もろ刃の剣となるスピードスターの挙動。度重なった負傷

 8月2日、都内で記者会見を開き、2017シーズン限りでの現役引退を発表したFC東京の石川直宏。ここ数年は負傷に苦しめられ、「思ったように回復できていない」ことから現役生活を終える決断をしたという。だが、彼はピッチに戻ることを諦めたわけではない。引退発表は、限界を受け入れながらもプロ生活を全うしようという決意の表れだった。(取材・文:後藤勝)

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 8月2日は、第41回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会の連覇をかけてFC東京U-18が決勝に臨んだ日でもあった。なぜその日に引退発表記者会見をするのかと、疑問に思うかもしれない。しかし石川直宏を襲った過酷な運命を振り返れば、もし発表の場を設けるならここしかなかったかもしれないと腑に落ちる。

 若い時分から石川はカモシカのように大きなストライドで右サイドを飛び跳ね、そしてすばやく敵陣をえぐっていた。

 2001年のワールドユースをめざしたU-20日本代表を憶えているだろうか。たとえばU-20サッカートーナメント香港2001の初戦。飯尾一慶のパスに反応した石川は猛烈な勢いでウラのスペースを衝き、ブラジルからゴールを奪った。結果は2-2の引き分け。

 PK戦の末に敗れ、つづく3位決定戦ではアルゼンチンに0-1と敗れたが、この試合でも石川は臆することなく相手の左サイドを蹂躙していた。チームとしての結果よりも、石川のように個の力で世界と対峙できる若者が出現したことが衝撃的だった。

 しかし強い負荷がかかるスピードスターの挙動はもろ刃の剣だ。いつか自身に牙を剥く。

 大きなけがの始まりは2005年9月17日のJ1第24節、横浜F・マリノス対FC東京の一戦だった。ルーカスが脳震盪で倒れた時点でプレーは止まり、形式的に再開の笛が吹かれたもののそのままタイムアップした“事故”のような試合で、石川はクロスを上げるときに脚を傷めていた。診断の結果は右膝前十字靭帯損傷及び右膝外側半月板損傷。長期離脱を余儀なくされた。

 好事魔多し。打ち出の小槌と化し、ゴールを量産していた2009年にも悲劇が起きた。10月17日、J1第29節の柏レイソル戦でリーグ戦15点目を決めた瞬間に、今度は左膝前十字靱帯に傷を負った。復帰を急いだが、翌年のワールドカップ出場はかなわなかった。

「思ったように回復できていない」の意味

 そして腰椎椎間板ヘルニアで2014年の大半を欠場した翌2015年、今度こそはと再起したこの年の夏に、石川はまたも左膝を傷めた。8月2日のフランクフルト戦だった。後半開始からの途中出場。退いたのは66分だった。

 絶望的な状況で手術を決断。長いリハビリ生活に入った。昨年9月19日のJ3第22節で運命の「66分」に実戦復帰を果たし、つづく第23節にも出場したものの、再び状態が悪化して離脱。結局ドイツ遠征での受傷以来、2年間のリハビリがつづいている。石川は自身のブログに「思ったように回復できていない」と現役引退の理由を記した。具体的に、何が困難だと感じているのか。

 引退発表記者会見ののち、テレビ用の囲み取材があり、そのあとペン記者用の囲み取材があった。私はその場で「ブログに『思ったように回復できていない』とありましたが、それによってワンプレーの力が不足しそうだと危惧したのか、あるいはいいプレーができるけれど回数や時間が足りなくなりそうだと危惧したのか、どこを足りないと思ったのでしょうか?」と訊ねた。

 石川は次のように答えた。

「全体を通してですね。よくなる一方だと願いを込めて2年前に手術を決断しました。あのとき34歳だったんですけど、そういう年齢も関係なくいい方向に変えていきたいと思っていました。

 そのときのけがが原因ではあるんですけど、結局、いままでの蓄積が現在の状況につながっていて、だんだん理想なり求めているところの幅が狭まってきているのは事実なんですよね。最初は90分間試合に出続けて活躍することが目標だったんですけど、それがだんだんできなくなってくる感覚がある」

「最後に3位をめざすところで自分が力を出せる状況にしておきたい」

 この限界を受け容れたうえで、石川はきわめて限定的に、最後の力を振り絞るイメージを持つにいたったようだった。

「たとえばこのあいだの新潟戦(J1第19節)や鹿島戦(同18節)のような(同点の)状況で自分が途中から出たときに“ここで最後はナオでしょ”“ナオが入ったら勝てる”と、そういう短い時間でも結果を残せる膝にしたい。いまはそこまで行っていないんですけど、そこまで持っていきたいな、と。

 90分(フル出場)はまちがいなく難しいので。そこは自分でも受け容れています。やろうと思えば一発ならできるかもしれませんけど、そうしたら終わっちゃうので、もう(苦笑)。(本格復帰後の機会に)とっておきます」

 現役最後の試合がいつになるのか、どのタイミングを復帰の目安にしているのか、石川は語らなかった。いままで何度も「いついつに復帰する」と目標を立てては頓挫し、ひっくり返ることの繰り返しだったからだ。

 ただ、年内に一分一秒でもピッチに立ち、チームを奮い立たせたいという想いだけは確実にある。

「いまはチームの目標を少し軌道修正しましたけど、それによって5位のところにいながら、3位に手が届く、と。いまから(直接)3位をめざすのは難しい話ですから、最後に3位をめざすところで自分が力を出せる状況にしておきたいと思います」

引退発表は悲しみに充ちた報告ではなく、前進しようという意思の表れ

 ただ、ピッチに立つ姿を観るのはそう遠い日のことでもないように思える。チームがドイツ遠征をしていた7月18日に小平を訪れると、負傷から個人練習への復帰を果たしたばかりの大久保嘉人とともに、石川は芝生の上を力強く走っていた。そこから一転して引退発表をした8月2日は室内でのメニューが大半になっていたのも、復帰への過程に於けるやむをえない現象であるらしい。

 石川は記者会見の席上でこう述べていた。

「いまはかなりペースも上がってきていて、もう少ししたら(全体)練習への合流もできるんじゃないかというところまで来ていたんですが、動けるようになってきているからこそ、膝ではなく、先週また古傷のふくらはぎを傷め、張ってしまった状態。メニューをコントロールしながら復帰をめざしているところです」

 そして同時に、ろうそくの喩えではないが、燃やし尽くして現役生活を終えようという決心も揺るがないところが、またナオらしい。

「からだというか頭は正直で、今朝、夢を見たんですけど。やはりこういったかたちで引退を伝えたあとに、どこかでプレーしているシーンだったんですよ。めちゃめちゃ動けて。

 引退撤回しようかなと思っている自分がそこにいて――という感じで朝、目を醒ましたんですけど。(起きてみて)たぶん、それはないな、と(笑)。出し尽くして。まあ、(撤回は)ないと信じます。逆に、やりきりたいので」

 度重なるけがに苦しめられながら現役最後の瞬間を迎えようとしている石川に、暗い表情はない。引退発表も、残りわずかとなったかぎられた時間に自分の持てる力のすべてを発揮し、チームに少しでも貢献しようと思うがゆえだ。

 8月2日の引退表明は悲しみに充ちた報告ではない。西が丘でクラブユース日本一を勝ち取ったFC東京U-18の戦う姿勢に等しく、前進しようという意思のあらわれだった。

(取材・文:後藤勝)