フィギュアスケートの羽生結弦が7月19日、競技の世界からの引退を発表した。高くて美しいジャンプと人を魅了する芸術的な表現力で、五輪金メダル連覇という偉業を達成した。人間が審査するフィギュアスケートだが、国際スケート連盟(ISU)は、今シーズンの開幕を前に、大幅なルール改定を発表した。今後のフィギュアがどう変わっていくのか聞いた。

 2014年の世界選手権の銀メダリストで、現在、国学院大学人間開発学部健康体育学科助教の町田樹さんが、フィギュアスケートの解説番組「町田樹のスポーツアカデミア〜フィギュアスケートが求める理想のルール(JSPORTS、生放送)」で、フィギュアスケートの関係者らと議論しながら解説した。

 町田さんは今回のルール改正で、シニアの国際競技会参加年齢の引き上げ(現行の15歳から段階的に24〜25年シーズンまでに17歳に引き上げる)や、演技構成点の項目が減ることなどに注目した。

 番組内では、ISUテクニカル・コントローラー(国際スケート連盟認定の技術役員)の岡部由紀子さんに改正の意図と影響について聞いた。

 まず、シニアの大会に出場できる年齢の引き上げについて、岡部さんは、

「年齢とともに筋力がついてくる男子と違い、女子の場合、難易度の高いジャンプは比較的体が細いうちの方が飛びやすく、15歳までにやってしまおうとします。ケガの懸念から、ISUの理事会でも何年も前から年齢の引き上げの議論がありました」と話す。

 たしかに女子の場合、リレハンメル五輪(1994年)のオクサナ・バイウル(ウクライナ/16歳)以降、歴代女子シングルの金メダリストはトリノ(2006年)の荒川静香以外はすべて10代だ。(年齢は当時)

 長野(1998年)のタラ・リピンスキー(米国/15歳)、ソルトレークシティー(2002年)のサラ・ヒューズ(米国/16歳)、バンクーバー(10年)のキム・ヨナ(韓国/19歳)、ソチ(14年)のアデリナ・ソトニコワ(ロシア/17歳)、平昌(18年)のアリーナ・ザギトワ(ロシア/15歳)、北京(2022年)のアンナ・シェルバコワ(ROC/17歳)。

 北京では銀メダルのアレクサンドラ・トルソワ(ROC/17歳)や、金メダル候補とされたカミラ・ワリエワ(ROC/15歳)も10代だ。ROCの3人は、いずれもプログラムの中に4回転など高難度のジャンプを組み込んでいた。

 岡部さんはこうした点を踏まえ、

「年齢を引き上げることによって、スケート自体の良さが出てくるのではないかと。成熟したスケーターがより長くトップに君臨することによってファンもずっと長く楽しめるのではないでしょうか」

 と話した。

 次に演技構成点の変更について。

 フィギュアスケートは、ジャンプ、スピン、ステップなどの「技術点(エレメンツ)」と「演技構成点(プログラムコンポーネンツ)」の合計得点で競う。今回のルール改正で、これまでの演技構成点の5項目が、3項目に変更となった。

 岡部さんは、

「ジャッジが見るところは今までと変わりませんが、オーバーラップしたところを精査し、まとめたことによって、ジャッジがよりシンプルに採点できるのではないでしょうか」と説明する。

 町田さんは、

「確かに岡部さんのおっしゃる通り、演技構成点の採点項目が大幅に削減されたわけではなく、整理整頓されたというのが正しい解釈かと思います。ただし、私が今回の改正で少し気になったのは、『美的価値』の評価基準に対して、『芸術的価値』をめぐる評価基準の比重が、旧ルールよりも軽くなったと感じられるような規則文面になっていることです」

 と指摘し、こう続けた。

「実は、美学の領域において、『美しさ』には2種類あるとされています。一つは『美的価値』、もう一つが『芸術的価値』です。『美的価値』は、何が美しいのかという理想が明確に定義されていて、その理想にいかに近いか遠いか、で評価することができる美しさになります。たとえば、ジャンプの美しさ(ジャンプが高いか低いかで評価)、ポジションの美しさ(決められた通りのポジションになっているかどうかで評価)、リズム感(音のリズムに適合しているか否かで評価)、などがそれに該当します」

