15歳でセリエAデビュー

 才能を高く評価されていても、真の意味でスターになれるのはほんのひと握り。若くして華々しいデビューを飾りながら、サッカー界の厳しい競争に晒された末に才能を開花させられないまま転落していった逸材たちは無数にいる。今回は21世紀に表舞台から儚く消えていったイタリア・セリエA出身の5人の“元逸材”たちを紹介する。

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ヴァレリ・ボジノフ(元ブルガリア代表)

生年月日:1986年2月15日(34歳)
現所属クラブ:ペスカーラ(イタリア2部)
今季リーグ戦成績:1試合出場/0得点0アシスト

 ブルガリアのアスリート一家に生まれたボジノフは、13歳でレッチェの下部組織に加入し、2002年1月に15歳11ヶ月でセリエAデビューを飾る。これは当時の同リーグ外国人史上最年少出場記録だった。2004/05シーズンには前半戦だけでリーグ戦11得点を挙げ、冬の移籍市場でフィオレンティーナに引き抜かれる。ところが新天地ではからっきし。ゴールはパタリと止まり、その後も絶対的なレギュラーとはなれなかった。

 2006年夏にはカルチョスキャンダルによってセリエBへ降格していたユベントスに期限付き移籍するも、2部リーグで18試合5得点と期待を裏切る。2007年夏のマンチェスター・シティ移籍も裏目に出た。1年目にひざの大怪我で5ヶ月間の長期離脱を強いられ、2年目の序盤にはアキレス腱を断裂してしまう。結局、プレミアリーグでは2年間れリーグ戦11試合出場、わずか1得点にとどまり、2009/10シーズンは慣れ親しんだイタリアへ戻ることとなった。

 期限付き移籍で加入したパルマでは1年目の2009/10シーズンにリーグ戦8得点を記録するも、2年目はエルナン・クレスポやアマウリとのポジション争いに敗れて3得点に終わった。2011/12シーズンはポルトガルの強豪スポルティングCPへ移籍するも、試合中に味方からボールを奪ってPKを蹴り、しかも失敗したことで規律違反とみなされ練習場への立ち入りすらも禁じられてしまう。

 その後、2012年2月に古巣レッチェへと貸し出される。以降はポルトガルでチャンスを与えられることなく、セリエBのエラス・ヴェローナやヴィツェンツァへ期限付き移籍。2013年9月にスポルティングCPを退団することとなった。

 それから半年の無所属期間を経て母国ブルガリアのレフスキ・ソフィアへ加入する。かつて逸材と呼ばれた男の流浪の日々が幕を開けた。半年でイタリアに戻ったセリエBのテルナーナで半シーズンプレーしたのち、セルビアのパルチザンへ移り、1年半プレーして今度は中国2部の梅州五華へ赴く。

 結局、5ヶ月ほどで欧州へ戻りスイス1部のローザンヌに加入するも、2017年夏にたった3ヶ月したのみの在籍で退団。2018年2月にクロアチア1部のリエカ加入を皮切りに、ブルガリアのボテフ・ヴラツァ、レフスキ・ソフィア、再びボテフ・ヴラツァと2年間で4度の移籍を経験する。今年2月にイタリアへ戻ってセリエBのペスカーラへ加入したが、若手の頃に期待されたほどの成長はなく、キャリアの終盤に差し掛かっている。 

甘いマスクのユーベ育ち

パオロ・デ・チェリエ(イタリア)

生年月日:1986年9月17日(33歳)
現所属クラブ:マイアミ・ビーチCF(アメリカ5部相当)
今季リーグ戦成績:1試合出場/0得点0アシスト

 ユベントスの下部組織で育ち、同クラブがカルチョスキャンダルによってセリエBへ降格していた2006/07シーズンにトップチーム昇格を果たした。この頃は左ウィングやFWを主戦場とするアタッカーだった。

 翌2007/08シーズンに共同保有の形でシエナへ移籍し、左サイドバックにコンバートされてセリエAで29試合出場2得点1アシストを記録する。そして2008/09シーズンからはユベントスに復帰し、徐々に出場機会を増やしていった。2009/10シーズンは後半戦にかけてレギュラーの座も確保する。

 ところが順調なスタートを切った2010/11シーズンの中盤に膝蓋骨の骨折という重傷を負い、リーグ最終節で復帰するまで残りシーズンのほとんどを棒に振ってしまった。セリエA優勝4回という星こそついているものの、デ・チェリエ自身のキャリアはここから徐々に下降線を描いていく。

