イスラエル・エルサレムの新市街と旧市街をつなぐあたりに、白い立派なロシア正教の聖三位一体大聖堂(ホーリートリニティ大聖堂)があります。最近このあたりを歩いていると、巨大な複合施設が新しく建設されていることに気づきます。 2022年に完成予定の、イスラエルを代表する芸術とデザインの教育機関「ベツァレル芸術デザイン学校」の新しいキャンパスです。実はこの建築物には、日本とイスラエルとの密かな関係があります。その関係とは、この建物は東京を拠点とする建築事務所「SANAA」によって設計されているのです。

 SANAAは、建築家の妹島和世氏と西沢立衛氏によって1995年に設立されました。彼らの作品は自然から着想を得たデザインで知られており、同時に繊細で力強さも表しているのが特徴です。注目すべき作品には、熊野古道なかへち美術館、金沢21世紀美術館、米国オハイオ州トレドにあるトレド美術館のガラスパビリオン、ニューヨークにあるニューミュージアム・オブ・コンテンポラリーアート、東京の表参道にあるクリスチャンディオールビルなどがあります。その功績により、妹島氏と西沢氏は2010年に建築のノーベル賞とされるプリツカー賞を受賞しました。

 今回日本の建築家が選ばれた理由の一つは、三つの宗教の聖地であり、いろいろな民族が建設してきたエルサレムの街で、極東の地、日本の建築スタイルはまだ見ぬ新鮮さを与えるからでしょう。日本の建築は、イスラエル人にとってエキゾチックな感じがするのです。もう一つの要素は、従来の美術品には、西洋ではキリスト教的な影響、中東ではイスラム教的な影響がありました。そんな理由からユダヤ人は宗教を離れた近代美術や現代美術を好む傾向もあり、日本美術のテーマである純粋な自然美はユダヤ人のテイストに合うのだと思います。そして現代の日本の工業デザインや建築は世界で注目されています。

 新しい「ベツァレル・キャンパス」は、「ロシア地区」と呼ばれる広いエリア内に建設されています。「ロシア地区」は1860年、ロシア皇帝アレクサンドル2世によって開発され、エルサレムを訪れるロシアの巡礼者に奉仕するための宿泊施設や祈祷のための大聖堂などが建てられました。当時エルサレムを支配していたオスマン帝国は、両国間の関係の友好化の一環として、ロシアが聖地エルサレムでの存在感を高めることを許可しました。現在でも、モスクワの赤の広場の大聖堂をモデルに1872年に建てられた印象的な大聖堂や、新たに改装されたホテルなどがあり、その一部はエルサレムの公共施設として使われています。

 イスラエル国家が樹立される42年前の1906年に設立されたベツァレル芸術工芸学校は、世界で最も権威のある美術学校の一つです。 100年以上にわたり、イスラエルおよび世界で、芸術家、デザイナー、建築家の先駆者となる卒業生を、何世代にもわたって育ててきました。現在のベツァレルには、美術、ビジュアルアーツ、建築、陶磁器・ガラスのデザイン、工業デザイン、ジュエリー・ファッションデザイン、写真、ビジュアルコミュニケーションの学部と大学院の学位をめざして勉強している2000人以上の学生がいます。

 一流の「ベツァレル芸術デザイン学校」の新しい建物を設計することは簡単ではありません。SANAAの提案は、複雑な審査を経なければなりませんでした。建設依頼者の期待は、”エルサレムの長い歴史をカプセル化すると同時に、新しい革新的な構造と空間を導入し、変化を刺激するキャンパスを設計すること”でした。キャンパスは歴史的な教会の近くにあり、それらを覆い隠すことはできません。また、エルサレムの市庁舎やその他の大きな公共施設にも非常に近く、彼らと対話する必要があります。さらに、エルサレムの歴史的な景観を維持するために、全体の構造は5階以上の高層建築もあり得ませんでした。もう一つの重要な制約は、エルサレムのすべての建物はエルサレムストーンの石壁で覆われていることが義務づけられていることです。

 SANAAは、これらの要望としてのエルサレムの建築史に適応するだけでなく、新しいものを導入しようとする気持ちを表現したキャンパスを設計しました。この目的のために、SANAAチームは、エルサレム市長、ベツァレルの関係者、エルサレム都市計画委員会、また周辺地域の建物の所有者などと集中的な対話を行いました。エルサレムの歴史、都市に住む人々、そして関連する建設法について学んだうえで設計する必要があったのです。

 テルアビブの建築事務所「ニル・クッツ・アーキテクツ」のオーナーである建築家アリエ・クッツ氏は、SANAAチームの現地パートナーとして、当局(特別都市計画)の許可を得て、計画の初期段階からプロジェクトに同行しています。クッツ氏によると、SANAAチームはキャンパスのニーズとさまざまな制限に非常に順応しており、イスラエルとその文化について知りたいという強い要望を示したそうです。

 クッツ氏は東京工業大学大学院を修了し、日本語が堪能です。このプロジェクトに取り組むことは、非常に特別なことだと話してくれました。イスラエル日本親善協会会長を務め、2016年には旭日中綬章を受章し、イスラエルの大学で日本建築を教えているクッツ氏にとって、彼の仕事を通じて日本とイスラエルをつなぐチャンスでした。

 新しい建物は全体で6階建て(地上4階・地下2階)になります。建物は、エルサレムの山岳地形に似せて徐々に積み上げられたコンクリートの板をベースにしており、自然光がさまざまな方向から入ります。建物全体に外壁はありません。薄いガラスで覆われ、建物の内部からエルサレムのパノラマビューを提供すると同時に、外部を通過する人々が建物の内部を見ることができます。この外部とつながる廊下部分は、日本の家にある縁側の感覚を作り出すためのものです。そしてエルサレムの旧市街の石壁と対話するように、内壁は、エルサレムストーンで覆われます。

 40万平方フィートのキャンパスには、図書館、ギャラリー、ワークショップ、教室、スタジオ、オフィス、講堂、カフェテリア、ショップがあります。新しいキャンパスは、学科と学科のコラボレーションを促進し、社会や文化の面で都市の生活に積極的に関与していくことを可能にします。いくつかのギャラリーやスタジオは、ユダヤ人、イスラム教徒、キリスト教徒の出会いを促進する目的で一般に公開され、街の多文化性に貢献する予定です。

 日本の建築は過去数十年で広くグローバル化されてきました。丹下健三、黒川紀章、安藤忠雄、隈研吾、坂茂、伊東豊雄などの有名建築家や、藤本壮介、石上純也、佐々木勝敏などの新世代の建築家が含まれます。 SANAAは、イスラエルで大きなプロジェクトを設計した、日本で最初の建築事務所です。うまくいけば、より多くの日本の建築家がこの後に続いて、世界のこの地域に興味を持ち、イスラエルの建築家やデザイナーと協力するようになることでしょう。

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。