GK

フランク・ライカールト監督が率いた2005/06シーズンのバルセロナは美しく、強かった。リーガ連覇に加え、クラブ史上2度目のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)制覇を達成。全盛期のロナウジーニョが君臨し、若き日のメッシやイニエスタがスターへの階段を上っていたバルサは、華麗なパスサッカーでライバルたちをねじ伏せていった。今回、フットボールチャンネルでは当時の主力メンバーをピックアップ。世界の頂点に立ったメンバーを紹介していく。
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GK:ビクトル・バルデス(スペイン代表)
生年月日:1982年1月14日(当時24歳)
2005/06シーズンCL成績:12試合出場/5失点

 ジャンルイジ・ブッフォンやイケル・カシージャスが名を馳せた当時、DFラインの裏のスペースを積極果敢に埋めるバルデスのプレースタイルは異色だった。高い足下の技術を併せ持っており、華麗なパスワークを見せるバルセロナの攻撃にも欠かせない存在だった。

 リーガエスパニョーラでは、04/05から連覇を達成。圧倒的な攻撃力が魅力のチームだったが、実はこの2シーズンは失点数でも29、35失点でリーグ1位だった。攻撃的なチームゆえに、バルデスが1対1の状況にさらされることも多かったが、鋭い飛び出しや反射神経の高さでチームのピンチを何度も救っている。

 ラ・マシア(バルセロナの下部組織)出身のバルデスは、2002/03シーズンに出場機会を得て以来、退団する13/14シーズンまでゴールマウスを守り抜いた。公式戦出場はクラブのGK史上最多となる602試合を数え、3度のCL制覇、6度のリーグ優勝に貢献している。

DF

DF:オレゲール(カタルーニャ代表)
生年月日:1980年2月2日(当時26歳)
2005/06シーズンCL成績:11試合出場/0得点0アシスト

 187cmの恵まれた体格から生まれるパワーを武器に、チームから重宝された。右サイドバックはジュリアーノ・ベレッティがプレーすることも多かったが、センターバックとサイドバックで併用されたオレゲールを今回はイレブンに組み込んだ。

 ラ・マシアからバルセロナの主力まで成長したが、スペイン代表歴はない。これはオレゲールが熱心なカタルーニャ独立主義者だったためで、このシーズンの12月にはスペイン代表合宿に招集されたものの、キャリアを通じてスペイン代表のユニフォームに袖を通すことはなかった。

DF:カルレス・プジョル(スペイン代表)
生年月日:1978年4月13日(当時28歳)
2005/06シーズンCL成績:12試合出場/0得点0アシスト

 前述の2人同様、プジョルもラ・マシア出身である。引退したルイス・エンリケの後を継いで04年にキャプテンに就任すると、チームはそこからリーグ連覇を達成。13/14シーズンに引退するまでバルセロナ一筋を貫いたバンディエラだった。

 身体を投げ出して相手を止め、時にはカードを覚悟でファウルを犯す。相手からしたらいやらしい、味方からすればこれほど頼もしいDFはいない。まさに闘将の名がふさわしい選手だった。

DF:ラファエル・マルケス(メキシコ代表)
生年月日:1979年2月13日(当時27歳)
2005/06シーズンCL成績:8試合出場/0得点1アシスト

 184cmという体格はそこまで大柄ではなく、身体能力で秀でているタイプではなかったが、この時代では数少ない「配給能力に秀でたDF」だった。その足下の技術の高さから、プレースキッカーを任されることもあった。一列前のポジションでプレーすることもあったが、このシーズンではプジョルとセンターバックでコンビを組んでいる。

 03年夏にASモナコから加入後、7年間にわたってプレーした。メキシコ代表としても長年プレーし、これまで3人しかいないFIFAワールドカップ5大会出場という記録も持っている。

DF:ジオバニ・ファンブロンクホルスト(オランダ代表)
生年月日:1975年2月5日(当時31歳)
2005/06シーズンCL成績:13試合出場/0得点0アシスト

 オランダ代表のファンブロンクホルストは、オーバーラップから精度の高いクロスを供給し、威力抜群のミドルシュートを持っている。かつては中盤でプレーすることが多かったが、バルサでは左サイドバックでの出場がほとんどだった。このシーズンはブラジル人DFシルビーニョと併用されていたが、エル・クラシコやCLといった重要な試合ではファンブロンクホルストが起用されている。

 フェイエノールトやアーセナルを経て、03年夏にバルセロナにやってきた。07年夏にフェイエノールトに戻ると、3年後に引退。アシスタントコーチや下部組織の指揮官を務めたファンブロンクホルストは、14/15シーズンからトップチームで5シーズン指揮を執り、今冬からは広州富力の監督を務めている。

