先日、新シーズンに向けてイタリアのベローナへ加入することが発表された元イタリア代表FWアントニオ・カッサーノが、1週間以内に2度の引退宣言というお騒がせ行動で突然キャリアの幕を閉じた。近年は多少の落ち着きを見せていたが、元々イタリアサッカー界では “問題児”として知られる。

 カッサーノはイタリア南部のバリ出身で、「貧乏だったが何もできなかったし、生涯仕事には就かないと決めていた」と自叙伝で明かしたように、サッカーの才能がなければどうなっていたかという男だ。一級品の才能に恵まれたものの、若き日の彼は次々に事件を起こしてきた。

 U-21イタリア代表時代には、当時のクラウディオ・ジェンティーレ監督がスタメン起用しなかったことに激怒し、怒鳴りつけて勝手に帰宅した。後年、ワールドカップでアルゼンチンと対戦した際には、ディエゴ・マラドーナのマークを務めたジェンティーレへの敬意を求められると「あいつは審判の見ていないところでシャツを掴んで足を蹴っ飛ばしただけだ」と悪態まで付く始末だった。

 20歳を前に強豪ローマに移籍してからも、練習で股抜きを決めたバンサン・カンデラを相手に「お前の母親と一緒で股がよく開いている」と暴言を吐いて、教育係のフランチェスコ・トッティを呆れさせてみせれば、世界的なストライカーのガブリエル・バティストゥータのコーヒーに大量の砂糖を入れたところを見つかって殴り合いに発展するなど、問題行動は続いた。

 それでもカッサーノは結婚を機に落ち着いた行動を取ることが多くなり、問題行動は減っていった。そのカッサーノと2012年の欧州選手権でイタリア代表の2トップを組み“バッド・ボーイズ”と称されたのがFWマリオ・バロテッリだった。バロテッリもまた、数々のお騒がせ行動を取ってきた。

 インテル時代からやんちゃな行動が目立っていたバロテッリだが、イングランドのマンチェスター・シティーに移籍してからは奇行に拍車がかかった。自宅で友人たちと花火パーティーを行ってボヤ騒ぎを起こしたかと思えば、ゴール前の決定機でわざわざ後ろを向いてヒールキックでゴールを狙って枠を外し、激怒したロベルト・マンチーニ監督に交代を命じられることもあった。さらには、練習場の窓から下部組織の選手に向かってダーツを投げ「暇だったから」と悪びれることもなく釈明するなど、問題行動は続いた。ゴールを決めてユニフォームをまくり上げると、そこには「Why always me?(何でいつもオレなんだ)」の文字。ピッチ上での能力と才能もすさまじいが、ピッチ外での話題提供力は群を抜いた。

 他にもサッカー界には様々なお騒がせ選手がいる。南米勢では、ウルグアイ代表FWルイス・スアレスが2度に渡る“噛みつき行為”で長期の出場停止を科された。チリ代表MFアルトゥーロ・ビダルは、南米選手権中に愛車のフェラーリを飲酒運転で爆走させて大クラッシュ。イタリアの大手自動車メーカー「FIAT」をスポンサーに持つ所属チームのユベントスから、あっさりと放出される憂き目にあった。コロンビア代表MFハメス・ロドリゲスは、レアル・マドリードの練習場に向かう途中で警察とカーチェイスに及び、一般道を時速200キロで暴走するという問題行動を起こした。

オールドファンにとっては、アルゼンチンの英雄マラドーナも“永遠の問題児”だろう。1986年のメキシコワールドカップではクロスを手で叩き落としたゴールを“神の手”と呼び悪名を高め、続く90年のイタリアワールドカップではソ連戦でゴールに入ろうかというボールを手でブロック。「審判が見ていなくて良かった」と言い放った。その後はコカインの陽性反応や麻薬所持で逮捕されると、所属クラブとの契約問題で自宅に押し掛けた報道陣にエアガンを乱射して有罪判決を受けた。復帰して出場した94年の米国ワールドカップでは、再びコカインの陽性反応で大会から追放。引退後も様々な舌禍事件を起こしてきたが、今はインタビューを受けた後にホテルの部屋へ連れ込んだとして、ロシア人女性ジャーナリストへのセクハラ問題の渦中にある。

 他にも、ズラタン・イブラヒモビッチ、ラヒーム・スターリング、アンディ・キャロル、マルコ・マテラッツィなど、名前を挙げればキリがない。カッサーノは去り際にまで話題を提供してピッチを去っていくが、狂気と隣り合わせにしたスーパープレーを見せるサッカー選手は世界中のファンを熱狂させ、お茶の間にも話題を提供する。優等生的な選手とは一線を画す問題児たちは、サッカー界における強烈なスパイスとして君臨し続ける。