世界を震撼させたロシア軍のウクライナ侵攻からもうすぐ1年が経つ。当初、電撃的に首都キーウ制圧を目指したロシア軍の動きはウクライナ軍によって阻まれた。その後、ウクライナ軍はロシア軍による占領地域の約4割を奪還した。ただ、戦場での情報を厳しく統制するウクライナ軍は前線への取材をほとんど許しておらず、戦闘の様子を目にした報道関係者、特に日本人は極めて少ない。その一人、ベテラン「戦場カメラマン」の横田徹さんに話を聞いた。

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 横田さんと会ったのは1月11日。ウクライナに出発する前夜だった。昨年5月と9月に続く、3度目のウクライナ取材だという。

 まず、横田さんが語ったのは、昨年の大晦日にロシア軍のミサイル攻撃で朝日新聞の関田航記者が足を負傷したことだった。

「関田さんが滞在していたキーウのホテルの写真を見るとかなり大きく壊れている。軽傷で本当によかったと思います」

 横田さんは1997年のカンボジア内戦取材以来、東ティモール、コソボ、アフガニスタン、イラク、シリアなどに足を運んできた。そんな戦争取材のベテランが口にしたのは、ウクライナには安全な場所がない、ということだった。

「ウクライナは、どこにいてもミサイルが飛んでくる。だったら、本当に危ないところに行って、パッと帰ってくる。取材はほどほどにしますよ」

 そう言って、ときおり笑みを見せながら話す様子は気負いをまったく感じさせない。

「今、ウクライナ東部は暖かくても氷点下という世界です。そういう過酷な状況のほうが絵になる映像や写真が撮れる」と、今回の取材のねらいを説明する。

 むろん、ロシア軍侵攻から1年になる2月24日に向けて増える報道需要も想定している。

「戦争取材にはお金がかかります。ぼくは状況次第ではアメリカの大手テレビ局なみに、1日20万円くらいコーディネーター料を支払います。それをどう回収するか、というのはこの仕事では大切なことです」

 淡々と、そう話す。



■ロシア軍の支配地域へ

 今回の戦争ではNATO諸国がミサイルや大砲などの兵器をウクライナに供与するほか、さまざまな国の義勇兵がロシア軍と戦っている。横田さんはこの義勇兵に焦点を当てた。

 昨年5月、キーウの基地を訪れた際、横田さんを出迎えてくれたのは国際義勇軍の中核を担うジョージア人部隊の司令官、マムカ・マムラシュビリ氏だった。

 黒海の東岸にあたる旧ソ連の構成国ジョージアは、2008年、ロシアに侵攻された。そんなジョージアの人々は、ウクライナに対して強い親近感を抱いている。

 横田さんはウクライナ東部の前線から数十キロのところにあるジョージア人部隊の後方基地に案内された。

「行ってみたら、兵士たちはもうびっくりするような装備を身に着けていて、完全に特殊部隊じゃないか、と思いました。キーウ近郊の国際空港の奪還にも関わった部隊でした」

 横田さんが同行したのはロシア軍支配地域への偵察任務だった。兵士を乗せた車は舗装されていない道を全速力で前線に向けて突き進んでいく。

「スピードを出さないとやられてしまうんです。前線の近くまで行って、パッと車を降りて移動する。頭上を飛ぶロシア軍のドローンから逃げながら(笑)」

 ロシア軍の陣地が見えるところまで近寄ると、小型ドローンを飛ばす。上空から敵の陣地を撮影し、それをもとに攻撃のプランを立てるという。

 しかし、目の前にロシア軍の陣地が見えるということは、相手からも横田さんらが見えるのではないのか?

「そのとおりです。だから、砲弾を撃ち込まれて、背後に着弾しました。ロシア軍はわれわれの位置を上からドローンでつかんでいるので、かなり正確に弾が落ちてきます」

■信頼の厚い日本人義勇兵

 ドローンが飛んでいると、ブーンと、独特の回転翼の音がする。しかし、音がしない場合もあるという。

「だから、どこへ行っても空を見上げている。もしくは建物の中に隠れる。地雷が埋まっているかも、と足元ばかりを気にしていると、上からやられてしまう」

 国際義勇軍の傘下にはジョージア人部隊のほか、日本人が加わっている部隊もある。

「戦闘訓練を受けたことがあるなしに関わらず、戦場を体験して、すぐにウクライナを離れる人がとても多いので、出入りが激しいのですが、平均すると常時10人弱の日本人義勇兵がさまざまな部隊で活動しています」

 その多くは元自衛官で、アメリカ人やイギリス人の義勇兵よりも信頼されているという。

「アメリカ人は、ウクライナの戦闘に参加することで寄付金を集める、いわば金稼ぎを目的にした義勇兵が多い。アメリカ人やイギリス人は使えないのが多いんだけど、日本人はよくやっていると、ジョージア人部隊の広報官は日本人義勇兵のまじめな戦いぶりと生活態度を高く評価していました。日本人の気質からしてわかる気がしますね」

■ロシア軍陣地で目にしたもの

 一方、ロシア兵の戦いぶりはどうだろうか?

