頭蓋骨に穴をあけるトレパネーションという禁断の手術を中心に、人間の正体を鋭く描く山本英夫の伝説的カルト漫画『ホムンクルス』。独創的で過激な描写も多く、映像化不可能と言われていたこの作品が、清水崇監督・綾野剛主演というタッグで実写映画化。


4月2日の公開より連日大ヒット上映との状況を受け、綾野剛×清水崇監督という豪華なオンライン合同インタビューが行われ、撮影秘話や知られざる舞台裏の葛藤が語られた。







――『ホムンクルス』原作の印象はいかがでしたでしょうか。


清水崇監督「僕が散々やってきたホラーとはまた違う、実際にある施術をもとに山本英夫先生がこの発想に行きついているという事に驚かされました。連載中、山本英夫先生との対談を依頼され、彼の制作スタジオが近所であることが分かり、交流していた時期があったんですが、先生が葛藤を抱えながら作品を描かれていることを知っていたので、生半可な思いで映像化することは出来ないと考えるようになりました」


綾野剛「はじめて作品に触れた時には、ここまで人の脳内にある圧倒的な狂気を漫画化してしまっていいのか。という感覚になりました。頭の中で起こっていることって、暴力的で狂気で危なくもあり、ファンタジック。それをそのまま漫画にしてしまっているようで、読んだ時には漫画だからできる表現の広さやコントラストの深さに感動しました」



――実際に挑まれた撮影での難しさなどはいかがでしたでしょうか。


清水「映画ってどうしてもダイナミズムであったり、後半を盛り上げるために風呂敷を広げたりする事が多いですが、本作ではヤクザの組長のくだりでもそうでしたけど、『こんな大きな男がこれっぽっちのことで!?』という極めて小さなことを自分の中で歪に膨らませてしまっていたりするんですよね。これって、みんなそうだと思うんです。この漫画で描かれている小さなものを映画でもしっかりエンタメに乗せながら描写していかないと、という難しさがありました。名越に関しては『演じたい』という役者さんが多い魅力的なキャラクターではあるんですが、カッコつけて演じてみせるキャラクターではない気がしていたんです。綾野くんは、その役を生きてくれる俳優なので、長年『ホムンクルス』の映画化を温めていたのは綾野くんと出会うためだったのかと思えたくらいです」


綾野「お言葉ありがとうございます。清水さんの作品を見ていると、どの作品にも能動的な“実験”があるんです。ホラー作品では女性主人公が多いですが、ここまで女性と対峙し続けている監督もいないのではないかと思っています。それだけに、清水さんが“ホラーだけやってる監督”という感覚は違和感があります。清水さんはホラーの中にも文学や実験的要素を毎回毎回入れている監督です。“ホラー監督”という“ホラー”ジャンルのくくりで一概に清水さんを語ってしまうのは、あまりにも暴力的ですよね。清水さんは数多くのオリジナルに向き合ってきた強さを持つ人ですから。今回の『ホムンクルス』映画化成功には、原作物をオリジナルにするという本末転倒な試みがあったからこそだと思っています」


清水「綾野くんから“オリジナルをやってきた人の強さ”という言葉があり、“ホラーでくくられるものではない”という言葉がありましたが、僕の中でも同じ意識があり、本当にありがたいです。得意分野があると言ってもらえるのもありがたいことですが、表に“ホラーの人”として出されてしまうと、それって営業妨害じゃないのか!?と感じてしまうことも多々あります(笑)なので、綾野くんみたいに捉えてくれている存在があると、凄く嬉しいですね」


綾野「清水さんがこれまでの映画で行われてきたどの実験も『ホムンクルス』に欠かせないもので、『原作物映画はこうやるのが正攻法』と安心を捨てる勇気が必要です。役者としてもその感覚を持ち合わせていかなければならないという想いがありました。そういった部分で、この映画は“演出的であり俳優的である”と感じました。今更ですが、俳優・綾野剛を冷静に見つめなおして、体力をつけて挑まないと、名越が持つ“強くない人”が描けません。今の僕の持っているパワーを名越にあえて押し付け、崩れていったものが名越になればいいのかなという思いでやってみました」



――撮影で印象的だった出来事やエピソードなどございましたら教えてください


綾野「『ホムンクルス』の世界観を作ってもらうことに不安はありませんでしたが、この世界観に自分がどうすれば馴染んでいないようにするのか。どう逸脱するかということもあり、苦しく、寄り添いを捨ててでも、現場では、ぞんざいでいることを心掛けました。孤独さ、面倒さ、爆弾みたいな存在であり続けること。確かに苦しいですが、同時に、生きている実感が湧きます。」


