映画「砂の器」の天才音楽家、和賀英良は、過去の名前「本浦秀夫」を封印して、音楽界のトップへ上り詰める。これとはまったく違う形ではあるが、春田和秀さんも子役だった過去について、一切口にしなかった。もらった名刺には、「はるた和秀」と印刷されていた。

 春田和秀(以下、春田):漢字で「春田」と書くと、子役時代とリンクしてしまうので、あえてひらがなにしていました。今は調べると、簡単に分かってしまいますが。仕事関係の方には、自分から話すようなことはしていません。

−−これまで、「あの人は今」のようなテレビ番組から出演オファーはあったのではないですか?

 春田:たくさんありました。でも、全て断ってきました。今回は覚悟を決めて、取材を受けさせていただいています。いい加減じゃ、まずいぞ、小さかった時に受けた御恩や縁はちゃんとお返ししないとという思いです。名前は一生残るものです。一生、ひらがなの「はるた」を名乗るわけにはいかないと思っています。

−−俳優を辞めた後のことをお聞かせください。

 春田:高校を卒業した後に、自動車関係の会社に就職しました。ずっと俳優をやってきたので、社会のことは、右も左も分からなかったです。前にもお話したように、体を使って物を壊したり、作る仕事が好きだったのです。車の組み換えや、モータースポーツのお手伝いもしていました。通常は10年くらいで営業職へ異動になるそうですが、3年でその話が来ました。

−−それは出世ということですね。子役時代から社会に触れていた経験が生かされたということでしょうか。

 春田:でも私には、少しスピードが早すぎたんです。営業が嫌というわけではなかったのですが、3年半で退職していました。その後、地元の中学時代の先輩から自動車関係の仕事の話を頂き、そこで7年くらい働かせていただきました。その経験が今の仕事のベースになっています。

−−会社を立ち上げたのは?

 春田:18年前です。アメリカの車をカスタムする会社を経営しています。お客さんのニーズに応え、車を組み立てるという業務内容です。製作には3週間かかるものも、最長では3年かかるものもあります。当時のものをふんだんに使って欲しいとなると、ボディを探してきたり、自作することもあるので時間がかかるのです。僕は、お客さんはみんな監督さんだと思っています。「こういう風に作って欲しい」という要望に応えていく。いわば、役者の気持ちですね。子役の時にやってきたことが違った形で生きているのかもしれません。

−−俳優をもう一度やりたい、とは思わなかったですか?

 春田:思わなかったですね。芸能界関連ではテレビドラマ、映画で使う劇中車の手配などもやっています。最近ですと、(水谷豊初監督の映画)「TAP」にお客さんの車を提供しました。楽しそうな現場で、この時代ならなあと思ったりもしましたが……(笑)。

−−車両提供なら、クレジットに載るのではないですか?

 春田:いや、うちの会社の名前や僕の名前は一切、載せていません。車を提供したお客さんの名前を載せてもらっています。

−−仕事先にはお話されないということですが、さすがに奥様と息子さんには子役時代のことを話していますよね?

 春田:いいえ。女房と結婚した時も言わなかったです。でも結婚後に、ドラマかなにかを見ていて、見つけられてしまいました。「パパ、番組とかやっていた?」と。だから、やっていたことは知っています。でも、詳しくは言っていません。普段の生活に影響が出ないようにしないといけない、と思っています。

−−徹底していますね。今の生活を大切にしたいということでしょうか。ご家族は「砂の器」はご覧になっているのでしょうか?

 春田:女房と息子は隠れて2、3回見たみたいです。22歳になる息子は今、一緒に仕事をしているので、少しずつ話したりしています。取材で会社を空けることもありますので。

−−ご自身は「砂の器」は何回くらい見ていますか?

 春田:当時、北海道でギリギリまで撮っていました。東京、名古屋、大阪など試写会の舞台挨拶で立った時は、何回か見ていると思います。ただ、その後はそんなに見ていないです。

−−春田さんにとって、「砂の器」とは、どんな作品ですか?

 春田:子役として、いろんなドラマも映画も出演しましたが、大作は自分の背中に絶えず、つきまとってきます。いろんな方が見て、それぞれに感動を持っていて、僕が何も言わなくとも、「あ、『砂の器』の子役の方ね」と言われます。これは、もう“宿命”……。それ以外には言葉が浮かびません。今は40年も封印したことがまずいな、という気持ちです。(こうして「砂の器」の話をしたことで、)あの曲が耳から離れない日が続く、と思います。忘れていた撮影の時や、シーンが浮かんできます。

−−そういう気持ちになったのはいつからですか? 樋口尚文さんの「『昭和』の子役 ― もうひとつの日本映画史」での取材がきっかけですか?

 春田:この5、6年、(ネットの)コメント欄をこっそり見ていました。話してもいいかなと思ったのは、この3年くらいでしょうか。樋口さんには優しく扉を空けてもらったような感じです。今やっている仕事も大事にしないといけないし、(子役時代のことも)お話をしていかないといけない。

−−シネマ・コンサートは参加されるそうですが。

 春田:女房は都合がつかないのですが、息子と初めて一緒に見るつもりです。緊張しています。
(取材・文/平辻哲也)

春田和秀(はるた・かずひで) 1966年5月14日、名古屋市生まれ。3歳の頃から子役として活躍。映画「砂の器」(74)での役が鮮烈な印象を残す。ドラマは、木下恵介アワーの最終作「わが子は他人」(74)、田宮二郎主演の「白い地平線」(74)、林寛子主演の「がんばれ!レッドビッキーズ」(78)、ポーラテレビ小説「こおろぎ橋」(78)。映画では、主人公のゲン役を演じた「はだしのゲン 涙の爆発」(77)など。15歳の時に引退し、現在、自動車関係の会社を経営している。8月25日発売の「『昭和』の子役 ― もうひとつの日本映画史』(樋口尚文 編・著、国書刊行会)ではロングインタビューが掲載される。