写真家・篠山紀信さんの集大成といえる作品展「新・晴れた日」が6月1日から東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催される。篠山さんに聞いた。



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 インタビューをお願いしたものの、困った。

 というのも、ほかの写真家と違って、篠山さんの場合、撮影対象があまりにもばらばらで、どう話を聞けばいいのか、うまく思い描けなかったのだ。ところが、そう思っていたのは私だけではなかったらしい。

 開口一番、篠山さん本人が「今回は60年間の写真を展示するわけだから、もうテーマがばらばら。おそらく世界中、こんな展覧会はほかにないんじゃないかな」と言うのだ。

■「写真の墓場」でどうですか?

 さらに、「まあ、なんていうか……作品の死体置き場というかね。美術館というのはだいたいそう言われるんですよ。写真というのは、生き生きしていないとダメだ、という感じじゃない? ところがそれを、わざわざ写真の美術館でやるというのは、写真の死体を並べて見るみたいで嫌だな、と。ははは。若気の至りというか、昔、そういうことを平気で言っていた。そういうやつが東京都写真美術館で写真展をやるのは、相当、批判されるんじゃねえかな、と」。

 1940年生まれの80歳。でも、昔からちっとも変わらないというか、いつもの篠山節が全開だ。

「まあ、篠山も歳をとって、ちょうどいいから『写真の墓場』だなと。ははは。そういうことですよ」

 この話、最初は冗談だと思って聞いていたのだが、真顔で東京都写真美術館の担当者に提案したらしい。

「で、『写真の墓場』というタイトルでどうですか? って言ったら、『いやー、それはちょっと』って」

 それはそうだろう。担当者の困りきった顔が目に浮かぶ。

「ぼくは、写真をバカにしているわけでもないし、本気で、そういうことじゃないんですかね、と提案したんです」

 しかし、やんわりと断られてしまい、どんなコンセプトで写真展を開催するか、考えた。
■「もう何でも撮っちゃう」

 そこで思い浮かんだのは『晴れた日』(平凡社)という古い写真集だった。黒い本のカバーには「破天荒な試み。かつてない写真集 遂に成る」と、大きな文字が躍っている。

 この写真集はもともと74年に「アサヒグラフ」に連載された「篠山紀信を本誌特派 しのやまきしんのニュースページ」をまとめたもの。篠山さんは昔のファイルを引っ張り出すと、連載当時のページを開いて見せてくれた。出だしにはこうある。

<篠山紀信です。新聞やテレビでニュースを見聞きするたびに、ああオレもあの現場に立ち会いたい思っていました。今週号から、しばらく、ニュースを追っかけて写真をとりまくります>(74年5月3日号)

「毎週毎週、ありとあらゆる話題のテーマをピックアップして、撮って、提供していく」、この連載のコンセプトが「もう何でも撮っちゃう篠山紀信という写真家の性格がいちばん出ているんじゃないか、これで展覧会ができるんじゃないか」と、思った。

「つまり、これは半年間の連載ですけれど、同じように60年間のぼくの作品をピックアップして、並べれば篠山という写真家がよくわかるんじゃないか。そう提案したら、『まあ、墓場よりはいいんじゃないでしょうか』ということで、今回の写真展タイトルが『新・晴れた日』に決まったわけ」
■まぎれもない時代のドキュメンタリー

 ファイルを手に取り、パラパラとめくると、いやー実に懐かしい。第一回は「参院選タレント候補図鑑」。

「黄色や赤のカラフルな背景紙を持って、いろいろなタレント候補のところに行って、特写させてもらったんですよ。選挙でほんとに忙しいときにね」

 その一人、青島幸男は涼しい笑顔でこう語っている。「参議院ていうのはね、野坂昭如とか大橋巨泉とか篠山紀信みたいのがいっぱいいてね、(中略)あなたも出ませんか」。

 連載タイトルを並べてみると、「モナリザ過美の罪」「『堀江マーメイド』266日で地球ひと回り」「絶叫する『青嵐会』」「財界総理 土光敏夫」「輪島功一のラストラウンド」「劇写愛と誠」「オノ・ヨーコからのメッセージ」「4番・サード・長嶋」「ファントム襲う」、などなど。

「これはやっぱり、『時代のドキュメンタリー』ですよ。グラフ雑誌がちゃんとあって、ある程度の部数が出ていたから、こんな連載を篠山にやらせてみようとか、無謀な考え方が出てくるんですよ」