「広大な畑の中に幅20〜30メートルの防風林があったんです。そこにロシア軍は陣地を設けていた。でも、周囲から見れば、そこに身を隠していることは誰の目にも明らかだった。案の定、ウクライナ軍にミサイルを撃ち込まれて、ロシア兵はみんなやられてしまった。穴の中で待ち構えていた戦車がひっくり返っていた。なぜロシア軍はこんな素人のような戦い方をするのか。優秀な指揮官が本当に不足しているんでしょうね」

 昨年9月の取材では、砲撃を続けながら敗走するロシア軍を追いかけるように、抜け殻となった陣地を次々に訪れた。そこで目にしたのはたくさんの兵器や弾薬だった。

「まだ洗濯物が干されて、食べかけの食料がそのまま残されているようなロシア軍陣地に足を踏み入れると、弾薬箱が放置され、中にはミサイルや砲弾が奇麗に詰められていた。それをウクライナ軍が全部回収して使う。戦車もそうです。修理するため、戦車をけん引していくシーンをあちこちで目にしました」

 ウクライナの民間人がロシア軍陣地から兵器をくすねてくる話も山ほど聞いた。

「大きなトラクターで戦車を引っ張って盗んできたとか、そういう話はどこにでもあります。最初は信じられなかったけど、本当なんですね。ロシア軍の塹壕(ざんごう)に行ったら携帯ミサイルが2本立てかけてあったので、かっぱらってきたって、写真を見せてくれた人もいました。ミサイルを担いでくるときにロシア兵と間違われてウクライナ兵に発砲されたそうです。ロシア軍の兵器の管理はどれだけずさんなんだよ、って感じです」

■ロシア兵の劣悪な環境

 兵器だけでなく、ロシア軍の兵士の扱いの劣悪さにも驚かされた。

「どこの陣地もひどい環境で、いくらなんでもこれでは戦意を保てないだろうと感じました。食料は全部缶詰で、野菜などは食べていないでしょう。戦場での唯一の楽しみである食事がとても貧しいうえ、泥だらけの塹壕の中でおびえながら何カ月もいたら、さすがに戦うのが嫌になるはずです」

 一方、ウクライナ兵は一定期間、前線で任務につけば休暇をもらえるという。休暇中はレストランで食事をしたり、インターネットで外の世界とつながったりすることもできる。

「食事については快適で、どこに行っても困らないどころか、おいしい肉やチーズを堪能しました。結構田舎でも寿司が食べられたりする。この差は大きいと思いますね」

 豊かな自分たちの国を守ろうと戦っているウクライナ軍の兵士と、無理やり劣悪な環境に送り込まれて戦っているロシア軍の兵士では、士気に大きな差があるのは当然だと感じた。

■相手がロシア兵は危なすぎる

 しかし、だからといって、ロシア軍が弱いとは横田さんはまったく思わない。むしろロシア軍に感じるのは西側の常識がまったく通用しない、不気味さだ。

「今、激戦が行われているバフムートなんか、ロシア軍は1人のウクライナ兵を倒すために、10人のロシア兵をおとりにおびき出して攻撃する。それが成功したら、また別の10人を送り出す。いったい、いつの時代の戦いだよ、と思うような戦い方をしている」

 ロシア軍は伝統的に兵士の命を粗末に扱ってきた。それがウクライナの戦場でもまったく変わっていないことを実感した。

 横田さんは以前、シベリアの奥地を訪ねた際、ロシア人の文豪ドストエフスキーがシベリア流刑を経て描いた不条理な世界が現代にも脈々と受け継がれていることを目の当たりにして衝撃を受けた。

「あれを見たことは大きいですね。だから、今回の戦争が始まったとき、ウクライナへ取材に行くのは嫌だった。相手がロシア兵では危なすぎると思いました。ものすごく怖かった」

 横田さんは戦争取材の際、前線に足を運ぶことが多く、しばしば周囲から「無謀だ」と言われてきた。

「でも本当は、ぼくはすごくビビりなんです。逃げられないところには絶対に行きたくない。ここは無理だ、と思う場所には行かないようにしています」

 昨年5月からウクライナを取材するようになった理由は、戦いの焦点にあったキーウがロシア軍に包囲される可能性がなくなり、退路が確保されたことと、取材費の援助が得られたことが大きいという。

■地面が凍っている2月に動き

 今回、このタイミングでウクライナに入るのは冒頭に書いた報道需要もあるが、2月になれば、何が起こるかわからない恐ろしさがあるからだという。

「雪が解けると、ウクライナの土は本当にぐちゃぐちゃになります。昨年9月にもぬけの殻となったロシア軍陣地まで畑の中を歩いて行ったとき、足にまとわりつくような泥を体験しました。この状態で戦うのは無理だな、と感じました。なので、戦況に大きな動きがあるとすれば、地面がまだ凍っている2月だろうと、いろいろな人が言っています。危ないときに行くのは嫌なので、2月の前に行って、帰ってくる」

 別れ際、横田さんは近所の保育園にウクライナ避難民の子どもが通っていることを口にした。

「言葉はできないし、大丈夫かな、と思っていたら、すぐにうちの娘と仲良くなった。ぼくはウクライナ人と関わりがあるし、娘もウクライナ人の友だちができた。すごい時代になったなあ、と思いますね」

 数日後、横田さんからメールが届いた。

<キーウに着き早々、ミサイルの洗礼を受けました。危ないので早く前線へ向かいます>

(AERA dot.編集部・米倉昭仁)