コンニャクと戦争(8月11日)地面を覆う緑の葉が太陽の光を浴び、芋がすくすくと育つ。いわき市田人地区のコンニャク畑だ。秋に種芋を掘り起こし、冬は貯蔵する。春に再び植える作業を繰り返す。収穫までには少なくても3年かかる。郷土料理には欠かせない味だ。明治時代初期に伝わり、中山間地域に広がった。市内の年間出荷量は一時、2400トンもあったという。35年ほど前から収穫量は減少に転じる。取引価格の下落や後継者不足などにさらされたためだ。原発事故による風評も追い打ちをかけた。今、市内で伝統の味を引き継ぐのは数軒の農家になった。太平洋戦争末期、コンニャクの成分マンナンを活用したゴム代用塗料で風船爆弾が製造された。和紙をコンニャクのりで何層にも貼り合わせ気球を作った。焼夷[しょうい]弾をつるす。戦況悪化を打開する秘密作戦だった。いわきには気球を飛ばす基地や気球工場があった。国内から9000個が放たれ、280個余りが敵国に落ちたという。刺し身コンニャクは夏の食卓の定番だ。爽やかな喉ごしと、爆弾のイメージは縁遠い。とはいえ、終戦記念日がもうすぐだと思えば、味わいも変わる。平和の尊さをかみしめ、食す。