清水「原作物、しかも山本先生の作品は写実的に描かれてもいるので、トレースすればいいんじゃないかと考えがちですが、本来はだからこそ難しいんです。マネするだけじゃなくて生きて欲しい。現実の世界に漫画の世界観を持ってきたら、漫画ではなかったものが生まれるはずだし、記号化されていたものがそうでなくなる怖さがあるはずなので。原作物には裏切りたくない思いと、裏切りを同居させなければならないので、綾野くんとならやっていける、同じ価値観を持ち続けられるという思いを持てました」



――主人公の名越が、トレパネーションにより人のトラウマを視認する『ホムンクルス』にちなみ、2人が言動を改めるきっかけになった出来事などありましたら教えてください。


綾野「日々改良だと思っているので、言動を改めることはたくさんあります。役者って現場の数が圧倒的に多いので、色んな役を、色んな人生を生きて、色んなチームで動くので、最近ではこれまでの現場で得たものを、新しい現場でシェアするよう努めています。5〜6年前に映画という総合芸術の深さに改めて気付き、意識が変わりました。それまでは“シェアするものではない”“経験と勘は別物”と思っていたので。もちろんこれまでの経験則が新しい現場に持って行けるほど単純ではなく、ゼロベースからのスタートにはなるんですが、こういったシェアを歓迎してくれるチームにも恵まれているので、今は経験を自分だけのものにしないよう努めています。『ホムンクルス』の現場はそんな中でも本当に凄かった。総合芸術が突出していて、台詞が無くてもアングルだけで成立するようなシーンもたくさんありました」


清水「まさに本作『ホムンクルス』がきっかけになったことがあります。一時期ホラーばっかりになっていた時期があって、そうなると『こういう時ってこうすればいいんでしょ?』『みんなが欲しがってるのこうでしょ?』となってしまったことがあったんです」


綾野「それって、正攻法があったってことですか?」


清水「正攻法というか、自分の中での驕り高ぶり。そうなると、気付いたら楽しめてない。そのうえ、そんな思い上がりはあるレベルまでいったら全く通用しなくなるんですよ。やっぱり『今度はどうしよう。どうしてやろう』と、違うものを楽しんで作ってる感覚、辛いことや大変なことも面白がっていないと、それって観てくれる方には伝わっちゃうんですよね」


綾野「清水さんのおっしゃっていること、響きます。熱狂しながら作らないと。正攻法を知っているのも大きな武器ですが、それを肯定しながらも変化を恐れず進む。僕も、こうしたら上手く見えるだろう、こうしたら現場でぶつからないだろうという処世術はとっくに持っているわけです。ぶつかることは悪いことではなくて、諦めることの方がよっぽど危険です」


清水「そうね」


綾野「今回の『ホムンクルス』でも僕自身過去の驕りで踏襲してしまう危険性はあったので、敢えて現場の調和を乱すことで、踏み込んでキレが生まれるんだったら、そこへこそ踏み込むという気持ちで挑みました。正攻法自体に疑問を持つことで、そんな歪みが映像に映るんじゃないかという思いもありました。これらは自分自身に返ってくるものなので、やはり苦しいですが、清水さんと一緒にやりぬけたのは、財産だと思っています」


清水「日本人はとくに、空気を気にしたりする風習や美学、文化もある。そこで逆に足をひっぱりあって、内面が見えたら、作品が生まれるでしょうし。『ホムンクルス』はそういう部分がテーマでもあるので、出さなければいけない作品。ここが大変だけど面白かった部分ですね。映画から何年経っても作品や役の魂が生き続けるような、成長しているようなキャラクターとして生き抜いてくれた綾野くんや成田くんとやれたことは僕にとっても財産です」




――チームでのモノづくり、率直に意見言いあうために意識していることはありますか?


清水「映画ではシリアスで緊張感が大事になる部分も多いんですが、常に真逆な事考えてることが多いです。怖いシーンでは怖がってる人たちを想像して僕は笑ってるんです。笑いを取りに行くところでは、その真裏にある怖さを意識しているし。映画作りはどこか“ごっこ遊び”や“落とし穴づくり”みたいなところがあるので、どれだけ巧妙に作りこめるかという感覚で臨んでいるところがあります。意見が出し合える現場の空気感に関しては、自分のままでいようと、なるべく気取らずにいます。どうせバレますしね。色んな人が意見を言える場にしておいて、おいしいところだけさらっていこうみたいなところもあるので。でも自分の手柄だとは思いたくないし、思えません。劇中に登場する、丸いエントランスのマンションや螺旋階段を見つけてくれてきたのは制作スタッフですし、そこまでは脚本には書かれていません。各部屋の飾りつけなんかもそう。それを演者が見て『なんすかこれ!凄くやりやすいっす!』って言ってくれると凄く嬉しいじゃないですか。総合芸術ってそういうところからはじまるものだと思っています。そこが今回は凄くうまく回っていて、自信をもって『観て』って言える作品に仕上がっています」


