東京電力福島第一原発事故により双葉町下羽鳥地区からいわき市に避難している農業沢上栄さん(71)は市内の水田約五十アールで稲作に取り組んでいる。「双葉の田んぼを原発事故前の状態に戻し、次の世代に継承したい」。脳裏にはいつも、古里でコメ作りに励んだ日々が浮かぶ。

 全町避難が続く双葉町は五月十九日、町内の帰還困難区域にある特定復興再生拠点区域(復興拠点)内の下羽鳥地区の水田で水稲の試験栽培を始めた。復興拠点は来年春ごろに避難指示が解除される見通しで、町は二〇二五(令和七)年に目指す水稲の営農再開への一歩を踏み出した。沢上さんも田植え機を操って苗を植えた。ただ、営農への道のりは険しいと感じている。「避難指示が解除されても、すぐに原発事故前のような農業ができるわけじゃない」

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 沢上さんは双葉町下羽鳥地区の山あいで、先祖代々続く農家に生まれ育った。父親を中学二年生の時に亡くし、成人する前から、稲作にいそしんできた。

 八十八もの手間がかかるとされる稲作。「おいしいコメを作る肥えた土になるにも時間がかかるんだ」。沢上さん自身も、水田が納得のいく土質にできるまで十年ほどかかったという。

 二〇二五年に町内で営農再開をしても、納得のいくコメが完成するのはいつになるだろう−。県内の農林水産物には原発事故に伴う風評被害が根強く残る。町産のコメを出荷しても適正な価格で取引できるのか。不安は尽きない。

 加えて、沢上さんの自宅や水田は帰還困難区域の復興拠点外にあり、除染や避難指示解除の方針が示されていない。「自分の代で営農を再開するのは無理かもしれないな」

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 長期化する避難生活は次世代への継承にも暗い影を落とす。原発事故前、沢上さんは一緒に暮らしていた長男裕さん(43)に稲作を引き継ごうと考えていた。その矢先、避難を余儀なくされた。裕さん一家とは離れ離れになり、十年の月日が流れた。

 双葉町では来春ごろに、復興拠点の避難指示が解除される見通しとなっている。復興庁は農地の集積・集約化、産地づくり支援などを通し、営農再開を加速させるとしている。町は地域営農再開ビジョンを策定し、復興拠点内や旧避難指示解除準備区域の両竹地区を対象に、担い手の確保や農地集積、新技術の導入などを進める計画だ。沢上さんは町農地保全管理組合のメンバーとして、両竹地区の整備に携わっている。

 ただ、復興庁と県、町による住民意向調査では町に戻りたいとの意思を持つ住民は一割程度となっている。「せっかく整備しても帰る人がいなければ、荒れ地に戻ってしまう。国は町民が農業への意欲を高められるような政策を掲げてほしい」。実り豊かな古里の大地を取り戻すため、早急な対応を国に求め続けている。