【増川隆洋インタビュー|第2回】191センチDFが最初にぶつかった壁…闘莉王との出会い

 名古屋グランパスでJ1リーグ制覇を経験したDF増川隆洋は、昨季限りでJ2京都サンガF.C.との契約が満了した。現在は「事実上引退」となり、家族とともに福岡で児童発達支援事業を経営している。昨季までは現役選手としてプレーしていた191センチの長身センターバック(CB)増川が、「Football ZONE web」のインタビューに応じ、敵わなかった2人の“エアバトラー”を振り返った。

 2003年にアビスパ福岡でキャリアをスタートさせ、05年に名古屋に移籍。10年にはドラガン・ストイコビッチ監督の下、元日本代表GK楢﨑正剛やDF田中マルクス闘莉王らと鉄壁の牙城を築き、チームのJ1初優勝に貢献した。13年まで在籍し、14年にはヴィッセル神戸へ移籍。16年に北海道コンサドーレ札幌、18年からは京都でプレーした。だが、40歳となった昨季限りで契約満了となり、そのまま20年シーズンが開幕。現在は「事実上の引退」であると明かし、福岡県大野城市で児童発達支援事業を運営し、子供たちの教育をサポートしている。

 現役時代は191センチの長身を生かし、屈強なCBとして活躍。名古屋で優勝を果たした10年には楢﨑や闘莉王らとともにJリーグベストイレブンにも選出された。Jリーガー屈指の長身を誇る増川だが、自身が空中戦で「敵わない」と感じたエアバトラーはいたのだろうか。

「プロのデビュー戦、闘莉王に勝てないと思った。めちゃくちゃ高かった。当時(闘莉王は)細くて動き回っていて……あいつが水戸の時だったかな。191センチあるけど、実は僕自身ヘディングが得意ではなくて、プロに入ってからやんなきゃと思ってやり始めた」

 J2福岡時代、プロ1年目の2003年3月15日。増川は、第1節水戸ホーリーホック戦で1点を追う後半22分から途中出場した。これがプロデビュー戦。水戸に在籍していた闘莉王は先発出場していた。

「僕はサブで入っていて、負けていた。最後パワープレーみたいな形で投入された。(敵陣)後ろにあいつがいて、普通に競り負けまくった」

 福岡は後半38分に追いつくも、後半アディショナルタイム、闘莉王に劇的な勝ち越し弾を決められて1-2で敗れた。増川にとってプロへの第一歩で受けた17年前の衝撃。「(191センチの)自分の頭の上で叩かれたら、やばいなと思う。あの時は完敗でしたね」。プロの洗礼を浴び、苦手だったヘディングでは負けられないと克服を誓った。最初の“壁”とも言える闘莉王との出会いは、増川にとって大きいものだった。

苦手だったFWは“平成の怪物”と33試合33得点のブラジル人 「寄せづらい感覚」

 そしてもう1人、増川が驚かされたのが元日本代表FW平山相太だった。現在は仙台大学に在学する身長190センチの“怪物”との対戦は印象深いようだ。

「平山選手とのマッチアップは嫌でした。そもそも同じサイズの人がなかなかいないから、感覚的に『あれ?』と思う。目線が一緒なのはやりにくかったですね。フィーリング的に、もうやりづらかった。なんか苦手。同じような身長の選手でも問題ない時は問題ないけど、平山選手だけはやりづらさは持っていた」

 長崎県の強豪・国見高校で全国高校選手権の得点王に輝き、優勝に貢献。“怪物”と称されたストライカーはオランダリーグやFC東京やベガルタ仙台でプレー。日本代表戦でもデビュー戦でハットトリックを達成した。2018年に現役を引退した記憶に残る点取り屋は、プロ生活17年間の増川にとって”感覚”を惑わす存在だったという。

「間の取り方、体の幅、仕掛けられても、寄せづらい感覚があった。ワンステップで体を振って、パッと外しにくる。シュートを打つ前、僕のタイミングと合わない。そういうのを漠然と持っていた気がする」

 さらに、CBとして苦手としたのはブラジル人FWアラウージョ。特に2005年のガンバ大阪所属時代は「止められないと思った。いいパスが出てくるし、シュートが上手いし、速い。しっかりとやられた記憶がある」と、Jリーグ史に残る33試合33得点の元得点王との対戦には手を焼いた。

 現在は事実上の引退として、ピッチから退いている増川。名古屋で優勝を経験し、ベストイレブンにも輝いたCBの記憶の中には数々の対戦が色濃く残っているようだ。

Football ZONE web編集部