フランスW杯

日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号3を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回はワールドカップで3番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
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監督:岡田武史
戦績:グループステージ敗退

背番号3:相馬直樹(鹿島アントラーズ)
生年月日:1971年7月19日(26歳)
個人成績:3試合出場/0得点0アシスト

 1994年に早稲田大学から鹿島アントラーズに加入した相馬直樹は、1年目から左サイドバックに定着した。翌年にはA代表デビューも飾り、フランスワールドカップ出場権獲得に貢献している。

 アルゼンチンとの初戦で相馬は3-4-1-2システムの左ウイングバックとして先発したが、0-1とビハインドを負った84分に平野孝と代わってベンチに退いている。クロアチアとの第2戦にはフル出場したが、日本代表は連敗を喫してグループステージ敗退が確定した。

 第3戦、日本代表は出場停止となった中西永輔に代えて小村徳男を起用した以外は、初戦、第2戦と同じ先発メンバーを起用した。しかし、ジャマイカ代表のセオドア・ウィットモアに2得点を決められてリードを許す展開となった。

 それでも一矢報いたい日本代表は小村と城彰二を下げて呂比須ワグナーと平野を投入して攻勢に出た。すると74分、名波浩からパスを受けた相馬は、右足でクロスを入れる。ファーサイドで待ち構えていた呂比須がヘディングで折り返すと、これを中山雅史が右足で押し込んでゴールネットを揺らした。

 初のワールドカップの舞台は3戦全敗という結果に終わったが、日本代表は3試合目で記念すべき初得点を挙げた。その歴史的ゴールは相馬のクロスから生まれたものだった。

●ジャマイカ戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
小村徳男
井原正巳
秋田豊

▽MF
名良橋晃
山口素弘
名波浩
相馬直樹
中田英寿

▽FW
中山雅史
城彰二

日韓W杯

監督:フィリップ・トルシエ
戦績:ベスト16

背番号3:松田直樹(横浜F・マリノス)
生年月日:1977年3月14日(25歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

 世代別の日本代表でプレーしてきた松田直樹は、1995年に横浜マリノス(現F・マリノス)に加入した。1年目から33試合に出場すると、翌年には飛び級でアトランタ五輪に出場。ブラジル戦の勝利に貢献し、「マイアミの奇跡」を経験した。

 シドニー五輪予選では控えに回ることが多く、フィリップ・トルシエ監督と衝突して代表から外された。その後は復帰して五輪のメンバーには選ばれたものの、出場したのは米国代表との準々決勝の1試合のみだった。しかし、2000年2月にデビューしたA代表ではフラット3の右センターバックに定着。自国開催となった日韓ワールドカップのメンバーにも順当に選ばれた。

 初戦のベルギー戦は2-1で迎えた71分、キャプテンマークを巻く森岡隆三が負傷交代するアクシデントがあり、日本代表は直後に同点に追いつかれてしまう。それでもその後は無失点で乗り切り、ワールドカップ初の勝ち点を掴んだ。

 続くロシア戦は稲本潤一のゴールを守り切り、初のクリーンシートを記録した。グループステージ突破を懸けて戦ったチュニジア戦は2-0で勝利。トルコとのラウンド16で日本代表は敗れたが、松田直樹は4試合すべてにフル出場し、日本代表初の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。

 マリノスではチームキャプテンを務めた03年からJリーグ連覇を達成した。しかし、ジーコとは折り合いが悪く、日本代表から遠ざかった。マリノスでは16年間で385試合に出場。12シーズン背負った背番号3は松田のトレードマークとなり、ミスターマリノスと呼ばれてサポーターから絶大な人気を誇った。

 11年にはJFLに所属する松本山雅に移籍。ここでも背番号3をつけてプレーしたが、8月2日の練習中に倒れ、急性心筋梗塞のため、2日後に息を引き取っている。34歳という若さだった。

