JR東日本・総武本線の両国駅には、各駅停車が発着する1・2番線ホームのほかに、一段低い位置に普段列車が発着していない頭端式ホームがある。その奥にも駅の敷地が広がっているばかりでなく、古めかしく大きな駅舎もなにかいわくがありげだ。そこで両国駅の今昔を探ってみると……。



*  *  *
■いつものホームに隣り合う古びたたたずまいの3番線ホーム

 両国駅は、JR総武本線の主要駅のひとつで、両国国技館の最寄り駅としての通りがいいかもしれない。通常は総武線各駅停車のみが停車、「新宿わかしお」や「あずさ」など特急の乗り入れはあるものの、いずれも通過となっている。また、都営大江戸線に同名駅があり乗り換え駅として機能している。

 こうして見るとごくありふれた駅なのだが、総武線各駅停車が発着する1・2番線ホームに隣接して、もう1本のホームがあり、なにやらナゾめいた雰囲気を醸しているのだ。「3番線」の表示はあるものの、ホーム上には売店はおろかベンチすらなく、列車はおろか乗客の姿を見かけることもほとんどない。ホームは浅草橋側に構える駅舎の手前で行き止まりになっているので、千葉方面への列車しか発着できないハズだ。

 実は、この3番線ホームは両国駅が房総方面へのターミナル駅だった時代の名残り。一部で「幻のホーム」とも呼ばれているが、かつては6番線まで3本の頭端式ホームが並び、安房鴨川や銚子など房総各地に向けて多数の列車が発着していたのである。

■房総の都心ターミナルとしての地位を築いた

 両国駅が開業したのは1904(明治37)年4月。JR総武本線の前身である総武鉄道による開業で、当初は「両国橋」を名乗っていた。両国橋開業以前の総武鉄道は、本所(現・錦糸町)を起点に銚子とを結んでいたほか、佐倉で成田鉄道(現・JR成田線)と接続し本所〜成田間の直通列車などを運行していた。

 そうしたなか、総武鉄道は都心に向けての延伸を計画したものの、現在の両国〜浅草橋間に流れる隅田川に行く手を阻まれる形で両国橋駅を設置。房総方面への旅客のみならず、隅田川の船舶などとリンクした貨物ターミナルとしても賑わうこととなったのである。また、開業直後から1910(明治43)年までは、東武鉄道亀戸線の乗り入れも実施されていた。まさに一大ターミナルである。

 総武鉄道は1909(明治42)年に国鉄総武本線となり、31(昭和6)年に両国橋駅が両国に改称。隅田川に架かる隅田川橋梁は32(昭和7年)年に竣工し、翌33年から総武本線と中央本線との直通運転がはじめられている。この開業によって、旅客・貨物ともに盛況を迎えていた両国駅は、隅田川以西と房総方面とを結ぶ乗り換え駅としても機能するようになったわけだ。一方で、優等列車の一部は新宿発着も設定され両国にも停車していたが、のちに通過扱いとなっている。

 現在、房総方面の主要路線は総武本線と成田線、外房線と内房線の4系統からなっている。この路線網は1933(昭和8)までに成立しており、両国はそのターミナル駅として優等列車だけでなく普通列車も発着していた。

 1965年4月ダイヤを見ると、定期列車は1日13本で、うち10本が準急列車となっている。意外と少ない印象もあるが、これは新宿・両国〜千葉間で総武本線の「犬吠」と成田線の「水郷」、外房線の「外房」と内房線の「内房」がそれぞれ併結運転となっていたこともある。当時の総武本線は両国〜千葉間といえども複々線化はされておらず、線路容量との兼合いもあったのかもしれない。一方、当時の房総各線は夏休み時期に海水浴客対応の「夏ダイヤ」が組まれ、両国発の臨時列車も多数設定されていた。

■房総各線の電化を期に衰退が進む……

 両国駅にとって大きな転機となったのは総武本線・千葉〜錦糸町間の複々線化および房総各線の電化であった。新設された快速線は両国駅の錦糸町側で地下に入るが、その工事のため貨物用地が撤去されることとなり、1970(昭和45)年に貨物の取扱いが廃止されている。

 複々線化は1972(昭和47)年7月に完成。同年の外房線につづき74年に総武本線の佐倉〜銚子間と成田線の成田〜松岸間が電化したことによって房総主要4線の電化が達成された。しかし、総武本線のターミナルは東京駅の地下ホームとなり、電化後の各線には特急が新設されたものの、両国発着特急は設定されなかったのである。76年7月ダイヤでは急行のみが10本という状態で、優等列車の本数は65年4月と変わっていないように見えるが、これは当時の急行用車両(165系・163系)がATC(保安システム)の関係で東京地下駅に乗り入れられなかったため両国発着となったと考えられる。輸送の主力が特急に移ったあとの両国の実態であった。

 1982(昭和57)年11月に房総各線の急行が廃止されたものの、両国発着列車の全廃は逃れ、特急の3往復が両国発着となった。しかし88(昭和63)年にうち2往復が撤退、残るは「あやめ9・8号」1往復のみとなってしまった。「あやめ8号」が17時18分に両国に到着、「あやめ9号」が鹿島神宮に向け19時18分に発車するというダイヤだった。しかし両国からの乗客は数えるほどで、「成田エクスプレス」がデビューした91年3月、この最後の定期特急も東京発着に改められて両国から姿を消したのである。

■旧設備の活用などによって駅の魅力を発信

 3番線ホームは両国駅3番線ホームはその後も用いられてきた。房総方面に残されていた新聞輸送列車が両国を基地としていたためである。しかし、その最後の定期列車も、館山自動車道の開通など房総の道路事情が改善したのを受けて2010(平成22)年に任務を終了。ついに3番線の灯が消えることとなった。
 
 その後の3番線は団体列車や臨時列車に用いられ、2018(平成30)1月にはサイクルトレイン「BOSO BICYCLE BASE」のターミナルとして活用されることとなった。改札を通らずに道路と3番線とをつなぐ専用通路を設けるなど、新たな試みを取り入れてのデビューである。

 また、旧駅舎の積極的な活用も進み、1996(平成8)年に「ビアステーション両国」が開業。2016(平成28)年には複合飲食施設「−両国−江戸NOREN」として発展を見せた。3番線ホームはイベントで貸し出されるケースもあり、第一線を退いたもののまだまだ活躍し続けている。(文・植村 誠)

植村 誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など。