159人もの犠牲者が出た昨年10月の韓国・梨泰院(イテウォン)での惨事。この事故の真相究明を巡り、韓国政界が揺れている。

 野党である「共に民主党」は事故当時、政府と警察の対処が無能であったことを追及し、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と保守与党に圧力をかけ続けている。

 焦点は麻薬捜査だ。発端は昨年11月2日、ラジオ番組に出演した野党の国会議員、黄雲夏(ファン・ウンハ)氏の「事故の原因が警察の『麻薬捜査』にあった」という発言である。黄氏は警察出身で、かつて警察庁長官でもあった。

 黄氏はラジオ番組で事故対応の遅れについて、「事故当日、梨泰院に配置された警察官137人のうち、麻薬捜査の担当が79人だった。私服を着ていたので警察官には見えなかっただろう」と述べた。これは法務部(日本でいう法務省)の韓東勳(ハン・ドンフン)長官の責任だと指摘した。

 梨泰院事故が発生する2週間前の10月13日、韓長官は尹大統領の指示で「麻薬との戦争」を宣言。全国4カ所の検察庁に麻薬犯罪に関する特別捜査チームを開設した。「麻薬清浄国」と呼ばれた韓国だが、2010年以来、麻薬犯罪が増えた。何らかの措置が必要だという国民の要求への対応だった。

 コロナ禍以前からハロウィーンの時期、梨泰院のクラブでは麻薬犯罪が多かった。そのため、ハロウィーン当日の麻薬対策専門の警察官を増やすのは常識的な判断であろう。

 ところが、黄氏はラジオ番組で「たしかに麻薬拡散の兆しは見えるが、麻薬との戦争と宣言するほどでもない」と発言。11月8日のラジオ番組ではさらにエスカレートさせて、「麻薬犯罪は5年間で5倍しか増えていない。麻薬捜査に気を取られ、市民への安全対策がおざなりになった」と語った。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権時代はスポークスマンであり、現在「共に民主党」所属の国会議員、金宜謙(キム・ウィギョム)氏も11月7日に国会で、「梨泰院事故当時、警察を麻薬捜査に集中させ、事故の規模が大きくなった」と指摘した。

 今年の1月30日、「共に民主党」ら野党が一方的に採択した梨泰院事故の「調査結果報告書」では「麻薬取り締まり計画にともなう秩序維持業務をおろそかにしたこと」を事故の原因と指摘している。

 梨泰院事故の原因と麻薬捜査を結びつける野党の政治攻勢に、冷淡なまなざしを向ける人も少なくない。

 ネット系企業に勤めるKさん(39)は、「梨泰院事故が発生していなかったら自分たちも拍手したに違いない麻薬捜査を、野党は政争の武器にしている」と語る。ネットでも、「一部の政治家の発言が国民の世論を悪化させている」などの否定的なコメントが増えている。

 2月10日、韓国の大型世論調査機関「リアルメーター」の発表によると、ソウル中心部の光化門広場への梨泰院惨事焼香所の設置に賛成する国民は約37%に過ぎず、60%以上が反対していることが分かった。

 野党の梨泰院事故を巡る政権批判は、「与党の次期大統領候補」を台頭させる逆効果まで生んでいる。

 その候補は野党が攻撃する法務部の韓長官。韓長官は梨泰院事故の原因と麻薬捜査を結び付けた黄議員を「職業的な陰謀論者」と批判。「国民的な悲劇を利用して政治商売をするのは誤り」と指摘した。

 その姿勢が好感度を上げたのか、世論調査機関「韓国ギャラップ」(2月1日)の発表では、保守支持層が支持する次期大統領候補の中で、韓氏が圧倒的な1位を記録した。

 そして最近、彼が指揮する野党の代表にかかわる賄賂と背任などの嫌疑に対した捜査も追い風になっている。2月15日に「国民リサーチグループ」が行った政党支持率の世論調査によると、与党「国民の力」が48%、野党「共に民主党」が31%と、大きな差を見せている。

 梨泰院の事故が政局に影響を及ぼす事態に発展している。

ノ・ミンハ(現地ジャーナリスト)