●フランスW杯

日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号6を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回はワールドカップで6番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
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監督:岡田武史
戦績:グループステージ敗退

背番号6:山口素弘(横浜フリューゲルス)
生年月日:1969年1月29日(29歳)
個人成績:3試合出場/0得点0アシスト

 全日空(のちの横浜フリューゲルス)の加茂周監督は、東海大学から加入して2年目の山口素弘をレギュラーに抜擢している。その後、Jリーグを代表するボランチに成長した山口は96年、97年と2年連続でベストイレブンに選出された。

 94年に日本代表の指揮官となった加茂は、翌年に山口を日本代表に選出している。山口は徐々に序列を上げていき、最終予選で主力としてプレー。すると、1勝1分で迎えた韓国戦で、山口は日本サッカー史に残るプレーを見せている。敵陣でボールを奪った山口は、DFをかわしながらGKの頭上を越す鮮やかなループシュートを決めた。

 国立競技場を歓喜の渦に巻き込んだゴールもつかの間、日本代表は終盤に連続失点を許して逆転負けを喫してしまう。続くカザフスタン戦に引き分けると、加茂が更迭されヘッドコーチだった岡田武史が監督に昇格。この後、日本代表は韓国に次ぐグループ2位に滑り込み、イランとの第3代表決定戦を制してワールドカップ出場権を掴んだ。

 ワールドカップで山口は名波浩、中田英寿と中盤のトライアングルを形成し、3試合すべてにフル出場している。しかし、初めて出場したワールドカップで日本代表は1度も勝てず、3連敗でグループステージ敗退となった。

●アルゼンチン戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
中西永輔
井原正巳
秋田豊

▽MF
名良橋晃
山口素弘
名波浩
相馬直樹
中田英寿

▽FW
中山雅史
城彰二


●日韓W杯

監督:フィリップ・トルシエ
戦績:ベスト16

背番号6:服部年宏(ジュビロ磐田)
生年月日:1973年9月23日(28歳)
個人成績:1試合出場/0得点0アシスト

 東海大学を中退してジュビロ磐田に加入した服部年宏は、1年目からレギュラーに定着している。左ウイングバックやボランチなど複数のポジションで活躍し、黄金期の磐田を支える存在となった。

 1996年のアトランタ五輪ではブラジル代表のジュニーニョを徹底マークして封じ、「マイアミの奇跡」の立役者となった。同年9月にはA代表でもデビューして定着したが、背番号13をつけて臨んだ98年のフランスワールドカップでは出場することができなかった。

 フィリップ・トルシエ監督の下で「フラット3」と呼ばれた3バックの左で起用された時期もあったが、黄金世代の中田浩二の台頭により立場を下げている。それでもユーティリティ性を評価されてワールドカップメンバーに選ばれ、磐田でつけている背番号6を背負って2度目の大舞台に臨んだ。

 2-2で引き分けたベルギー戦では出番がなかったが、稲本のゴールで先制したロシア戦の終盤にチャンスが回ってきた。75分に小野伸二と代わって左ウイングバックでプレーして完封勝利に貢献。日本代表の歴史的勝利をピッチで味わっている。

 日本代表は第3戦でチュニジアに2-0で勝利して決勝トーナメント進出を決めたが、ラウンド16ではトルコに敗れて敗退となった。服部がプレーしたのはロシア戦の約15分だけだった。

●ロシア戦の先発メンバー

▽GK
楢崎正剛

▽DF
松田直樹
宮本恒靖
中田浩二

▽MF
明神智和
稲本潤一
戸田和幸
小野伸二
中田英寿

▽FW
鈴木隆行
柳沢敦


●ドイツW杯

監督:ジーコ
戦績:グループステージ敗退

背番号6:中田浩二(マルセイユ)
生年月日:1979年7月9日(26歳)
個人成績:1試合出場/0得点0アシスト

 フランスワールドカップを3戦全敗で終えた日本代表の監督に就任したフィリップ・トルシエは、来るべき4年後の自国開催のワールドカップに向け、「フラット3」と呼ばれる3バックを導入した。世代別代表の指揮官も兼務するトルシエは、ワールドユースでも例外なく3バックを使っている。

 99年のワールドユースでは、大会前に2人のDFが負傷離脱するアクシデントに見舞われた。すると、トルシエはボランチだった中田浩二を左センターバックにコンバートする決断を下す。急造センターバックは全7試合に出場し、チームは史上初の決勝進出を成し遂げた。

