山口蛍のプレーで問うべきは「原則」があったか否か

 たとえば日本代表とベルギー代表の雌雄を決した「ロストフの14 秒」を論じるとき、その指摘は結果論になっていないだろうか。解説者として活躍する元日本代表の岩政大樹氏は、まず問うべきは「原則」であると説く。2月6日発売の「フットボール批評issue23」から一部を抜粋して前後編で公開する。今回は後編。(文:岩政大樹)

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 前置きが長くなりましたが、私はこの3つの要素の中で、指導や解説をする場合に最も重視しているのが「原則」の部分です。サッカーの話をする時にまず原則の話からするべきだと思っています。なぜなら、選手たちがプレーするときに真っ先に頭に浮かぶ(無意識も含め)のが「原則」なわけですから、先にその話をもってこないと、ピッチレベルの選手たちと理解し合えないと思うからです。

 例をあげましょう。

 昨年、最もサッカーファンの記憶に残ったプレーは「ロストフの14秒」でしょう。どのプレーを取り上げても構わないのですが、せっかくなので「ロストフの14秒」における「原則」「判断」「技術」を考えて、選手たちの思考に迫ってみます。

 まず切り取りたいのは、デ・ブライネ選手がドリブルでボールを運んできたときの山口蛍選手の対応です。山口選手はデ・ブライネのドリブルに対し「取れる」と思ったと報道されています。結果、ボールを取りに出るのが早すぎた山口選手は何もすることができませんでした。

 ただ、私は山口選手の「取れる」という判断を断罪しようとは一切思いません。どんな結果であれ「判断」は選手の持ち物であり、成功も失敗も結果論でしか語れないものだと知っているからです。

 問題としたいのは、山口選手の頭に「原則」はあったのかということです。

 この場面、デ・ブライネ選手が持ち運んだ時点で日本は3対5、数的不利な状況になっていました。数的不利でディフェンダーは3人。この場合、「ペナルティエリアまで5〜10メートルのところまで戻り、そこから3人のうち中央の選手がアタックに出る」が「原則」です。それ以上早く出れば、まさに「ロストフの14秒」のようになり、それ以上下げてしまうとミドルシュートを決められてしまうリスクが高まるからです。

 3人のうち中央の山口選手が出るのは原則通りです。しかし、取りに出るタイミングはあまりにも早すぎました。「原則」からすれば、もっと後方まで戻り、背後のスペースを消した上で出ていくのがより良い選択だったと思います。

堂々巡りの議論ではないサッカーの本質

 しかし、前述したように、選手たちには「原則」を基に「判断」を下してプレーを選択する権利があります。もし、山口選手が「原則」を基に「取れる」という「判断」をし、出ていったのなら、それは批判こそされるでしょうが、仕方のないことです。次に同じような場面を迎えた時に、それを生かしていけばいいのです。

 状況から想像するに、山口選手は数的不利であることを認識していなかったのかもしれません。日本の選手たちが置き去りにされて、ベルギーの選手に両サイドをフリーで走られているのを確認できず、セットプレーが蹴られた時のまま「自分が一人余っている」と勘違いしていた可能性があります。であれば、デ・ブライネ選手に自分が出ていっても後ろは2対2。それなら「取れる」という判断で出ていくのもうなずけます。

 試合後、この場面の山口選手が出ていくという「判断」に対して様々な意見が見られました。「出ていくべきだった」「ファウルするべきだった」「出ていくべきではなかった」。それは終わりのない議論に見えました。

「もっといい対応ができていれば」「もっとスピードがあれば」と「技術」を取り上げる方もいました。それも全て結果論に見えました。

 そう、結果論になるのです。「判断」と「技術」を追っていると。

 しかし、「原則」は違います。山口選手の頭に「原則」があったのかどうか。そもそも、日本にあの場面においての「原則」があったのかどうか。私は、様々に意見を交わす人たちの中で、まず「原則」から話をする声が少ないように感じたのです。

 プレーを見るときはまず「原則」を問うべきです。その上で、「判断」や「技術」の話をしなければ、選手がなぜそのプレーをしたのかは分かりません。

(文:岩政大樹)