ「回答を控えさせていただきます」と拒否。ところが、その後に「間接的に協力しているように映ります」と内容が修正された。

 これだけではない。学術会議関係者は嘆く。

「フジテレビは、学術会議の会員になれば自動的に日本学士院の会員になれ、年間250万円の年金がもらえると報じました。まったくのデタラメですが、細野豪志、自民党の長島昭久両衆院議員も同じデマをツイッターで拡散しました」

 結局、フジテレビは放送翌日に間違いを認めて訂正。細野氏と長島氏も謝罪した。

 なぜ、与党議員がデマを交えた“口撃”を続けるのか。そこには、学術会議が2017年3月に軍事研究に反対する声明を出したことが背景にある。

 この声明は、防衛省が2015年に「安全保障技術研究推進制度」を発足させたことに伴って検討された。内容は1950年と1967年に学術会議が発表した軍事研究に反対する声明を継承しているが、単純に軍事研究に反対しているわけではない。会員への任命を拒否された1人である立命館大学の松宮孝明教授は言う。

「学術会議には、組織として軍事研究を禁止する権限はありません。一方で、この声明はおもに大学関係者に向けて発表されたもので、政府機関や民間企業は対象ではありません。ウラ読みをすれば、軍事研究をするなら、防衛省などが研究者を終身雇用して身分保障してやれば、ということかもしれません」

 たしかに声明では、大学での軍事研究について<技術的・倫理的に審査する制度を設けるべき><研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない>と書かれている。過去の声明を継承してはいるが、軍事研究を禁止する文言はない。それでも、科学者たちが軍事研究に慎重になるのはなぜか。前出の松宮教授が解説する。

「軍事研究は、研究成果が先進的であるほど秘密性が求められます。特定秘密保護法では軍事技術に関連する研究成果や技術を『特定秘密』に指定でき、特定秘密になると研究者は成果を論文として公表することはできません。若い人は研究者としてのキャリア形成ができなくなってしまうのです」

 軍事研究の歴史的な例では、英国の天才数学者であるアラン・チューリングの悲劇がある。チューリングはコンピューター科学の基礎を築き、「人工知能の父」と呼ばれている。ベネディクト・カンバーバッチが主演した映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』のモデルにもなった。

 チューリングは第二次世界大戦中に英国の暗号機関に雇われ、ドイツの暗号機「エニグマ」の解読に成功した。しかし、英国はエニグマの解読に成功していたことを終戦後も国家秘密にし、その業績は親しい知人すら知らなかった。その後、チューリングは1952年に同性愛者であることで逮捕され、1954年に死去。死因は青酸カリが含まれたリンゴを食べたことによる自殺とされているが、他殺説も根強い。

 第二次世界大戦で英国を勝利に導いた英雄であるチューリングだが、戦後に不遇な立場に置かれたことで英国政府は次第に彼を警戒し、監視対象にした。エニグマの秘密が旧ソ連などに流出することを恐れたためだ。その結果、チューリングの功績が広く世に知られるまでには、死後約20年の歳月がかかった。英国政府がチューリングに対する不当な扱いを公式に謝罪したのは2009年だった。前出の松宮教授は言う。

「若い研究者が目の前にある予算に飛びついて軍事研究に協力すると、二度と抜けられなくなる危険性がある。チューリングの悲劇は、その象徴的な例です」

 研究者が自由に論文を発表することは「学問の自由」が保障する重要な権利の一つだ。にもかかわらず、基本的な理解がないまま学術会議へのデマによって議論が歪んでいる状況に、関係者は「とても残念な状況」と嘆いている。菅首相は、学術会議の組織改革を河野氏に指示する前に、デマを流した国会議員を再教育すべきではないか。(本誌・西岡千史)

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