指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第35回は、栄光をつかんだアスリートが2度目の頂点を目指す場合の難しさについて。



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 私のチームの選手たちは8月29、30日、今シーズン初めての大会に出場しました。東京辰巳国際水泳場で開かれた東京都特別大会です。新型コロナウイルス感染拡大防止のために無観客、一人1日1種目という制限もありましたが、最も選手が多い東京で競技会が再開できたことは大きな一歩だと思います。

 東京五輪で2大会連続の金メダルを目指す萩野公介は、久しぶりにいい泳ぎを見せました。200メートル自由形で1分48秒95、200メートル個人メドレーは1分58秒20。どちらも自己ベストに3秒以上及びませんが、本人が「復帰後では一番いい。次につながる」と話した通り、確かな手応えをつかんだレースでした。

 五輪の金メダル獲得という子どものころからの夢を達成した選手が、もう一度、新たな目標・目的を見つけて、また同じように頑張っていくというのは、非常に難しい。

 この難しさは、頂点に立った選手でなければわからない。初めてそう実感したのは、アテネ五輪で二つの金メダルを取った北島康介が次の北京五輪に向かうときでした。

 北島は北京でも2冠を果たして成功を収めましたが、そのプロセスではモチベーションが上がらなかったり、練習で思うように泳げなかったり、アテネまでとは違う困難な状況が続きました。大きな大会ではほぼ期待通りの結果を出してきたので、順風満帆に進んできたように見えるかもしれませんが、五輪2大会連続2冠は多くの苦労を乗り越えた結果でした。

 4年前のリオ五輪以降、萩野と取り組んできたのは、2度目の頂点に向けてもう一度、心を奮い立たせるという難しい挑戦です。

 不振からの休養をはさんで昨年8月に復帰して以来、問題点を一つひとつ話し合って解消していく中で、徐々に泳ぎがよくなってきました。自分がどういうことに悩んで、悩みから脱出するのにはどうしたらいいかというのが、最近になってようやくわかってきたようなところがあります。

 去年の秋から冬にかけて「結果を出さなきゃいけない」というプレッシャーから、レースに出場すること自体に恐怖感に近いストレスがあったように見えました。レースが終わった後の虚脱感も大きかった。それが今回の大会では、まったく違っています。泳いだ後に達成感を口にし、久しぶりに実戦に出る喜びがありました。不振の長いトンネルに出口の光が見え始めた中でのレースだったので、記録には表れない充実感があったのだと思います。

 1回目の成功の坂を上っているとき、選手の心の中には夢と希望しかありません。しかし、キャリアが長くなって成功体験を重ねると、それに隠れた失敗もたくさん経験します。栄光をつかんだアスリートが、おじけづいて前へ進めなくなることだってあるのです。

 長くコーチをやっていると選手とともに高揚感を感じることもあるし、一緒に絶望感を感じることもあります。萩野が実戦でつかんだ自信を、次にどうつなげるか。しっかり考えていきます。(構成/本誌・堀井正明)

平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる──勝負できる人材をつくる50の法則』(朝日新聞出版)など著書多数

※週刊朝日  2020年9月18日号