過日、今年のノーベル賞が発表された。ご存知のとおり、科学3賞は、医学生理学賞が、C型肝炎ウイルスの発見、物理学賞が、ブラックホールの発見、化学賞が、ゲノム編集技術、とそれぞれ前評判が高かった研究が受賞した。選考委員会が、今年勃興したウイルス問題をことさら意識したわけではないだろうが、ミクロ、マクロ、テクノロジー、とバランスもよかった。医学生理学賞(10月6日配信)とゲノム編集(10月8日配信)については、それぞれ朝日新聞紙上また朝日新聞デジタルで論評したので、興味がある方は参照していただきたい。

 ここでは物理学賞の受賞者、英オックスフォード大のロジャー・ペンローズについて触れてみたい。

■太陽の約400万倍の巨大質量

 ペンローズは、独マックスプランク地球外物理学研究所のラインハルト・ゲンツェル、米カリフォルニア大ロサンゼルス校のアンドレア・ゲズとの共同受賞。役割分担は、ペンローズがブラックホールの理論的予測、ゲンツェルとゲズが実験的実証(観測)である。

 ペンローズは現在、89歳。1965年、アインシュタインの一般相対性理論をもとに、重力が極めて強く、光さえも吸い込んでしまう特異点、すなわちブラックホールが、星が超新星爆発を起こした跡に、存在しうることを理論的に導いた。

 ゲンツェルとゲズは90年代初頭から長年に渡って、チリと米ハワイの巨大望遠鏡で天の川銀河の中心を精密に観測し、周辺の星が、ある地点に向かって猛スピードで動いていることを発見した。そのスピードは非常に強い重力源がないと説明がつかないため、銀河の中心に太陽の約400万倍の巨大質量を持つ、目に見えない天体があると考えた。これがブラックホールの存在証明となった。

■ガラスの天井を打ち破った

 ゲズは、マリー・キュリー以来、ノーベル物理学賞を受賞した4人目の女性である。医学生理学賞、化学賞に比べ、物理学賞の女性受賞者は少ない。数学のフィールズ賞も同じだ。しかしこれは女性が物理・数学に弱いためでは決してなく、これらの分野が男性優位社会であり、女性の参入を阻んできたからである。今後、科学におけるガラスの天井を打ち破る女性研究者たちが次々と現れてくるだろう。

 さて、ブラックホールの理論的研究については、車椅子の科学者(難病の筋萎縮性側索硬化症ALSを発症)として有名で、ベストセラー『ホーキング、宇宙を語る』の著者としても知られているスティーブン・ホーキングの寄与も大きい。ホーキングは、ペンローズよりも年下だったが、惜しくも2018年に亡くなってしまった(享年76)。もし存命であれば、ペンローズとともに今年のノーベル物理学賞を共同受賞した可能性が高い。その場合、一回のノーベル賞の受賞定員は3名なので、観測実験の二人はまた別の機会に、となっただろう。

■ホーキング同様に「文才」

 ホーキングが、ベストセラー啓蒙書を書いて、科学を広く一般の人々に伝えたのと同様、ペンローズもまた文才を発揮して興味深いテーマを数々と発信した。

 ひとつは数学の分野で、ペンローズの三角形(エッシャーの絵に似た、現実には不可能な、ねじれたかたちをした三角形)、ペンローズ・タイル(これまたエッシャーの絵に似て、2つの異なるひし形の組み合わせで平面を隙間なく埋める)などを発表し、私たちを楽しませてくれたこと。もうひとつは、生命科学最大の謎である脳や意識の問題に鋭く切り込んだ、ある意味で哲学的論考を行ってくれたことである。分厚い本『皇帝の新しい心』が刊行されたとき、この難解すぎる書物に、私は夢中になって挑戦した。

 そして心底驚いた。私たちの脳は、量子論的に働いて意識を生み出しているというのだ。(つづく)

○福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

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