「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。3回にわたり、コロナ禍の旅のルポをお届けする。連載第47回は、ルポの2回目。※CEO(入国許可証)を取得して渡航。タイはビザとは違うCEOを発行しており、PCR検査や保険、現地での2週間の隔離を受け入れれば渡航許可が出る(2月の出国時の情報)。



>>【コロナ禍の旅「行っていいのだろうか」入国許可証を得てタイに渡航するまで】から続く
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 ドアの外から防護服がすれる音が聞こえてくる。続いてドアをノックする音。返事をする必要はない。要領はつかんでいる。しばらく間をおき、ドアを開ける。脇には椅子があり、その上にビニール袋に入った食事が置かれている。

 部屋に隔離されていると、ドアの外から響く音に敏感になる。

 独房? たしかに……。

 成田空港を夕方に離陸した飛行機の乗客は4人だった。座席数は300近い大型機だった。6時間ほどでバンコクに着いた。日本でのPCR検査の陰性結果、隔離ホテルの予約、保険……さまざまな書類を提出して入国。待っていたのは、隔離ホテルに向かう専用車だった。防護服を着た運転手。1台に乗れる客はひとりだけ。この時点から隔離がはじまる。

 2月当時、タイは海外から入国した全員に2週間のホテル隔離を課していた。ホテルはバンコクを中心に約100軒のなかから選ぶことができる。僕は最も安いグループのローヤルラタナコーシンホテルを選んだ。2週間で10万円ほど。そこには食事、PCR検査2回分、そして空港からの車代など、隔離にかかわるすべてが含まれているが。

 隔離だから誰も部屋には入ってこない。掃除やベッドメイキングもない。洗濯物も出せないから、洗面所で手洗いする。ホテルにチェックインして以来、誰とも話していない。バンコク引きこもりである。

 タイに向かう前、いろいろな噂を耳にした。あるバンコク在住日本人はこういった。

「ロビーやプールサイドには出れるでしょ。タイなんだからそんなに厳しくないはず」

 しかし大嘘だった。予想以上に厳しい。

「これはきついかも……」

 そう思ったのは3日目だった。どう乗り切る? 規則正しい生活しかないと思った。朝6時に起き、体温測定。それをラインアプリで送る。怠るとホテルに常駐する看護婦さんから電話がかかってくる。そしてラジオ体操……。7時半には朝食が届く。昼間は仕事。夕方、再び体温を測ってラインで送る。

 僕は原稿を書くことが仕事だから、缶詰という隔離に近い状態を日本で何回か経験している。そんな僕でもつらさが募る。隣の部屋はタイ人家族のようだった。お母さんと幼い子供がふたり。苛だつ声が壁越しに聞こえてくる。

 途中、ドアの外に出たのは、2回のPCR検査のときだけだった。チェックアウト前日、プールサイドに45分出ることが許されたが。

 最終日。荷物をまとめながら、虚しさが募った。これだけの労力と時間、そして費用を使い隔離をする。それを経れば、自由にタイ国内の旅ができる。しかしチェックアウト後、ホテルの前の道で新型コロナウイルスに感染しないとも限らない。そうなると、この隔離は水の泡と化してしまう。人間はウイルスの前ではあまりに無力だ。

(続く)

■下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)。