 ちなみに、「アサヒグラフ」を出していた朝日新聞社の出版写真部員からは「あんな撮り方でいいのか?」と、相当文句が出たらしい。要するに「売れればいいのか、篠山の名前じゃないのか?」と。

「そういう批判って、必ず出るんですよ。ぼくの場合はね。批判は全部受けますけど。まあ、ふつうの人はこんなことを60年もやってられないでしょう。生きていけないですよ。食えなくなっちゃう。ははは」
■写真家の欲望を世間が許してくれた

 篠山さんが写真家の道を歩み始めた60年前、日本は敗戦から復興し、高度経済成長期の真っ只中にあった。

「戦争でぼくの家もお寺(篠山さんは新宿区にある円照寺の住職の次男として生まれた)もまる焼けになりました。ほんとうに貧乏だったけれど、そこから立ち直って、日本が元気になっていく。いけいけドンドン、熱い時代だったんですよ。そこでね、写真家になろうなんて、間違った考えを起こして、ついついこんなに長くやっちゃった」と、ちゃめっ気たっぷりに語る。

「つまりそれは、『時代の波に乗ってきた』ということですか?」とたずねると、即答で、「波に乗るというより、やっぱり、欲望の果てだから」と言う。

「結局、ぼくが写真家になった動機は何かというと、そういう自分のなかに渦巻いている欲望を見てみたい、近くに行って撮ってみたい、ということなんです。アートとして、芸術として撮ろうとか、思ってない」

 写真としての表現の前あるもの、それは「見たい」という欲望という。

「『見たい』という目の欲望が体中にみなぎっていた。その欲望を満たすために写真を使う。ありとあらゆる写真の技法を使ってやる。そういう野心があった。ま、若かったからね」

 さらに、こうも言う。

「時代がさ、写真を受け入れてくれたんだよ。ほんとうに身勝手な写真家の欲望、撮りたいっていう欲望を世の中が許してくれた。やれ、やれと、世間があおっていた時代だもの」

 そこで、声をひそめる。

「ところが、いま、みんな、『これはアブナイんじゃないですか?』と言うんだから」
■被災地の風景に感じた美しさ

 今回の展示を締めくくる作品の一つ、「ATOKATA」を発表した際も周囲からこうくぎを刺された。

「この作品についてはあまりしゃべらないほうがいいですよ」

 写っているのは多くの写真家が訪れた東日本大震災直後の東北地方沿岸部。しかし、篠山さんのような視点で写した作品は見たことがない。

「当時はほんと、何にもわからず、現場に行ったんですよ。とにかく、見たことのない光景だった。初めは、撮ってもいいのかなとか、撮ることに意義があるのかな、と思ったり、おびえたり。でもね、結局、4回行くんです」

 何が篠山さんを引きつけたのか?

「こんな言い方をすると、被災者に対して失礼な言い方かもしれませんけれど」と前置きしたうえでこう語った。

「なんか、すごい光景、というのを通り越してね、美しさというものを感じたんですよ。最初は無残で、残虐な風景だと思ったけれど、それがだんだんと、自然が自らを壊し、つくり出した新しい風景じゃないかって。こんなふうに自然は新しい世界をつくり上げていくんだなと」

 さらに、「現代美術の美術館の中を歩いているような気もした」。

「ほんとうにそうなんですよ。いや、現代美術の作家は負けているなと思った。こんなにすごいことできないじゃん、と」

 自然を畏怖する気持ちとともに、尊大ともいえる自然の力、偉大さを感じた。

「それを撮っておきたいな、と思って、シャッターを切ったのがこの作品。でも、褒めてくれた人はほとんどいませんよ。やっぱりね、社会の風潮には反するだろうし」
■「家宅捜索に入られたりもしますよ」

 そこで思い出したのが以前、同行取材した際、東京都写真美術館の前でヌードを撮る篠山さんの姿だった。周囲の目が気になり、ヒヤヒヤした。

 そんな思い出話をすると、「もちろん、法に触れるということとか、それを破るとか、そういうことは目的にはやっていませんよ」と話す一方、「ここまでだったら許してくれるだろうとか、見逃してよ、とか、どこかでそう思いながら、撮っていた」と漏らす。

「でもね、長いことやっていると、一度やそこらは家宅捜索に入られたりもしますよ。それはしょうがない。そういうときは謝る。罰金も払うの」
 そう言うと、顔をほころばせ、お茶をすすった。

「やっぱり、篠山というのは、時代が生んだ、変な写真家なんですよ」

(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】篠山紀信写真展「新・晴れた日」
東京都写真美術館 6月1日〜8月15日