わずか数年で物価が何十倍にも高騰する社会。南米の国ベネズエラで、人々は今、「ハイパーインフレーション」に苦しんでいる。ある家族の日常を追った。

 世界一の原油埋蔵量が確認されているベネズエラは、天然ガスや鉄鉱石などにも恵まれた資源大国だ。ギアナ高地のエンゼルフォールに代表される美しい自然でも知られる。そこで暮らす人々が今、すさまじい物価上昇が続く中で、毎日の生活を維持するのに必死になっている。

「独善的な政治による混乱と、ハイパーインフレーションによる経済危機が、国民を追い詰めている。お金がない。食べ物がない。治安も極度に悪い。人々の道徳心すらも消えていく。信じてきたあらゆる価値観が失われていく」

 そう嘆くのは、ガブリエルさん(48)。販売員として働くショッピングセンターがある首都カラカスから約20キロ離れた町で、妻と15歳の息子とともに暮らしている。

●日本の人に伝えたい

 今回、筆者はSNSを通じて、ガブリエルさんを取材した。米国に住む共通の友人から紹介されて知り合った。同じく接触を試みた他のベネズエラ人たちは、「政府のスパイが取材と偽っているのではないか」「話すこと自体が危険」などとして取材を拒否。それでもガブリエルさんは「国民の窮状を日本の人たちに伝えたい」として、ファーストネームだけの開示を条件に応じてくれた。

 ガブリエルさんの朝は早い。首都へつながる自動車道の交通渋滞がひどいため、午前5時には車で自宅を出発。妻はカラカスの教育施設で午前7時に始業、その施設が関係する学校に息子も通っているため、毎朝2人を送っている。自身の仕事が始まる午前10時までは、市場へ寄り、副収入のために毎晩自宅で作っているゼリーやケーキを売る。休日には、車磨きなどをしてさらに副収入を得ている。

 それでも妻とあわせた収入は月約60万ボリバル。公式レートでは1ドル=10ボリバルだが、ガブリエルさんによると、実際の市場では1ドル=7千〜8千ボリバルの闇レートが妥当だという。その計算だと、ガブリエル家の月収は80ドル前後。日本円で1万円以下の価値にしかならない。

 一方で物価はうなぎ登りだ。3年前は商店でフランスパンが50ボリバルで買えたが、昨年は500ボリバルと10倍になり、今年はさらに10倍の5千ボリバルになったという。ガブリエルさんは怒る。

「物価の上昇は年ごとではなく、月ごとだ。知恵を絞って副収入を得るようにしているが、どれだけ頑張っても安定した生活なんて送れるはずがない」

●デフォルト懸念の声も

 ベネズエラ政府は、2015年以降の経済指標を公表していないため、正確なインフレ率は不明だ。それ以前に公表された公式統計の信頼性も不透明であるため、国際通貨基金(IMF)などの国際機関や各国経済学者らは、闇レートを基準に独自の推計値を出すが、実態の把握は難しい。その推計値も過去5年間のインフレ率を数百%とするものから、20年には4千%になるとするものまで様々だ。

 ただ、一般的に月間インフレ率が50%を超える状態とされるハイパーインフレに、ベネズエラがすでに陥っているとみる傾向は強く、財政破綻によるデフォルト(債務不履行)を懸念する声も出ている。

 数値がどうであれ、国民の生活が一向によくならないのは事実だ。物価高騰に加え、市場に出回る食品や生活必需品が圧倒的に不足している。そのため、物品の購入日は国民ごとに決められているという。

●夜の外出は殺人が怖い

 ガブリエルさんの購入日は毎週火・土曜日、妻は水・日曜日だが、

「店には夜明け前から長蛇の列ができていて、何時間も待たされる。平日に並ぶには仕事を休まないといけない。並んでも、何が手に入るかは分からない」

 店は指定日以外には売ってくれないし、指定日であっても、牛乳や砂糖、トウモロコシ粉などは容易に手に入らない。

 治安が極めて悪いため、長時間並んで待つことは、銃撃やもめごとに巻き込まれる危険と隣り合わせだという。そのため、物品を転売する闇商人から購入する人たちも少なくない。もちろん価格はさらにつり上がる。店では800ボリバルで買えるトウモロコシ粉を闇商人は4千ボリバルで転売する。そこで物がなくなれば、別の闇商人を紹介されるが、そこでは8500ボリバルを支払うという。

「店で買うよりも何倍も支払うことになるが、列に並ぶより安全だし、購入日に関係なく、いつでも買えるため、仕方がない」

 とガブリエルさんは話す。

 午後5時ごろの帰宅後は、翌日に売るためのゼリーやケーキなどを午後10時ごろまで作り続ける。出費がかさむ外食や娯楽はあきらめている。そもそも夜間は殺人などが怖くて出歩けない。食事は一日平均2食。朝と昼の間に、トウモロコシ粉を使った生地にチーズなどをくるんだ伝統家庭料理「アレパス」を食べ、昼と夜の間にコメやパスタを食べる。鶏肉などを時々食べるのが楽しみだが、それができるのは月に計10日くらいだ。

「育ち盛りの息子に十分な食べ物を与えられないのが悲しい。息子の将来を考え、多くの人がそうしているように、国外へ逃げる選択肢もあるが、それには資金が必要だ。国の権力者は国民の生活を守ってくれない」

 経済だけではなく、政治も混乱を極めている。マドゥロ政権下、無理な価格統制や主要輸出品である原油の価格下落が経済の悪化を招いたと言われているが、その対応に国際社会が介入することを極度に嫌い、国際支援や協力を得る環境にはない。

●心の澄んだ人たちの国

 15年12月の総選挙で3分の2の議席を獲得した野党との間では政治対立が激化し、今年4月以降、反政権デモが各地で発生。欧米メディアによると、治安部隊との衝突などで、これまでに少なくとも70人が死亡している。その状況を米ニューズウィーク誌は「ほぼ内戦状態」と描写している。

「生き続けるため、毎日が戦いだ。教育や医療なども機能していない。国民の生活を尊重しない政権が全ての元凶だ」とガブリエルさん。それでも希望は捨てていない。日本の人たちにぜひ伝えたいことがあるという。

「危機に直面し、悪い印象ばかりが目立つが、私の母国は本来、美しい自然に囲まれ、心の澄んだ人たちが暮らしてきた国だ。この国の人々の良心が、いつか本来の国の姿を取り戻す原動力になると信じている」

 年率2%のインフレ目標も達成できない日本にいると、物価が何十倍にもなるようなハイパーインフレが現実に起こりうること自体に驚く。人々の苦しみは想像以上だろう。それだけに欧米では深刻な問題として頻繁に報じられているが、日本ではあまり取り上げられない。

 日本と関係がない国ではない。日本の外務省によると、同国へは日本企業22社が進出し、昨年10月現在で409人の在留邦人がいる。危険を覚悟してまで実名で取材に応じてくれたガブリエルさんの勇気に応えるためにも、ベネズエラ国民が直面する窮状に、日本でも関心が高まることを願う。(編集部・山本大輔)

※AERA 2017年7月31日号