MF

MF:エジミウソン(ブラジル代表)
生年月日:1976年7月10日(当時29歳)
2005/06シーズンCL成績:9試合出場/0得点0アシスト

 強靭なフィジカルを持ち、DFラインの前で相手の攻撃を封じる。ロングパスで相手のプレスを剥がすなど、アンカーのポジションからバルセロナの攻撃を支えていた。

 02年にFIFAワールドカップ日韓大会でブラジル代表優勝に貢献し、04年夏にリヨンから加わった。加入1年目はなかなか出場機会を得ることができなかったが、CLとリーガの2冠を達成した05/06シーズンはアンカーの定位置を確保し、公式戦41試合に出場している。

MF:アンドレス・イニエスタ(スペイン代表)
生年月日:1984年5月11日(当時22歳)
2005/06シーズンCL成績:11試合出場/1得点2アシスト

 CL決勝ではGKイェンス・レーマンの退場により数的不利になったアーセナルに先制を許す中、エジミウソンに代わって後半開始からピッチに立った。すると、75分にサミュエル・エトーの同点ゴールをスルーパスでお膳立て。直後にバルセロナは逆転に成功し、クラブ史上2度目の栄冠を掴んでいる。

 トップチーム昇格4季目のこのシーズンは、攻撃的なカードとして後半から起用されることが多く、MFとしては最も多い49試合に出場している。インサイドハーフはシャビとデコが務めることが多かったが、シャビが12月に左膝前十字靭帯を断裂する大ケガを負ったこともあり、ブレイクした前年に続いて中盤の主力に定着した。

MF:デコ(ポルトガル代表)
生年月日:1977年8月27日(当時28歳)
2005/06シーズンCL成績:11試合出場/2得点0アシスト

 高い足下の技術はバルセロナの華麗なサッカーの心臓とも呼ばれ、多彩なキックで多くのチャンスを生み出した。ブラジル出身らしい気性の荒さでカードをもらうことも多かったが、プレー自体はインテリジェンスの塊だった。

 ジョゼ・モウリーニョとともに02年にポルトでCLを制覇。04年夏にバルセロナにやってきた。ロナウジーニョの鮮やかなプレーも、エトーのゴールも、デコの存在抜きには語れない。すべてはデコのパスから始まっていた。

FW

FW:ルドビッチ・ジュリ(フランス代表)
生年月日:1976年7月10日(当時29歳)
2005/06シーズンCL成績:8試合出場/1得点1アシスト

 164cmと小柄だが、DFラインの裏をとるうまさ、スピード、そして決定力に秀でていた。逆サイドのロナウジーニョが守備をしないため、献身的なディフェンスもチームにとっては重要な戦力となっていた。ちなみにこのシーズン、18歳のリオネル・メッシはリーグ戦17試合で6得点を挙げて台頭したが、終盤にハムストリングを負傷して戦線から離れている。

 ジュリはリヨンの下部組織からトップチームに昇格し、キャプテンも務めている。03/04シーズンにリヨンをCL決勝に導き、オフにバルセロナに移籍。クラブでは輝かしいキャリアを過ごした一方で、ジネディーヌ・ジダンをはじめタレントが揃うフランス代表ではわずか3得点しか挙げることはできなかった。

FW:サミュエル・エトー(カメルーン代表)
生年月日:1981年3月10日(当時25歳)
2005/06シーズンCL成績:11試合出場/6得点3アシスト

 爆発的なスピードをはじめとする高い身体能力は、攻守両面で如何なく発揮された。そして、特筆すべきはボックス内での得点能力の高さ。このシーズン、CLでは6得点3アシスト、リーグ戦では26ゴールをあげて得点王にも輝いている。

 エトーは1996年、母国カメルーンからレアル・マドリードのカンテラ(下部組織)に加入した。その後、武者修行を経て移籍したマジョルカでエースとして活躍し、コパ・デル・レイ(スペイン国王杯)優勝などに貢献。2004年夏にバルセロナに移籍している。バルセロナに在籍したのはわずか5シーズンだったが、その間に130得点を叩き出した。

FW:ロナウジーニョ(ブラジル代表)
生年月日:1980年3月21日(当時26歳)
2005/06シーズンCL成績:12試合出場/7得点5アシスト

 左ウイングのロナウジーニョには、自由が与えられていた。左から中央へとポジションを移せば、エトーが気を利かせて左へ移動し、守備はエトーとジュリがカバーする。このころのロナウジーニョはまさに全盛期で、唯一無二のテクニックを活かすために他の10人がプレーしていたと言っても過言ではなかった。

 パリ・サンジェルマンで輝かしい活躍を見せ、2002年の日韓ワールドカップではブラジル代表を優勝へと導いた。ライカールトが監督に就任した04年夏にバルセロナにやってくると、このシーズンのCL制覇とリーグ連覇に貢献した。バルセロナでのキャリアは短く、207試合に出場して94得点71アシストという圧倒的な数字を残して、ライカールトが監督を退いた08年夏にチームを去った。

【了】