それは「引退試合」のようだった。最終18番のグリーンに上がる彼女に向けられた、地鳴りのような大声援。それに応えるかのように、4メートルのパーパットがカップに沈む。大会最多3万4750人のギャラリーが4日間で集まったことは、彼女の偉大さの証明だ。

 宮里藍が、今季限りでの現役引退を表明してから初のトーナメント出場となったサントリーレディスオープンゴルフトーナメント。国内ラストゲームになる可能性もあることから、大会前から話題は宮里に集中し、優勝争いよりも宮里の一挙手一投足に注目が集まった。

 明確に引退を表明することが少ないプロゴルフだけに、過去のプロゴルファーと比較することは難しいが、引退を発表してから2週間、宮里という女子プロゴルファーがどれほど日本人の心に深く刻まれていたかを、改めて感じずにはいられない。

 ゴルファーとしての宮里は、皆さんもご存じの通り、数々の金字塔を打ち立ててきた。2003年のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで30年ぶりのアマチュア優勝を史上最年少の18歳101日で達成。これが「藍ちゃんフィーバー」の始まりだった。

 直後にプロ転向すると、翌04年は開幕戦のダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントなど、いきなり5勝し賞金ランク2位。05年はワールドカップ女子ゴルフで北田瑠衣と組み世界一に輝くと、年間6勝して国民的人気は不動のものに。06年からは米ツアーに活躍の場を移した。

 そして参戦4年目の09年にエビアンマスターズで米ツアー初優勝を達成。翌年になると5勝をあげて、世界ランクトップに上り詰めた。世界一になったのだ。プロ生活14年で国内ツアー15勝、海外ツアー9勝は文句の付ようがない成績。宮里は、間違いなくその実力で女子ゴルフ界を牽引してきた。

 しかし、宮里がここまで国民に愛される女子プロゴルファーになったのは、その実績からなのだろうか。

 「ロールモデル」という言葉でアスリートや有名人を表すことがある。主に子どもたちの目標や憧れとなる者を指し、具体的な行動などを真似される人物のことだ。

 宮里には、まさにこの「ロールモデル」という言葉がピッタリと当てはまる。コースでの振る舞い、メディアやファンへの対応、ゴルフに対する姿勢。彼女の行為、行動は、プロゴルファーを目指す少年少女たちの手本となり、憧れとなっているのだ。

 昨年、日本女子オープンを17歳で制した畑岡奈紗は、米ツアーでプレーするきっかけは宮里であると話し、15歳293日の若さでツアーを制した勝みなみは、宮里と初対面した時のことを緊張で覚えていないと振り返るほどだという。

 またツアーの人気のバロメーターともなる試合数は、宮里がツアー初優勝を飾った03年が30試合だったのに対し、今年は38試合と変動しながらも8試合の純増。賞金総額も今年は37億1500万円で、これは5年連続で過去最高額を更新している。これは、宮里をロールモデルとして育ったジュニアが女子プロになり、ツアーの人気を支えているからに他ならない。つまり、宮里がまいた「種」が、開花したということだ。

 そして、話は戻り今回のサントリーレディスオープン。最終日のラウンドを終えた宮里に話を聞いていたアナウンサーが、突然、インタビュー中に言葉に詰まる場面があった。そのアナウンサーは、宮里が女子高生プロとなってから、ツアーを代表するプロに、世界一のプロになるまで、そして今回の引退という決断に至るまでの過程を思い出したのだろう。涙の後に思わず「ありがとう」と発していた。

 宮里も目に涙をためていたが、インタビュアーが引退試合でもないのに感極まることはなかなかないこと。いかに、宮里が現場でも愛されていたかということがわかるシーンであり、彼女が、女子プロゴルファーとしてだけでなく、ロールモデルとして、一人の女性として慕われていることが垣間見られる場面だった。

 さて、そんな宮里はこの後、主戦場の米ツアーでラストシーズンを過ごすことになる。宮里が女子プロゴルファーとして最後にやり残したこと、それは海外メジャー制覇だろう。記者会見では「最後に勝って終わりたい」と語った。残されたチャンスは最大4試合。周囲から目標にされてきた宮里の目標を、是が非でも叶えて欲しいと、心から思う。(文・田村一人)