 シドニー五輪や日韓ワールドカップでも中田はフラット3の一角を独占した。難しい役割が課されるポジションだったが、冷静な判断力で最終ラインを支えた中田は、トルシエジャパンにおける影のコンダクターともいえる存在だった。

 中田がプレーする鹿島アントラーズのレジェンド、ジーコが日本代表の監督に就任すると、中盤でプレーする機会が増えている。04年のアジアカップではヨルダンとの準々決勝でPKを決めて準決勝進出に貢献すると、準決勝では先制点、決勝では勝ち越しゴールを挙げて日本代表を大会連覇に導いた。

 05年冬、中田は恩師トルシエが指揮を執るオリンピック・マルセイユに移籍する。選手登録に時間がかかったためにデビューは3月までずれ込んだが、PSGとのナショナルダービーにも出場してチームの居場所を確保し、2度目のワールドカップに臨んだ。

 ドイツワールドカップの初戦、ジーコは中田英寿と福西崇史を中盤の底に並べ、トップ下に中村俊輔を起用した。この試合に逆転負けを喫すると、第2戦からは4-4-2にシステムを変更し、2列目に中村と小笠原満男を起用。中田に出番はないまま、日本代表はクロアチアに0-0で引き分け、わずかな望みを懸けてブラジル戦に臨んだ。

 玉田圭司のゴールで先制したものの、ロナウドとジュニーニョ・ペルナンブカーノにゴールを許して逆転される。中田浩二はこの直後に小笠原に代わってこの大会初出場を果たしたが、3分後に失点。試合終盤にはロナウドにこの試合2ゴール目を決められて万事休すとなった。

 日本代表は2大会連続の決勝トーナメント進出を叶えることはできず。中田浩二の出場はブラジル戦のわずかな時間に終わっている。

●ブラジル戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
加地亮
坪井慶介
中澤佑二
三都主アレサンドロ

▽MF
中村俊輔
中田英寿
稲本潤一
小笠原満男

▽FW
巻誠一郎
玉田圭司


●南アフリカW杯

監督:岡田武史
戦績:ベスト16

背番号6:内田篤人(鹿島アントラーズ)
生年月日:1988年3月27日(22歳)
個人成績:出場なし

 2006年に鹿島アントラーズの監督に就任したパウロ・アウトゥオリは、この年の開幕戦で高卒ルーキーの内田篤人をいきなり先発で起用している。1年目から28試合に出場してレギュラーに定着した内田は、次の年から名良橋晃がつけていた背番号2を受け継いだ。

 病に倒れたイビチャ・オシム監督の後任として08年から指揮を執る岡田武史監督は、19歳の内田を日本代表に抜擢している。第2次岡田政権の初陣から先発で起用され、瞬く間に日本代表の右サイドバックに定着。アジア予選では主力としてワールドカップ出場権獲得に貢献した。

 しかし、試合中に原因不明の吐き気によりパフォーマンスを落とし、ワールドカップを直前に控えた10年5月には左太ももを負傷してしまう。直前合宿からは控えとなり、本大会では駒野友一が4試合すべてに右サイドバックとして先発している。日本代表は2大会ぶりのグループステージ突破を果たしたが、内田は出番がないまま南アフリカを後にしている。

 内田は大会後にドイツのシャルケに移籍。ラウール・ゴンザレスやマヌエル・ノイアーといったトップレベルの選手たちとプレーし、UEFAチャンピオンズリーグでベスト4進出に貢献している。日本代表では13年8月から鹿島でつけていた2番に背番号を変更。アルベルト・ザッケローニ監督の下でも不動の存在で、ブラジルワールドカップでは3試合すべてに出場している。

●パラグアイ戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
駒野友一
中澤佑二
田中マルクス闘莉王
長友佑都

▽MF
阿部勇樹
松井大輔
長谷部誠
遠藤保仁
大久保嘉人

▽FW
本田圭佑


●ブラジルW杯

監督:アルベルト・ザッケローニ
戦績:グループステージ敗退

背番号6:森重真人(FC東京)
生年月日:1987年5月21日(27歳)
個人成績:1試合出場/0得点0アシスト

 森重真人は高校卒業後に加入した大分トリニータで、シャムスカ監督によって中盤からDFにコンバートされている。世代別の代表ではベンチを温める機会が多かったが、プロ3年目の08年に大分で定位置を確保すると、U-23日本代表にも選ばれた。この年の北京五輪のメンバーにも滑り込み、3試合すべてにフル出場している。

