指導した北島康介選手を始め、東京五輪で1大会2個の金メダルを獲得した大橋悠依選手など、数々の競泳選手を育てた平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第82回は、「リスタート」。

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 東京五輪の競泳が終わって1カ月半、ホームの東洋大のプールで水泳部を指導する、いつもの日常がようやく戻ってきました。

 日本水泳連盟の競泳委員長と日本代表のヘッドコーチを兼任したここ数年は、所属の選手たちの指導に加えて、いつも全体のことを考えていました。すばらしい経験をさせてもらいましたが、その責任を果たすためにあえてやらなかったことも、たくさんあります。コロナ禍の前から大学水泳部の同期と焼き鳥屋に行く機会も減っていました。

 競泳委員長、ヘッドコーチの任期が終わり、今考えているのは、これまでの衣を脱ぎ捨てて、リスタートすることです。東京五輪は過去のものとして、もう一度、初心に戻って目の前の選手を一生懸命コーチングしていくことが必要なのでは、と思っています。

 水泳部は毎日毎日、いろんなことが起きます。部員と話し合い、解決策を探っていく。ゆっくり休んでいる暇はありませんが、学生と向き合っている時間が楽しい。選手の競技レベルとは関係なく、頑張って練習に打ち込む選手にこたえてあげたい。人のために働いているマネジャーとコミュニケーションをとって、よりよいチームを作っていきたい。大学生の部員と話していて、「へえ、こいつ成長したなあ」と感じたり、私のほうが勉強になったりすることもあります。じっくり部員と向き合うこういう指導は、しばらくできていなかったような気がします。東京五輪の重しが外れたのは大きいと思います。

 五輪の4年サイクルで見ると選抜した選手を強化する特別な体制は最後の1年間です。東京五輪でいえば2019年秋から20年8月まで。それがコロナ禍で大会が延期になり、強化体制が1年延びました。これは選手、コーチにとって厳しい状況でした。特別な環境がずっと続くと、特別ではなくなってしまうのです。

 04年アテネ五輪で北島康介が二つの金メダルを取った後、再始動するときは本拠の東京スイミングセンターでジュニアの選手と一緒に練習しました。いつも戻れるベースがあるという安心感は、選手にとって大切なように思います。

 強豪国の豪州は12月の世界短水路選手権(UAE・アブダビ)への派遣を取りやめたと聞きました。選手だけではなく、コーチやスタッフも五輪で長期間ホームを離れて、代表チームとして行動してきました。さらに年末も世界短水路でホームを離れることの負担の大きさを配慮したのでは、と受け止めています。

 簡単に言うと、「おうちへ帰ろう」です。特別な体制を取って挑戦した目標の大会が終わったら、次に進むために、選手は一度ホームに帰ってリセットする必要がある、と思います。

 指導者も同じです。このまま突っ走って3年後のパリ五輪に向かう選択肢もあるかもしれませんが、東京五輪までのやり方で間違いなかった、と言えるコーチは少ないと思います。ホームに戻って、ゼロからコーチングのやり方を見直す時間を持ったほうがいい。家族と過ごしたり自分の趣味を楽しんだり、私生活も大切にする中で、「もう一度、五輪に向けて戦いたい」という気持ちがわき上がってきたら、新しい服を着てチャレンジすればいい。私自身、そう考えています。

(構成/本誌・堀井正明)

平井伯昌(ひらい・のりまさ)/東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる』(小社刊)など著書多数

※週刊朝日  2021年10月1日号