 2011/12シーズンはアントニオ・コンテ監督の下で左ウィングバックや左サイドバックとして起用されて後半戦を中心に21試合でピッチに立つが、守備面での不安が改善されず。2012/13シーズン以降はクワドウォー・アサモアやフェデリコ・ペルーゾの加入によって出場機会が激減し、負傷の多さも相まってユベントスでの居場所を失ってしまった。

 2014年1月にはジェノアへ、同年9月からはパルマへそれぞれ半年間の期限付き移籍を経験し、実戦感覚を取り戻していくも、復帰したユベントスでの立場は変わらず。2015/16シーズンはフランスのマルセイユへ貸し出されて初の国外挑戦に踏み切ったが、中盤戦に立て続けの長期離脱があってほとんどインパクトを残せず期間満了になって輝きは完全に失われてしまった。ユベントスに籍を置いていた2016/17シーズンは1試合もベンチ入りすらすることなく全休で、そのまま同クラブを退団することとなった。

 その後、2017年末にセリエAで残留争いをしていたベネヴェントの練習に参加するも首脳陣を満足させられず、契約には至らなかった。結局、約半年の無所属期間を経てスイス2部のセルヴェットFCと短期契約を結びカムバックを果たすが、リーグ戦11試合2得点2アシストという記録を残しながら退団していた。2019年頭に北米MLS行きの噂が囁かれた以外、浪人期間中の動向に不明な部分も多かったが、どうやら地元のアオスタに戻ってC.G.C.アオスタというアマチュアクラブでプレーしていたようだ。

 2019年夏にはビーチサッカーにも挑戦し、自身のインスタグラムには見事なオーバーヘッドキックでのゴール動画などが公開されている。そして2020年1月、デ・チェリエは11人制のサッカーに戻ってきた。アメリカ5部相当の独立リーグUPSLの新設クラブ、マイアミ・ビーチCFにクラブ史上初の契約選手として加入。元アーセナルのジャスティン・ホイトとともに中心選手として、3月7日に行われたアドレスタFCとのリーグ開幕戦に出場してクラブの公式戦初勝利に貢献した。

 イタリアでは伸び悩みユベントスの主力やイタリア代表にはなれなかったが、33歳でアメリカに渡ったデ・チェリエの新たな挑戦に注目だ。

日本行きも噂された長身ストライカー

ロベルト・アクアフレスカ(イタリア)

生年月日:1987年9月11日(32歳)
現所属クラブ:なし(2019年7月〜)

 トリノの下部組織で育ち、2005年に複数クラブ争奪戦の末にインテルへ移籍する。すぐにトレヴィーゾへ貸し出され、2年目の2006/07シーズンにセリエBで11得点を挙げて台頭。2007/08シーズンは後半戦に9得点を荒稼ぎし、年間でリーグ戦10得点。そして2年目に14得点を挙げ、2年連続セリエAでの二桁得点を記録した。

 その間、U-23イタリア代表として2008年の北京五輪にも出場して期待の若手ストライカーの1人として注目を浴びる。ところがインテルでは1試合も出番なく、2009/10シーズンにディエゴ・ミリートとチアゴ・モッタ獲得の代替要員としてジェノアに放出され、即座にアタランタへ期限付き移籍する。

 しかし、新天地では鳴かず飛ばずで半年後にジェノアへ復帰。その後はカリアリやボローニャへレンタルされるも、控えFWから抜け出せず2012年夏にボローニャへ完全移籍しても期待に応えられずスペイン1部のレバンテへ期限付き移籍したこともあった。

 2014/15シーズンはセリエBに降格したボローニャの一員としてプレーするも、リーグ戦でわずか3得点しか挙げられず。チームがセリエAに昇格した翌2015/16シーズンは出番が激減し、2016年夏にセリエBのテルナーナへ放出されても結果を残せなかった。2017年夏からはスイス1部のFCシオンに新天地を求めたが、ここでもほとんど試合に出ることができず昨年夏からは無所属状態が続いている。

 ボローニャで出番を失っていた2016年夏にはJリーグのサガン鳥栖移籍も噂されたが、実現しなかった。若手の頃にイタリア代表招集の可能性も取りざたされた早熟のストライカーは、キャリア続行か引退かを迫られる状況にいる。