 10年に移籍したFC東京でディフェンスリーダーに成長し、13年にはキャプテンに就任している。同年7月のEAFF東アジアカップで代表デビューを飾ると、この大会のパフォーマンスをきっかけに森重は代表に定着。この年はJリーグベストイレブンにも選ばれるなど、大きな飛躍を遂げたシーズンとなった。

 当時の日本代表は吉田麻也と今野泰幸がセンターバックのファーストチョイスだった。しかし、2月のニュージーランド戦では初ゴールをマークした森重は、ワールドカップイヤーは4試合中3試合で先発の機会を掴んで、ブラジルワールドカップに臨んだ。

 森重が先発メンバーに名を連ねた初戦のコートジボワール戦、日本代表は本田圭佑のゴールで先制に成功した。しかし、1点を追う相手はセルジュ・オーリエがクロスを上げると、森重のマークを剥がしたウィルフリード・ボニーが頭で合わせて同点に追いつかれる。さらにニアサイドでフリーになったジェルビーニョにヘディングシュートを決められて失点。ゴール前で一瞬の隙を見せた日本代表は逆転負けを喫した。

 第2戦からは森重に代わって今野が起用された。日本代表はギリシャに引き分けて勝ち点1を掴んだが、第3戦でコロンビアに完敗。第2戦以降は森重に出番が回ってくることなく、日本代表はグループステージ敗退が決まっている。

 ハビエル・アギーレ監督とヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下ではレギュラーとして起用され、15年のEAFF東アジアカップではキャプテンマークを巻いて3試合すべてにフル出場している。ワールドカップ予選でも吉田とともに最終ラインでプレーしたが、17年6月に代表から漏れると、7月に左腓骨筋腱を脱臼して年内の公式戦を全休。18年3月に代表に復帰したが出場機会はなく、ロシアワールドカップのメンバー入りは叶わなかった。

●コートジボワール戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
内田篤人
森重真人
吉田麻也
長友佑都

▽MF
山口蛍
長谷部誠
岡崎慎司
本田圭佑
香川真司

▽FW
大迫勇也


●ロシアW杯

監督:西野朗
戦績:ベスト16

背番号6:遠藤航(浦和レッズ)
生年月日:1993年2月9日(25歳)
個人成績:出場なし

 湘南ベルマーレユースに所属していた2010年に2種登録選手としてJリーグデビューした遠藤航は、正式に昇格した11年からDFのレギュラーとしてプレーしている。世代別の代表でもプレーし、A代表デビューとなった15年の東アジアカップでは右サイドバックとボランチを務め、3試合すべてにフル出場。その後はヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下で、日本代表に定着している。

 キャプテンを務めるU-23日本代表では16年1月のAFC U-23選手権優勝に導き、リオデジャネイロ五輪出場権を獲得する。五輪本番でもキャプテンマークを巻いてグループステージ3試合にフル出場したが、チームは決勝トーナメント進出を果たせなかった。

 15年には湘南のJ1残留を大きく貢献し、翌年移籍した浦和でも主力としてプレーした。16年のYBCルヴァンカップ優勝、17年のAFCチャンピオンズリーグ制覇に貢献してFIFAクラブワールドカップにも出場している。代表ではなかなか出場機会が回ってこなかったが、複数のポジションをこなせるユーティリティ性を評価されてワールドカップメンバーにも選出されている。

 大会直前の強化試合でプレーしたのは、パラグアイ戦の45分のみ。日本代表は1勝1敗1分でグループステージを突破したが、遠藤に出場のチャンスが回ってくることなく、ラウンド16でベルギーに逆転負けを喫した。

 遠藤は大会後にベルギーのシント=トロイデンに移籍する。背番号6をつけて臨んだ19年のアジアカップでは日本代表の決勝進出に貢献したが、準決勝で左太ももの肉離れで交代。決勝で遠藤を欠いた日本代表はカタールに敗れ、準優勝という結果に終わっている。

●コロンビア戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
酒井宏樹
吉田麻也
昌子源
長友佑都

▽MF
柴崎岳
長谷部誠
原口元気
香川真司
乾貴士

▽FW
大迫勇也

【了】