批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 セルゲイ・ロズニツァ監督「ドンバス」を観(み)た。ウクライナ東部を舞台とした劇映画である。

 同地では2014年から親ロシア派が一部地域を占領し紛争が続いてきた。ロシアによる全面侵攻の原因のひとつだ。「ドンバス」はそんな場所を舞台に、親ロシア派による統治の不条理さを描く作品である。嘘(うそ)だらけの報道が局ぐるみで制作され、病院の薬が横流しされ、警察が市民の車を理由なく接収し、ウクライナ兵が路上でリンチされる。おそろしくもどこか滑稽な腐敗国家の日常が淡々と描写される。

 監督は元々ドキュメンタリー作家で、語られるエピソードは基本的に実話だという。制作は18年だから、混乱は今さらに深まっているはずだ。

 作品の反ロシアの姿勢は明確だが、ウクライナ側も肯定的に描かれているわけではない。鑑賞後には、むしろここまでの腐敗を招いた彼の地の歴史に関心がいく。そのせいか同国では批判もあるらしい。今年3月には同作をフランスで上映しようとしたことが理由のひとつとなり、ウクライナ映画アカデミーから除名処分を受けた。監督は2月の開戦直後からロシアを強く非難し、欧州映画界の弱腰を批判していた。それでも同作上映は裏切りに見えたのである。

 開戦から4カ月が経過し、日本でも戦争報道のトーンが変わっている。南部の要衝であるマリウポリは5月20日に陥落、東部戦線でもロシアは戦いを有利に進めている。初期にはプーチン政権崩壊との希望も語られたが簡単にはいきそうもない。消耗戦も予想されている。

 泥沼の展開だが、「ドンバス」を観るとその理由が少し理解できる。ウクライナ東部は貧しい。農村ばかりで消費社会の果実が行き渡っていない。教育レベルも高いとはいえない。ロシアはその弱さを利用して侵略を正当化した。むろんそれは許されない。しかし同地の体質改善がなければ同じ危機は繰り返されるだろう。

 戦争はいつかは終わる。その後は復興が鍵になる。開戦前から紛争が続いていた東部は、国際的な支援をもっとも必要とする地域のひとつのはずだ。ドンバス地方の繁栄なくして平和はない。

◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

※AERA 2022年7月4日号