綾野「僕は俳優部の代表として、作品の核となる監督の頭の中を恐れずどこまで覗けるかということになるんですが、逆に監督も誰かのアイデアを待っている部分もあると思うんです。俳優部でいうと、“相手が委縮しないように”“共演者が委縮しないように”を心掛けます。立ち位置や、やり方についても、『こういう感じだとやりやすいんだけど』と都合は言わない。誰が考えても、『普通はここに立つよな』という位置があったとしても、そこに立たない人もいる。結果的にご本人が気づいて『やっぱここだよね』ってなる事もある。誰かにとっての普通は、誰かにとって普通ではなかったりする。それを一回受け止めたい意識があるので、肯定も否定もせずまずやってみようという“尊重”が前提です。すると、映像作品って不思議で、どんなに闇の方でスタートしても結局光の方に吸い寄せられて集まってきちゃうんですよ。総合芸術ってそういうもんなんだと思っています」


清水「リアルな世界って、山ほど色んな考え方や目線を持っている人があって成り立っているので、そこに蓋をしてしまっては一辺倒なもの、生きた人間のお話にならない。最初から僕が考えた通りでないから良かった。僕が考えた名越じゃない部分があったから良かった。かみ合わない部分も含め、全てを受け入れていったのが生の世界に繋がった気がしています」



――「俳優・綾野剛を見直して挑む必要があった」との言葉もありましたが、キャリア学び、成長どう感じられましたか?


綾野「自分自身から逃げないことが名越に魂を入れる事に繋がるのでは無いか?と。今回の名越や伊藤って、役者的なんですよね。俳優って誰かのダミーだと思っているので、自分を生きたふりをしている人たちを、本当に実在の人生を生きる人に変える。”キャラクター”を”人物化”する。いろんな俳優が名越をやりたいといった背景には役者の業を刺激するといいますか、“実像として生かさなければならない”という使命が生まれると思うんです。いざ名越をやってみたら『しまった』ってみんな思うんでしょうけど。」


清水「そう。それ相当怖いことなんですよ」


綾野「まずは役者的リアリティーが嘘っぽく映れば映るほどスタートラインに立てるといいますか。世の中の人は本来の清水崇も綾野剛も知らない。僕たちですら自分自身を知り得てない。愛されているのは”僕ら”ではなく、作品の中で生きる人物やキャラクター、そして物語。たまたま僕はその中の人だっただけだと思っています。だから役であっても、個人を好きなわけではないと思うんですね。そういうところを全部今回は一度吐き出してみるという感じでした」


清水「名越を演じたい、伊藤を演じたい、『ホムンクルス』に係わりたいという人に、なぜ『じゃあ是非』って言えずに来たかというと、今綾野くんが言ってくれたように『生半可じゃできないってことをわかったうえで一緒にやれるだろうか』という思いがあったからだと思うんです。事前リハーサルの時、僕が色々理屈をこねて言葉で役作りに付いて説明してみたら、綾野くんがピンと来てない感じがあったんですよ。そんな気さらさらないですよ〜みたいな感じで。それを見た時、『お!この人は勝負する気だな』というのが見えたんで、もうそれでいいと思えたんです。大変だけど楽しいことになるぞと思えました」


綾野「余裕がなかっただけだと思います。笑。なんにせよ内野(内野聖陽)さん凄かったですね。色んなことを本能的かつ能動的に生きるだけでなく、とても繊細で。」


清水「一丸となって作りこんでいけた結果、息遣いの感じられる作品になった。漫画にリアルな部分が描かれているのに、実写になって『なんでそれが出ていないの?』って思われるのは悔しいので。映画ってどこか「ごっこ遊び」の延長みたいなところがあって、さらに原作ものってなると、一つ間違えればコスプレ大会になってしまうという危うさもある。そうしてはいけないし、お遊戯会にしてもいけない。」



――気味の悪いものを観る側として挑まれた綾野さん。その場に無いものを捉えるときの感情はどのように?


綾野「勘です。当然見えないものを見えたふりをする、どう表現するか。そこは漫画の力をお借りし、漫画のイメージをトレースしました。そこで、面白いなと思ったのは、『疑う力と、信じる力ってどっちが強いんだろう』ということ。名越に関しては、当初疑う力の方が強かった。いきなりホムンクルスが見えた時にもそこまで大きなリアクションを取らなかった理由がそこにあります。逆に信じる力を身に着けた時から人間って愚かなほど脆くなっていく。だから僕らは疑う力のお陰で立てているんじゃないか、それが協調性にも繋がっている気がしています。同時にいつだってその協調性を壊してでも信じ抜く力が必要です。リアクションに関しては生理現象というか反応なので、頭で考えることを凌駕するんです。素直に自分の肉体の瞬発力を活かす。アクション映画のアクション段取りに近い感覚で挑みました。ここはこれまでの経験がシェアできるポイントだと直感的に判断し、アクション的な考え方をして取り組みました」


