見ている最中はめちゃくちゃ怖いのに、見終わった時にはなんだか妙な開放感。『ウィッチ』には「抑圧からの解放」と「密室型魔女狩りホラー」という主題が綺麗に共存している。


"魔女狩り on 自宅"はマジで地獄!


1630年、アメリカのニューイングランド。キリスト教に対する宗教的見解の相違から、ウィリアムとその家族は入植地を追い出される。妻キャサリンと5人の子供たちともに、大きな森の近くの荒地に移住するウィリアム一家。しかし、長女トマシンが目を離した一瞬のうちに末っ子でまだ赤ん坊のサムが連れ去られる事件が発生。周囲にはだれも住んでいない無人の荒野での事件に対し、魔女とトマシンの関与を疑いだすウィリアム。

続いてトマシンの弟ケイレブまでもが行方不明になる。トマシンは家族全員から「森に住む魔女と悪魔に魂を売り渡したのではないか」と疑われる事態に。疑心暗鬼に陥った家族に、さらなる惨劇が襲いかかる。

とにかく怖い。それもホラー映画でよくある大きい音が「ドーン!」と鳴って「ギャー!」ってなってびっくりする、みたいなビビらせかたではなく、丁寧に丁寧に不穏な雰囲気を重ね合わせていき、ジリジリと真綿で首を絞めるように観客をしみじみと怖がらせる。

舞台が1630年の入植者の家なので、室内に灯りはほとんどない。北大西洋沿岸っぽいドンヨリした天候がず〜っと続き、家の隣には暗鬱な森。昼でも薄暗い画面には林檎、山羊、初潮、双子、瀉血といった意味深なモチーフがこれでもかと連続で登場し、見ている方は「これ以上不穏なアイテムが出てきたらどうなっちゃうんだ……」とヒヤヒヤする。家族には何者かが取り憑いているのだが、その原因ははっきりわからない。大草原の小さな家を舞台に、意味深なモチーフに取り囲まれた歪な家族が互いに互いを疑う。地獄だ……。

『ウィッチ』がえらいのは、この筋立てで「疑心暗鬼の末に相互に殺しあうサイコホラー。本当に怖いのは人の心」みたいな、現代的なオチをつけるのを拒否した点にある。「魔女」をちゃんと映画の中に登場させるのだ。そしてこの「魔女」の要素が、映画を見終わった時の開放感につながってくるのである。

魔女と越境による、解放への賛歌


1630年といえば、ピューリタンたちがメイフラワー号でアメリカに渡ってまだ10年ほどというタイミング。キリスト教徒の中でも特に厳格なピューリタンたちだけど、その入植地からも「厳格すぎる」という理由で追い出されたんだから、ウィリアム一家がどれだけガチなキリスト教徒だったか想像はつく。

そんな厳しいキリスト教徒の家庭で、思春期を迎えた娘トマシン。彼女は女性に対してはあくまでプラトニックであることを強要する厳しい教義に疑いを覚え、両親との間でトラブルを抱えている。その隙間にはまり込んでくるのが、本作の「魔女」である。

「キリスト教原理主義の家庭と、その娘のホラー」ということになるとスティーブン・キングの『キャリー』という大傑作があるけども、毛色は異なるものの『ウィッチ』も系譜としては『キャリー』に連なる作品。宗教やルールが最優先され息苦しく自由のない生活、そして向こう側から手招きする、恐ろしくてインモラルだけど圧倒的に自由な"魔女"。その境界線をいかに超えるか・超えさせられるのか。『キャリー』も『ウィッチ』もそこが主題になっている。

トマシンを演じたアニヤ・テイラー=ジョイは、この境界線上にいる危うさを見事に表現していた。微妙に離れた両目が特徴的なつるんとした顔立ちは、20歳にも見えるし13歳にも見える。体型もエロティックにも見えるし、ただの子供にも見える。厳格なキリスト教の教えを守っているようにも見えるし、それをはねのけるエネルギーを持て余しているようにも見える。カットによって「良き長女」と「魔女の狂気に取り憑かれた娘」を行き来するその存在感は、まさにこの映画のために生まれてきたかのようである。

映画の終盤。高笑いするトマシンを見て筆者は心底「よかったなぁ!」と思った。
(しげる)