ピルロの後継者のはずが…

ルカ・マッローネ(イタリア)

生年月日:1990年3月28日(30歳)
現所属クラブ:クロトーネ(イタリア2部)
今季リーグ戦成績:23試合出場/3得点0アシスト

 トリノ生まれでユベントスの下部組織で育ち、イタリア世代別代表の常連だった。2009/10シーズンにはセリエAデビューを飾っているが、そのエレガントなプレースタイルとパスセンスでアンドレア・ピルロの後継者として期待されていた。

 中盤の底で攻守を司るレジスタと、センターバックにも対応する汎用性も魅力だったが、伸び悩みは顕著だった。ユベントスも辛抱強く使い続け、2012/13シーズンはリーグ戦10試合に出場したがブレイク仕切らず。

 サッスオーロ、カルピ、エラス・ヴェローナとセリエAの下位クラブへとレンタルに出されるも、定位置をつかむことはできなかった。2016/17シーズンには国を変えて、ベルギーのズルテ・ワレヘムへ期限付き移籍するも、イタリアで評価が高まることはなかった。

 2017/18シーズンはついにレンタル先がセリエBになり、バーリへ期限付き移籍。昨季のエラス・ヴェローナへ2度目のレンタルを経て、同クラブに買い取られ、即座に同じセリエBのクロトーネに期限付き移籍している。2部ではレギュラークラスとして存在感を発揮するが、1部ではからっきし。かつてのピルロ2世は実に中途半端な選手のまま30歳を迎えてしまった。

10年W杯、スアレスのハンドで…

ドミニク・アディアー(元ガーナ代表)

生年月日:1989年11月29日(30歳)
現所属クラブ:チェンマイ・ユナイテッド(タイ2部)
今季リーグ戦成績:なし

 ガーナ国内リーグで台頭したアディアーは、2008年夏にノルウェーのフレドリクスタへ移籍して欧州上陸を果たす。そして翌2009年、U-20ワールドカップで大会MVPと得点王を獲得する大活躍を披露し、決勝でブラジルを破ってガーナを初優勝に導いた。

 そして大会直後、この才能に目をつけたミランが同選手の獲得に踏み切り、2010年1月にイタリアへ渡った。当然ながら世界的な強豪ですぐに出番を得られるわけがなく、トップチームではシーズン終了まで1試合も出場なし。それでも同年夏の南アフリカワールドカップに出場するガーナ代表メンバーに選ばれた。

 迎えた準々決勝、相手はウルグアイ。この試合での出来事を記憶しているファンは多いだろう。1-1でもつれて延長戦に突入し、あの事件が起きた。ルイス・スアレスの決定的な得点機会を阻止するハンドである。それによって得たPKを外したアサモア・ギャンが注目されがちだが、ウルグアイの猛獣をハンドに走らせたヘディングシュートを放ったのがアディアーだった。これが決まっていれば、彼の未来は大きく変わっていたかもしれない。

 ワールドカップから戻ったアディアーにミランでの居場所はなく、当時セリエBのレッジーナへ期限付き移籍。その半年後にはセルビアの名門パルチザンに貸し出されるも、なかなか結果を残せなかった。その後、2011/12シーズン前半戦は当時トルコ2部のカルシヤカへ期限付き移籍し、同シーズン後半戦はウクライナ1部のアルセナル・キエフへと赴いた。

 結局、ミランでは1試合も出場しないまま2012年夏にアルセナル・キエフへ完全移籍するも、芽が出ることなく、クラブの破産にともなって契約が解除され2014年1月に無所属となってしまう。そこからは半年の求職期間を経てカザフスタンで短期間プレーし、欧州サッカー界を去ることとなった。

 欧州で居場所を失ったアディアーがたどり着いがのは東南アジアだった。2015年2月から4シーズンにわたってタイ1部リーグのナーコンラーチャシーマでプレーした。ただ、二桁得点は2017年の一度だけ。かつてU-20ワールドカップでMVPを獲得し将来を嘱望されたころの華やかさや輝きは完全に失われてしまった。

 2019年はタイ2部にカテゴリを落とし、シーサケットFCでプレーし、今季は同じリーグのチェンマイ・ユナイテッドに所属している。ワールドカップにも出場した金の卵は、孵らないままベテランとなり、東南アジアの日陰でもがき続ける。