「命を粗末にしては駄目だ」。7月6日、川俣町の川俣中に県遺族会遺児の会副会長・藤塚三清(みつきよ)さん(74)=川俣町字池ノ入=の声が響いた。戦争の悲惨さを後世に伝えようと、県遺族会が初めて学校で実施した出前授業。藤塚さんは生徒の目を見つめ、生きる尊さを説いた。 最近の憲法改正の動きには反対の立場だ。「平和が脅かされる不安がある。憲法9条が戦争の抑止力となってきたが、憲法が変われば国民の意識も変わる」と危機感を抱く。戦争という国策が多くの人の死を招いたとの考えに立ち、「私のような遺児を二度と生んではいけない」と訴える。 神奈川県逗子市生まれ。1944(昭和19)年10月、2歳の時に父清五郎さん=享年(29)=が戦死した。母の古里川俣町に引っ越して間もない頃だった。陸軍海上挺身(ていしん)基地第15大隊に所属していた清五郎さんは輸送船「大彰丸」に乗ってフィリピンに向かっていた。輸送船は台湾南のバシー海峡で米軍の魚雷を受けた。乗員2987人のうち1557人が犠牲になった。 藤塚さんは団体職員を務め、塾を経営した。1975年に発足した川俣町遺族会青年部の副部長に就いた。10年ほど前に県遺族会遺児の会副会長となり、国に遺族年金の継続などを求めてきた。県遺族会の終戦70周年記念誌の作成に編集委員として携わった。 戦争の記憶を若い世代に伝え、戦争の風化を防ぐため、県遺族会は記念誌を県内の小中学校に贈っている。藤塚さんは遺族が生の声で子どもたちに平和の尊さを訴える出前授業の講師を引き受けた。川俣中の講話では、始まってしまえば簡単には止められない戦争の恐ろしさを伝えた。そして「目標を持ち、自分の能力を発揮して生きるのが一番の幸せだ」と呼び掛けた。胸に秘めた思いのほんの一部しか話せなかったが、「次は生徒と対話してみたい」と意欲は高まった。 今年2月、日本遺族会主催の慰霊巡拝で父が亡くなった海を訪れた。酒を注ぎ、花を手向けた。「父は母や私のことを思いながら死んだはず。無念だったろうな」。将来を担う子どもたちのためにも、二度と戦争を起こしてはならない−。不戦の誓いを強くした。