名波浩氏が衝撃を受けた1986年W杯「最初で最後のお手本だった」

 誰しも少年時代に「あの人のようになりたい」と憧れた存在はいるはずだ。サッカー選手なら、その対象は当時のスタープレーヤーであることがほとんどで、映像を観てはグラウンドで真似をし、自らのテクニックや感覚を磨いてきただろう。1990年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を支え、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)に“10番”を背負って出場した元日本代表MF名波浩氏も、そんな少年時代を過ごした1人。日本の名司令塔が夢中になったのはサッカー史に残る天才、元アルゼンチン代表MFディエゴ・マラドーナだった。(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)

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 1986年メキシコW杯、テレビ画面の中で躍動するアルゼンチン代表“10番”のプレーに、当時中学生だった名波氏は衝撃を受けた。グループリーグから決勝までテレビ中継はもちろん、ビデオテープに録画して何度も何度も観ては、マラドーナの姿を目に焼き付けた。

「皆さんもそうだと思いますけど、憧れたらまず何から入ると言ったら、その選手のユニフォームを買ったり、同じスパイクを買ったりしますよね。僕の場合、マラドーナと同じ紐の結び方をしたり、ソックスのダルダルっとした感じも真似しました。86年(W杯)の決勝前にセンターサークルのちょっと外くらいでリフティングをするんですけど、ヒールキックでポン、ポン、ポンって3、4回やってというのも『これ、めっちゃ難しいな』とか言いながら真似したり(笑)。その時はまだ中学生だったので、見よう見まねで入っていくという意味では最高のお手本でしたし、振り返ってみれば、自分にとって最初で最後のお手本だったかなという気がします」

 当時25歳だったマラドーナは、卓越したテクニックでアルゼンチンの攻撃をコントロールし、見事に母国を2度目のW杯優勝に導いた。同じ左利きとしてプレーを“研究した”名波氏は、「ボールの置きどころや、相手に読まれた時の逃げ方とか、参考にしたところは多々あったと思います」と振り返ったが、一方で「プレースタイルが違うので、なんとなく自分というものにシフトチェンジしなくてはいけないところは多々あった」という。

「例えばボールの運び方のところで、マラドーナはここでもう一回ドリブルで仕掛けるけど、自分が同じように仕掛けたら足が遅いから追いつかれてしまう。だったら自分なりの良い選択肢はないかなと考えて、『名波浩のプレー』というのを作った気がします」

分かっていてもやられてしまう“凄さ”

 そんなマラドーナの“凄さ”として、名波氏は「ボディバランス、ボールを運んでいく時のドリブルのルートチョイス」を真っ先に挙げた。

「マラドーナは左利きだから、やはり左、左、左、左という感じにドリブルのルートを持っていく。これは(リオネル・)メッシもそうだけど、そのルートは相手に読まれやすいものであるにもかかわらず、スピードが上がる直前や上げた後に小さなフェイクやなんらかのトラップが隠れていて、それによって対峙した相手の頭に『右もあるのか?』とふと浮かんだ瞬間、もう一回左に持ち直されたりする。自分の好きなほうにドリブルのルートを持っていける技術の妙だよね」

 1986年メキシコW杯では、準々決勝のイングランド戦(2-1)で生まれたマラドーナの「神の手」と「5人抜き」によるゴールが伝説となっているが、名波氏は準決勝ベルギー戦(2-0)の2点目も印象に残っているという。

「先ほど言った、左に左にドリブルを持っていってからの左足シュート。当時観ていて、対峙したベルギーの守備陣に対して『なんでマラドーナを右に行かせないの?』と思ったけど、左に運ばれてしまうステップワークやフェイクがどこかに見え隠れしていて、分かっていても運んでいかれてしまう凄さがあるんだろうなと」

 もちろん、対戦相手が徹底的にマラドーナの“左”を防ぐケースもある。その一つの例が、1990年イタリアW杯決勝トーナメント1回戦のブラジル戦(1-0)、マラドーナが右足でFWクラウディオ・カニーヒアの決勝点をアシストしたシーンだ。センターサークル内からドリブルを仕掛けたマラドーナが敵陣に侵入。待ち構えたブラジルの2選手が左前方のコースを切ったため、右斜め前へと進路を取ると、前線にいたカニーヒアが左サイドのスペースへダイアゴナルに走り、その動きを見逃さなかったマラドーナが倒れ込みながら右足でラストパス。ボールはブラジルの選手の股下を通ってカニーヒアへと渡り、GKとの1対1を冷静に制して決勝点が生まれた。

「前を向いた瞬間、左を全部消されちゃって右に運ぶしかないと。最後は右足のパスでアプローチに来た相手の股を通すんだけど、あの時マラドーナは一度左アウトに体勢を立て直して、左のアウトサイドでパンと叩くだけのスペースと時間がなかった。相手に体ごとプレッシャーをかけられていたから、おそらく左アウトに向いた瞬間に自分も倒されちゃうようなシーン。その時にカニーヒアがフリーになったのが見えたから、無理やりにでも出さなきゃいけないというところでの右足の選択だったと思います。

 たぶん、あの瞬間でのマラドーナのファーストチョイスは、左のアウトサイドでのパスだったと思いますが、完全に体ごと潰されてしまうと判断したなかでの、セカンドチョイスかサードチョイスでの右足でのラストパス。あの舞台で瞬間的に切り替えられるのは凄いです」

「ボールと戯れることの楽しさや有意義さを表現してくれた」

 当時のピッチは、現代のように綺麗に整備されていない時代だ。さらに「重たいボール、なんら改良されていないスパイク」で、高精度の直接FKも決めていたマラドーナは「やっぱり凄い」と名波氏は改めて唸る。

 天才的なプレーを披露し続けた一方、違法薬物の使用が疑われるなどピッチ外でのスキャンダルも少なくなかったマラドーナ。名波氏も「もちろん、善と悪はあった」としたうえで、次のように続けた。

「地位や名誉も大切だと思っていたかもしれないけど、それ以上にボールと戯れることの楽しさや有意義さを、ピッチの中で表現し続けてくれた選手だと思います」

 2020年11月、アルゼンチンが生んだ“神の子”はこの世を去ったが、世界中の多くのサッカー選手に影響を与えた輝かしいプレーの数々は、永遠に語り継がれていくはずだ。

[プロフィール]
名波浩/1972年11月28日生まれ、静岡県出身。順天堂大学を卒業後の95年にジュビロ磐田に加入し、左利きの司令塔として黄金期を迎えたチームの中心として活躍した。Jリーグ通算331試合34得点、Jリーグベストイレブンに4度選出。1999-2000シーズンにはセリエAのヴェネツィアでプレーした。日本代表としても国際Aマッチ67試合9得点の成績を残し、1998年フランスW杯には背番号10をつけて出場。2000年アジアカップではMVPを受賞し、日本の優勝に大きく貢献している。08年に現役引退。14年から19年まで磐田監督を務めた。

Football ZONE web編集部