清水「現場でもこんな話ばっかりしてたね〜。人間って自分が考えてない反応しちゃうのがリアリティなので、綾野剛が目の前に見えていないものを表現してくれた。そんな、生きた名越に合わせたCGを作って、応えていかなければならないので、ここでも妥協できない。綾野くんが完成を見た時に、『え?俺こんなの見てたの?』とがっかりさせてしまったら申し訳ないので。それは作品として僕が負けたことになっちゃう。なので、何度も何度もCGに追加注文出したり、最初に言ってたことを変えたりしました。架空の物をエンタメとして作るには、疑うことからはじめて、普通の人が到達しない領域までお互いを信じ抜くしかないんです」



――1775との車内のシーンが印象的でしたが、撮影中はどうでしたか?


綾野「キャロルの中、狭かったですね。」


清水「綾野剛があの図体でよくやったなと思う。僕は小さいので代役ができたらと思ったくらいです。あのめくるめく展開を綾野剛が名越だという思い、そして石井杏奈ちゃんとのセッションで信じてやってくれたからこそのものです。」





――名越が別人のようになった瞬間にちょっとゾクッとしましたが。


清水「あそこは男性の名越の方が能動的に見えて、怯えて怖がっているんですよ。女の人の内面の怖さって男は持ち合わせないんですよ。そこを見せたいという思いがありました。このシーンの怯えが後々の感情に繋がってきます。名越から別の感情を引きずり出している大事なシーンでもあります。現場スタッフがよくついてきてくれたなと思っています」


――成田凌さんとの共演は『新宿スワン』以来ですね。


綾野「今作で間違いなくMVPですよね。伊藤が作品の整合性になっていて、ストーリーテラーでもある。そしてそれが伊藤としての欲求や感情としてセリフをださなきゃいけないですし。彼の役なくして、この物語は成立しなかった。名越と伊藤に性的描写はないけど、ずっと性的描写を撮っているような、そんな関係。その中で最高のパフォーマンスをしてくれた成田凌に感謝しかありません。彼の神経回路の切り替えは、目の前で見ていて本当にワクワクしました。また共演したいですね。『ホムンクルス』で名越に影響を与えていく存在、1775を演じた石井杏奈さんは原作の中でも人気のキャラクター、これをしっかり実像にしてくれました。考えていることがとても豊かに伝わってきます。僕にしか伝わらないような刹那も見え、感動しました。繊細さと大胆さが備わっている方です」


清水「杏奈ちゃんは自分の中で1775を見出して受けてくれていたと思います。正直キャスティング難航すると思ってたんですよ。あんなシーンがあるので抵抗感もあると思うので、ところがやりたいと言ってくれたところからスタートしているので、人間として凄いなと尊敬から踏み出すことが出来ました。見出したものを全て吐き出してくれた」


綾野「本当に最高です。度胸も繊細さも含めて。素晴らしい役者だと思いました。石井さんは母性があるというか、懐がめちゃくちゃ広いんです。なんだか聖母な存在でしたね。年齢って関係ないんだなと思わされました。男には持ち合わせない度量をもっている。情報処理のスピード早くて驚かされました。」


――作品全体を通じて「愛」が根底にあると感じられました。


綾野「僕は愛を語れるほど優れていませんが、君が生きていることは間違っていない。君の存在は絶対的な”事実”であると両目で見つめてあげることで、愛は体感できるものだと思っています。まなざしを向けるということで。そして作品では、内野さん、石井さん、岸井さんから受け取った愛のバトンを伊藤に託します。この流れは凄く人間的で、映画の中で昇華させて超えることができたのかなと。制作前から凄まじいカルト強度のある作品になるというイメージはあっても、ここまで愛の感じられる作品になるとは思っていなかった。見事に誰も切り離せない。5人のキャストみんなが主役である作品になりました。これは大切な発見であり財産です」


清水「普段は愛をテーマにしてますなんて恥ずかしいし、嘘っぽくてなかなか言えないんですが、この作品に関しては、完成試写の挨拶で気が付いたら『愛の作品が出来ました』って口走っていたので、自分の中でも自信をもってそう思えてるのかもなと感じました」


綾野「ホムンクルスというものが、トラウマの具現化ではなく、愛の形なのではというところ。最終的にはここに行きつけた。水だろうが砂だろうが、それぞれが持つ個性こそが愛の形。それが感じられただけでも映像化する意義があった。映像化した意義や意味を、胸張って届けることができる。『ホムンクルスはトラウマではなく、愛である』それが全てです」


清水「凄くキレイな終わりになりましたね」