●ベルギー戦の先発メンバー

▽GK
楢崎正剛

▽DF
松田直樹
森岡隆三
中田浩二

▽MF
市川大祐
稲本潤一
戸田和幸
小野伸二
中田英寿

▽FW
鈴木隆行
柳沢敦

ドイツW杯

監督:ジーコ
戦績:グループステージ敗退

背番号3:駒野友一(サンフレッチェ広島)
生年月日:1981年7月25日(24歳)
個人成績:1試合出場/0得点1アシスト

 2000年、サンフレッチェ広島ユースから正式に昇格した駒野友一は、1年目からサイドバックとして活躍した。03年には左膝前十字靭帯を断裂し、直後にエコノミークラス症候群を発症。U-23日本代表として出場したアテネ五輪ではガーナ戦でタックルを受けて左鎖骨を骨折、翌月にはぶどう膜炎を発症するなど、度重なる怪我や病気に見舞われながらも、駒野はカムバックを果たしている。

 05年は開幕から10試合で6アシストを記録すると、7月の東アジア選手権に臨む日本代表に初めて招集された。そのまま代表定着を果たした駒野は、ドイツワールドカップのメンバーにも選ばれている。アテネ五輪世代としては唯一の選出だった(後日、茂庭照幸が追加招集されている)。

 迎えたオーストラリアとの初戦、負傷の加地亮に代わって背番号3をつけた駒野は3-4-1-2の右ウイングバックとして先発している。26分、右サイドの駒野からパスを受けた中村俊輔がクロスを上げると、ボールはそのままゴールネットを揺らした。

 ラッキーな形から先制に成功した日本代表だったが、終盤に3失点を喫して初戦を落とした。クロアチア戦とブラジル戦では布陣を4-4-2へ変更し、右サイドバックには怪我から復帰した加地亮が起用された。駒野に出番はなく、日本代表はグループステージ1分2敗で大会を後にしている。

●オーストラリア戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
坪井慶介
宮本恒靖
中澤佑二

▽MF
駒野友一
中田英寿
福西崇史
三都主アレサンドロ
中村俊輔

▽FW
柳沢敦
高原直泰

南アフリカW杯

監督:岡田武史
戦績:ベスト16

背番号3:駒野友一(ジュビロ磐田)
生年月日:1981年7月25日(28歳)
個人成績:4試合出場/0得点0アシスト

 指揮官がイビチャ・オシムに代わった日本代表でも、駒野は代表でコンスタントにプレーしている。08年に移籍したジュビロ磐田でも高いパフォーマンスを見せていたが、同年に日本代表の指揮官が岡田武史に代わると、内田篤人や長友佑都の台頭もあり、代表での序列は下がってしまった。

 右サイドバックはそれまで内田が務めていたが、南アフリカワールドカップ直前で日本代表は戦術の変更を決断した。直前合宿の2試合では今野泰幸が起用されたが、コートジボワール戦で右ひざを負傷。初戦のカメルーン戦には駒野が起用された。

 駒野は全試合に右サイドバックとしてフル出場した。献身的な守備と豊富な運動量、精度の高いクロスで日本代表のグループステージ突破に貢献している。ラウンド16のパラグアイ戦は、スコアレスで120分を戦い抜き、PK戦に突入。日本代表は遠藤保仁、長谷部誠が決めたが、3人目の駒野のキックはクロスバーに阻まれてしまう。全員が成功したパラグアイの前に、日本代表はベスト8の壁を突破することはできなかった。

 アルベルト・ザッケローニ監督の下でも駒野は代表に招集されていたが、内田と長友のバックアッパーという立場が続いた。それでも、11年には代表65試合目にして初ゴールをマーク。13年のEAFF東アジアカップでは韓国戦と中国戦でキャプテンマークを巻いて、日本代表の優勝に貢献した。しかし、酒井高徳や酒井宏樹の台頭もあって代表からも遠ざかり、3度目のワールドカップ出場を果たすことはできなかった。

●パラグアイ戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
駒野友一
中澤佑二
田中マルクス闘莉王
長友佑都