 つまり、「美的価値」は何が良くて何が悪いかという価値判断がしやすいという。

 それに対し、「芸術的価値」については、「芸術史との関係性によって立ち上がるものです」とし、こう説明する。

「たとえば、バレエ『白鳥の湖』をモチーフにして、白鳥であるオデット姫の憂いを表現するという演技が展開された際に、バレエの原作を知っているか否かで、その演技の見え方や評価は変わってしまいます。フラメンコの舞踊様式を踏襲した演技の芸術的価値について適切に評価を下すためには、フラメンコをめぐる舞踊や音楽をはじめ、スペイン文化に関する理解が必要になります。『芸術的価値』を判断するためには、広範な芸術に対する知識や教養が必要になってくるのです。今回の改正を見ると、少し芸術的価値をめぐる評価基準が簡素化され、美的価値に比重が傾いていっている印象を受けました」

 さらに、採点するジャッジの側についても提案する。

「採点基準が競技や演技のあり方を大きく左右する大事な要素であることは当然ですが、誰がその基準を運用し、演技を採点するのか、ということも重要です。先ほども言及しましたとおり、『芸術的価値』を評価するためには、それ相応の知識や教養、経験が必要になります。ですので、どのように評価者の審理眼を育んでいくのか、あるいは、これからのフィギュアスケートのジャッジには、どのような知識が求められるべきなのか、ということをしっかり検討して、演技構成点を的確に評価できるジャッジを養成していくことも大事な課題になると考えています」

 曲の理解という点でいえば、バンクーバー五輪8位入賞の小塚崇彦さん(トヨタ自動車)は、

「音楽と技術の融合で、人に感動を与えるのがフィギュアスケートだと思う」

 と話す。

 16年のアイスショー「カーニバルオンアイス」の場。布袋寅泰さんの生演奏「ギターコンチェルト」の曲に合わせて、なめらかなスケーティングを見せ、優雅なトリプルアクセルで観客を魅了した。曲に後押しされたのが大きいという。

「あの時は、失敗する気がしなかった」

 芸術的評価の高い小塚さんだが、現役時代は意外にも「ジャンプは得意ではなかったので、電卓をたたいて得点を伸ばしたタイプ」だったという。

 そのときにもっているジャンプやスピン、ステップなどの規定の技術をどう組み合わせれば得点が稼げるのか、ルールを理解し、卓上で計算し、得点を出せるよう常に考え、都度のルール改正に対応してきたという。

「ルール改正に合わせて、自分の持つパズルを増やして、全体を広げつつ、あてはめていくような作業です。(現役時代は)それに早くから気づけて、点数が伸ばせました。銀メダルをとった世界選手権(2011年)のフリー演技で、4回転ジャンプは1回しか跳びませんでしたが、技術点は100点近い点数が出ました。本番の出来も大事ですが、どういう構成だったらレベルが上がって得点が伸びていくのかを緻密(ちみつ)に計算したからこその結果です」

 毎回五輪シーズンの後には、大きめなルール改正があるという。

 今回のルール改正で小塚さんが感じたのは、技術的な評価の明確化だけでなく、芸術的視点も検討されている点だという。

「全体を総括すると、これまでのルール改正とやるべきことは同じ。人間ができるジャンプは5回転までといわれています。ジャンプの技術はもう限界に近づいてきている印象を受けます。どこを磨いて少しずつ技術点を上積みするかです。ジュニアでは、その技術点の中につなぎの美しさを見せる『コレオグラフィックシークエンス』が入りました。ジャッジの意識(採点の配分)が、技術に傾いたというものではなく、どちらかというと芸術点に傾いていっているのでは、というのが僕の見解です」

 その上で、こう付け加える。

「それはフィギュアスケートとして残すべきことなので、よいことだと思います。そうでなければフィギュアスケートというスポーツが、ただのジャンプ大会、技術大会になってしまいます」

 そして、AIによる採点についても指摘する。

「採点の上では、AIの話もでていますけど、それは回転数といった人間が見落としてしまう部分を補足するものであれば問題ないと思います。ただ、人の感情に訴えるものはどこまでいっても人間が評価すべきものだと思います。人間が判断するからこそ面白い。全てをAIに判断させるというのが、果たしてフィギュアスケートといえるのだろうか、という疑問があります」

 競技であり芸術でもあるフィギュアスケート。知れば知るほど奥深い。ルールが難しいスポーツだが、今回の改定を機に、理解を深めて楽しみたい。

(週刊朝日・大崎百紀)

※週刊朝日オンライン限定記事