シンガポールの新型コロナウイルスの国内感染者はほぼゼロが続く。国立大学では学生寮の下水にウイルスのRNAがないか調べ、感染者の早期発見を目指している。下水調査は世界の潮流だ。AERA 2021年4月19日号から。

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 シンガポール国立大学は、英国の教育専門誌などによる世界の大学ランキングで常に東京大学や京都大学より高く評価され、アジアの大学トップ3に入る。

 学生や教職員約5万人が活動する広大なキャンパス内の「Uタウン」地区にある学生寮「ノースタワー」に3月23日、仮設の新型コロナウイルスのPCR検査所が設置され、寮の住人438人が検査を受けた。

 きっかけは、3月20日に採取された寮のトイレの下水から、新型コロナウイルスのRNAが検出されたことだ。シンガポール保健省は、「低濃度ではあるが、念のために検査をする」と、すでに新型コロナウイルスに感染したことのある人以外、全住人を調べると発表した。

 結局、全員が陰性だった。保健省は「比較的最近、感染して回復した住人から、まだウイルスの断片が排出されていると考えられる」と結論づけた。

 シンガポール大のキャンパス内には約15の寮がある。シンガポール人学生は自宅から通えることが多いため、主に留学生がそこで生活している。同大は昨年12月7日から新型コロナウイルス対策の一環として、キャンパス内のすべての学生寮を対象にした下水調査を始めた。

■無症状者も検知できる

 トイレなどの下水はいったん建物ごとに1カ所に集まり、それから下水処理場へと流れる太い下水管に入る。建物ごとに下水が集まる地点で下水を採取して分析すれば、寮ごとに感染者のいる可能性がわかる。

 というのも、新型コロナウイルス感染者のうち、少なくとも半数の人からは糞便にウイルスが排出されると考えられているからだ。しかも、症状が出る前の潜伏期間中にも糞便にウイルスが排出されるので、症状が出てから検査を受けて感染がわかる前に、感染を検知できると考えられている。

 新型コロナウイルスは感染しても症状の出ない人が3割以上いるとみられ、特に若い世代では無症状が多いと考えられているが、症状の無い人でも糞便にウイルスが排出されるので、下水調査なら、無症状の感染者も検知できる可能性がある。

 シンガポール大では、寮ごとに下水を自動で採取する装置を付け、1日80検体まで検査する能力を備えているという。

 ただし、今回のように、すでに回復した人からもわずかなウイルスが糞便に排出され続けることがあり、下水調査でそれを検知することもある。このため、本当に感染者がいるかどうかは、個人を対象にしたPCR検査や抗原検査と組み合わせて確定する必要がある。

 下水調査でクラスターの発生を防ぐことに成功したのは、米アリゾナ大学だ。

■感染者を早期に隔離

 昨年8月、キャンパスで授業が再開されるにあたり、各地からキャンパス内の寮に学生たちが戻ってきた。寮に住む学生は全員、事前に抗原検査を受け、陰性だった場合だけ寮に入ることが許された。

 その上で、新たな感染をいち早く見つけることが可能かどうかを確認する目的で、キャンパス内にある13カ所の寮のうちの1カ所で試験的に、学生たちが入寮し始めた8月17日から毎日、下水調査が行われた。授業再開の翌25日、下水から新型コロナのRNAが検出された。

 このため、26〜28日にかけて寮の住人311人に対しPCR検査や抗原検査が行われた。症状の出始めた感染者1人だけでなく、症状のない感染者も2人見つかった。3人が隔離場所に移ったため、寮内ではそれ以上、感染が拡大しなかった。

 下水調査の効果を確認したアリゾナ大では8月下旬から11月20日までの秋学期中、13の寮の下水を週2回ずつ調査した。新型コロナウイルスのRNAが検出された「陽性」の場合には、抗原検査などで感染した寮生がいないか確認した。

 その結果、下水調査で陽性で、実際に感染者が見つかったのは99回の検査中79回(約80%)、下水調査の結果が陰性でその後、感染者が出なかったのは220回中195回(約89%)だった。

 調査を担当した研究チームは、陽性の場合の的中率がやや低かった原因をこう分析する。

「寮生以外が寮のトイレを使った可能性があることに加え、下水検査が陽性だった後の抗原検査を寮生が100%受けているわけではないことも影響しているかもしれない」

 アリゾナ大の成功を受け、米国ではキャンパス内の寮の下水調査をする大学が増えた。米公共ラジオNPRによると、昨年10月下旬の時点で、全米で65大学以上が実施していた。

 ただし、アリゾナ大では秋学期開始当初こそ感染を抑えられていたが、9月7日の祝日の後に感染者が急増した。他大でも下水調査だけで感染を抑制できているわけではない。

■国内新規感染ほぼゼロ

 一方、シンガポール大は新型コロナウイルスの流行が始まって以来、学内感染ゼロだ。これは、下水調査を始める以前から学生ごとに立ち寄っていい区域を決めたり、研究室で1度に1人の研究者しか実験できないよう制限したり、厳しい感染防止対策を講じてきたからだ。シンガポール政府も水際対策を含め厳格な対策を取っている。最近は海外からの帰国者や渡航者を除き、国全体で感染者がほぼゼロの状態が続く。(科学ジャーナリスト・大岩ゆり)

※AERA 2021年4月19日号より抜粋