▽MF
阿部勇樹
松井大輔
長谷部誠
遠藤保仁
大久保嘉人

▽FW
本田圭佑

<h2>ブラジルW杯

監督:アルベルト・ザッケローニ
戦績:グループステージ敗退

背番号:酒井高徳(シュトゥットガルト)
生年月日:1991年3月14日(24歳)
個人成績:出場なし

 アルビレックス新潟ユースから2009年に昇格した酒井高徳は、10年1月のイエメン戦でA代表に初選出を果たした。10年の南アフリカワールドカップにはサポートメンバーとして帯同。新潟では3年間でリーグ戦64試合に出場し、2012年にドイツのシュトゥットガルトに移籍した。

 12年にはロンドン五輪に出場した。本大会では酒井宏樹とオーバーエイジの徳永悠平のバックアップという立場だったが、初戦のスペイン戦で酒井宏樹が負傷。すると、酒井高徳は両サイドバックをこなして準々決勝までの4試合に出場し、U-23日本代表のベスト4入りに貢献した。

 ロンドン五輪から2か月後、12年9月にA代表デビューを果たすと、その後はアルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表に定着した。右サイドには内田篤人や酒井宏樹、左サイドには長友佑都がいたために出場機会は限られたが、彼らが不在のときは両サイドをこなすユーティリティ性が評価され、ブラジルワールドカップのメンバーにも選出された。

 本大会で酒井高徳に出場機会はなく、日本代表は1勝もできずにグループステージで敗退した。大会後に就任したハビエル・アギーレの下では主に右サイドバックとして重用されたが、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下では酒井宏樹にポジションを奪われ、左右のサイドバックの控えという立場となった。

 背番号21を背負って臨んだロシアワールドカップでは、第3戦のポーランド戦に右サイドハーフとして起用され、ワールドカップ初出場を果たした。しかし、出場はその1試合に終わり、大会後には代表引退を表明している。

●コートジボワール戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
内田篤人
森重真人
吉田麻也
長友佑都

▽MF
山口蛍
長谷部誠
岡崎慎司
本田圭佑
香川真司

▽FW
大迫勇也

<h2>ロシアW杯

監督:西野朗
戦績:ベスト16

背番号:昌子源(鹿島アントラーズ)
生年月日:1992年12月11日(25歳)
個人成績:3試合出場/0得点0アシスト

 2011年に鹿島アントラーズに加入した昌子源は、4年目の14年にレギュラーを獲得した。その後はセンターバックとして鹿島のディフェンスを支え、16年にはリーグ優勝、FIFAクラブワールドカップでは日本勢として初の決勝進出に貢献した。

 日本代表にはハビエル・アギーレ監督時代の14年11月に初めて選出されている。翌年3月に初出場を果たすと、以降は代表に定着した。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下で、センターバックは吉田麻也が不動の存在で、当初は森重真人や槙野智章が起用されていたが、ロシアワールドカップアジア最終予選ラスト3試合に先発した昌子がポジションを奪取した。

 迎えたロシアワールドカップ本番、初戦のコロンビア戦に昌子はJリーガーとして唯一、先発メンバーに名を連ねている。グループステージでは初戦と第2戦に出場し、1勝1分で日本代表の決勝トーナメント進出に貢献した。

 昌子が先発メンバーに復帰したラウンド16のベルギー戦で、日本代表は原口元気と乾貴士のゴールで2点を先行する。ヤン・フェルトンゲンとマルアン・フェライニにゴールを許したが、同点のまま後半アディショナルタイムに突入した。

 本田圭佑が蹴ったCKをGKのティボー・クルトワがキャッチすると、ベルギーはロングカウンターを開始する。トマ・ムニエが右サイドからグラウンダーのクロスをゴール前に入れる。長谷部誠がロメル・ルカクに身体を寄せるが、ルカクはこれをスルー。すると、走り込んできたナセル・シャドリが滑り込みながらゴールに流し込んだ。昌子は敵陣のゴールエリアから自陣のゴールエリアまで100m近くをスプリントしたが、シャドリのシュートにはわずかに間に合わなかった。

●ベルギー戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
酒井宏樹
吉田麻也
昌子源
長友佑都

▽MF
柴崎岳
長谷部誠
原口元気
香川真司
乾貴士

▽FW
大迫勇也

【了】