アイスダンスの日本代表だったクリス・リードさんが米国で急死した。30歳という若すぎる死に関係者から悲痛の声が漏れた。AERA 2020年3月30日号では、クリスさんが日本のアイスダンスにもたらした数々の功績を振り返った。



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 アイスダンスの日本代表として五輪に3度出場したクリス・リードさんが3月15日、30歳の若さで心臓突然死のため亡くなった。昨年末に引退し、今年から関空アイスアリーナで後輩育成を始めた矢先のできごと。あまりに突然の訃報に、誰もが言葉を失った。

 母が日本人、父が米国人のクリスさん。2001年に姉のキャシーさんとアイスダンスを始め、06年には全米ノービス選手権で優勝。ニコライ・モロゾフコーチのすすめで日本代表へと移籍した。

 初めて取材したのは06年11月の東日本選手権。米国育ちの2人は、クリスさん17歳、キャシーさん19歳。色気が溢れる演技で、息もぴったりだった。これまでの日本のアイスダンスのレベルをはるかに超える勢いがあり、日本のカップル競技の未来が開けると、関係者が喜んでいたのが印象的だった。

 クリスさんの滑りは正統派で、ボールルームダンス系の曲が得意。3度の五輪シーズンには和風のプログラムにも挑戦した。バンクーバー五輪のショートは、鼓童による「さくらさくら」で着物風の衣装、ソチ五輪シーズンのフリーはゲームとアニメの音楽を使った「将軍」で、若き武将に扮した。村元哉中(かな)さん(27)と組んだ平昌五輪のフリーは坂本龍一の曲で、桜をテーマに演じたのは記憶に新しい。

 一方で、膝の怪我に悩まされた。何度も手術を乗りこえ、特別なトレーニングを繰り返しながらも、決して競技を諦めることがなかった。ソチ五輪の枠取りとなった13年ネーベルホルン杯では、サポーターで膝を支え、痛みに耐えながら出場権を勝ち取った。

 さらに驚かされたのは、満身創痍で挑んだソチ五輪後、キャシーさんが引退してもなお現役続行を決意したこと。村元さんとカップルを組み、3度目の五輪を目指した。

 新カップルは、村元さんの表現力とクリスさんのスケーティング力がマッチし、日本アイスダンスの歴史のなかでも最高のカップルに。

 18年の四大陸選手権では悲願の銅メダル。アジア人選手として初めて、国際スケート連盟の主催大会でアイスダンスのメダルを手にするという快挙だった。

「順位やタイトルを狙ったのではなく、とにかく素晴らしい演技をすることだけを考えていました。歴史的な名誉をいただけて本当に嬉しいです」

 手にしたメダルを嬉しそうに見つめていた。

 平昌五輪では日本勢過去最高タイの15位。同年の世界選手権では日本勢過去最高の11位の記録を残し、昨年、競技からの引退を表明した。

 今年1月からは、新規オープンした関空アイスアリーナで、姉のキャシーさんと共にコーチ・振付師として後輩の育成をスタート。1月には華麗な滑りを生徒たちの前で披露していた。

 死去するわずか4日前のブログでは、米国のアパートの荷物を日本に送ったことを報告。こう綴っていた。

「これからキャシーといっしょに 日本のアイスダンスをニューエイジにする あたらしい むずかしいジャーニーのはじまりです たのしみだよ!」

 身長185センチの長い手足を生かしてダイナミックに滑りながらも、演技中はあえて裏に徹して女性を目立たせる。日本と米国の魅力を何倍にも合わせた、日本を代表するアイスダンサーだった。これからも日本のアイスダンス界の発展を天から見守ってくれるだろう。冥福を祈りたい。(ライター・野口美恵)

※AERA 2020年3月30日号