一般NISA創設を盛り込んだ2012年の税制大綱から10年、金融商品取引法の施行からなら15年ほど、金融庁の仕事ぶりを見てきた。ある時は間近で、ある時は深く関わり、またある時は少し距離を置いて。

この間、銀行や証券会社、運用会社などとも付き合いがあった。振り返ると、官民の意識のギャップ、ミスコミュニケーションに驚くことが少なくない。

そこで、主に金融業界で働く人のために、金融庁や財務省が本拠を構える霞が関3丁目界隈を中心に、そこではどのように情報を集め、評価し、意思決定しているか。その過程に何が影響を与えているかについて、自分が知り得たことを伝えていこうと思う。

当局の政策を自分の資産形成などに活かしたいと考える、業界以外の読者にも参考になるよう心掛けていきたい。

同時に、官の側にも「なぜ真意が伝わらないか」「どこで誤解が生じたか」といった疑問についてヒントを示せれば幸いだ。

このささやかな連載によって資産運用ビジネスでの官民の相互理解が深まり、国民の資産形成などでの障害が小さくなることを願っている。

仕組債はなぜ葬られたか、導火線は「老後2000万円」問題

官の仕事ぶりや政治との関わり方、その結果が民間のビジネスにどんな影響を及ぼすのか。それを考える材料として仕組債を巡る攻防を例に挙げよう。

意外に思われるかもしれないが、仕組債に関する一連の騒動の発端は2019年の「老後2000万円」問題にある。

金融庁が主催する金融審議会「市場ワーキング・グループ(WG)」が同6月に公表した報告書によれば、無職の高齢夫婦世帯の月収は公的年金などで21万円なのに対し、月の支出は26万円を超えている。差額は月に5万円強、年間では60万円を上回り、30年では2000万円近くになる。

この額は個人の金融資産で賄われている計算だ。要はゆとりある生活のために国民に自助努力による資産形成を促し、金融機関などにその支援を期待しているとのメッセージだ。

ただ、公表の時期が参院選の直前だったこともあり、報告書の内容は政治的に利用され、「政府は国民の老後を守れ」「十分な年金を払えないなら保険料を返せ」と厳しい批判にさらされた。結果、この報告書は当時の麻生太郎・金融担当大臣に受け取りを拒否されてしまった。

大物OBは言った「報告書は金融庁の魂」、落とし前が必要に

報告書が幻となり、当局にはダメージコントロールの仕事が残った。金融庁のある大物OBは現役に対し、「金融審議会の報告書は金融庁の魂だ。それを否定されてどうするつもりだ」と言った。

一方、大炎上した市場WGはその後も何ごともなかったように存続し、メンバーの変更も見られなかった。淡々と議事が進む市場WGだが、2020年3月の会合に事務方が出した資料の中に「分かりやすい情報提供のあり方について」(「顧客本位の業務運営に関する原則」の5番に相当)として、販売手数料や投資リスクの種類、利益相反の有無などについて、多様な商品を「業法の枠を超えて」比較できる書面の導入を検討するとの記述があった。「重要情報シート」の提案だ。

これが彼らなりの落とし前だ。市場WGは炎上して終わりではなく、株式や債券、投資信託、さらには投資一任(ラップ)や貯蓄性保険までを包括的に比較し、国民が自分に有利なものを選べるような仕組みをつくり、顧客本位の業務運営(FD)の進展に大きく貢献した。つまり、報告書の受け取りは拒否されたが、「市場WGの議論に意味はあった」と総括するためだ。

メンツからスジ論へ、当局にとって「苦情は世論」

投信業界は賢明にも「重要情報シート」の導入を早々に受け入れた。一方、販売会社、特に証券業界は仕組債の販売への影響などを懸念し、抵抗した。いわく「仕組債に販売手数料はない」「スプレッドは供給業者の正当な利ザヤだ」と。

1つひとつの理屈には聞くべきものがあるが、見逃せない点は彼らが金融庁の落とし前にケチを付けてしまったことだ。証券業界がこうした事情を理解して抵抗したのか、理解せずにしたのか不明だが、状況を楽観的に考え過ぎていたのではないか。

金融庁も自分たちのメンツのためだけに仕組債を叩いたわけではない。業界の抵抗に手を焼くうちに、仕組債の抱えるコスト(組成時、販売時のスプレッド)やリスク(ノックインの可能性と元本への影響)などの懸念が庁内で高まっていき、例えば投信に比べて商品の透明性が劣るとの判断に至った。

不運だったのは「重要情報シート」が提唱されて以降の2年間で仕組債のノックインが増え、金融庁への苦情も目立ちつつあったことだ。「苦情は世論」と受け止める当局にすれば、苦情の増加は仕組債を攻める大義名分を得たのも同然だ。

次に起きることは容易に想像できる。市場WGの資料には多様な商品を「業法の枠を超えて」比較できる書面を検討するとある。2022年9月に始まった金融庁主催の「顧客本位タスクフォース」の資料にも「個別商品に関する評価」として仕組債、ファンドラップと並んで外貨建て保険が記載されている。早晩、外貨建て保険やその販売のあり方がFDの観点から議論の俎上に載るとみられる。

政治や苦情、政府内での立場など、多くの調整を経て意思決定

仕組債を巡る騒動を、役所の論理を軸におさらいしてみた。当初から金融庁が一丸となって仕組債の排除を狙っていたわけではない。最終的に強硬策を取ったが、最初から合意されたシナリオやゴールがあったわけではない。少なくとも、傍からはそう見える。

監督官庁の方針が外部から判然としない要因や内部の論理で揺れたりしては、監督される民間の金融機関としては困ったことだろう。ただし、当局も限られた人員で多様な業務をこなし、さらには政治家やマスコミからの「圧力」を感じているとしたら、同情すべき点もある。

加えて、こうした制約や環境の中で活動していることは、見落とされている情報を提供したり別の角度からの議論を持ちかけたりする余地があることも示している。

執筆/霞が関調査班・みさき 透

新聞や雑誌などで株式相場や金融機関、金融庁や財務省などの霞が関の官庁を取材。現在は資産運用ビジネスの調査・取材などを中心に活動。官と民との意思疎通、情報交換を促進する取り組みにも携わる。