想定外ばかりだったベルギー挑戦

 ベルギー2部ロケレンに期限付き移籍していた日本代表MF天野純が、横浜F・マリノスに復帰することとなった。FIFAによる特例措置が認められての登録期間外の移籍が実現することになった背景とは。欧州挑戦の1年間を振り返りながら、マリノス帰還に至った経緯を探る。(取材・文:舩木渉)

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「何としてでもここで成功して、買い取られるのか、さらにステップアップするのかはわからないですけど、1年とかで帰るつもりはないです」

 昨年7月中旬、期限付き移籍先のロケレンに合流したばかりの天野純を訪ねて、練習試合が行われるオランダを訪ねた。28歳の誕生日を迎える直前だった彼の言葉からは、初の海外挑戦にかける強い思いが感じられた。

 一方で、オランダ2部のNACブレダとの練習試合を見て、ちょっとだけ悪い予感がしていた。当時ベルギー1部から2部へと降格したばかりだったロケレンだったが、主力選手たちは軒並み退団しており、思った以上に弱体化していたのだ。

 通常、降格したばかりであれば「1年で昇格しよう」と目標を掲げ、予算が削減される中でも主力の慰留に努めるだろうし、2部でも実績のある選手たちが集まってきてもおかしくはない。ところが当時のロケレンが獲得していたのは、ほとんど実績のない無名選手ばかり。負傷者が多かったという事情こそあれ、リーグ戦開幕前にさらに選手が流出していった。

 NACブレダとの練習試合から約2ヶ月後の9月末、再び天野のもとを訪ねた。小池龍太もチームに合流してリーグ戦も始まっていたが、開幕から5試合勝ちなしが続き、ようやく初勝利を挙げたばかりのタイミングだった。

 ただ、天野は苦しんでいた。加入当初は右ウィングを起点に自由を与えられていたものの、8月末からは最も苦手な左ウィングでの起用が続き「本当に厳しいですね」と思わず本音も漏れた。

 9月26日のベルギーカップ、ロイヤル・アントワープ戦で負傷者発生にともなって前半途中からピッチに立ち、トップ下としてプレーしたことで「僕の本当のポジションはそこって示せたと思う」と自信も取り戻した。

 その後はインサイドハーフや右ウィングでの起用も増えたが、今度はロケレンが10月末を境に全く勝てなくなってしまう。大きな要因の1つは、11月に発覚したクラブの深刻な財政難だった。これこそが悪い予感の正体、急激な弱体化の原因でもあった。

ロケレンの経営難に翻弄され…

 11月中旬にはグレン・デ・ボック監督が解任され、スタイン・フレーフェン監督が就任するもチーム状態は全く上向かず。冬の移籍市場でも退団選手が多く出て、最終的には監督交代以降のリーグ戦13試合でわずか1勝というありさまだった。

 天野は「やっぱりチームと一緒に結果を出して、勝たせないと、助っ人なので評価されない。もちろん結果が一番わかりやすいアピールだと思います」と語っていたが、崩壊の一途をたどるロケレンでは個人のアピールどころではなかった。

 最終的に、ロケレンは今年4月20日に破産を宣告を受け入れて事実上の解散となった。今年2月の時点で選手やスタッフ、クラブの従業員には給与が支払われていなかったことも発覚している。そんな状態で選手たちが高いモチベーションを維持しながら戦えるわけがなく、フレーフェン監督就任後の13試合で1勝4分8敗という惨憺たる結果だったことも合点がいく。

 実際、試合を見ても組織としての体をなしていなかった。天野や小池は懸命にチームメイトたちの力を生かしてゴールへ向かっていこうとするが、毎試合先発メンバーが入れ替わることもあって簡単な連係もままならず、守備でも組織的なプレスはかけられない。日本人の2人はチーム内屈指のクオリティを示していたが、それだけではどうにもならなかった。

 そうして来季はロケレンでプレーできないことが決まり、5月28日に天野の横浜F・マリノス復帰が正式に発表された。ベルギー移籍直後「1年で帰るつもりはない」と覚悟を決めていたにもかかわらず、レンタル元の古巣へ戻ることになった背景も想像に難くない。

 障害になったと考えられる最も大きな要因は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大だろう。天野自身、「シーズン終盤くらいから、来季はベルギー1部でやるつもりでいましたし、興味とかを代理人から聞いていた部分もあったので、ギリギリまで待って、来季もヨーロッパでプレーするのが第一希望でした」と語っている。

 とはいえ現実は非常に厳しい。ベルギーはすでに1部も2部も今季リーグ戦の中止を決定しているが、他の多くの国や欧州カップ戦は再開しているか、あるいは再開を目指している現状で、いつ今季の全ての公式戦が終わるか決まっていない。

「こんなに早く帰ってくるつもりでは…」

 それにともなって夏の移籍市場がいつ開いて、いつ閉まるのかも不確定要素が多い。多くのクラブがスタジアムに観客を入れて公式戦を開催できず、大幅な収入源が見込まれており、来季に向けた補強予算の削減も迫られているだろう。

 そして、移籍市場では基本的に市場価値の高い選手から動いていく。ということは、天野のように欧州で大きな実績もなく無名の20代後半の選手に投資するリスクを避けたがるクラブは多いだろう。いつ声がかかるのか、果たして必要としてくれるクラブがあるのかもわからない。

 ベルギー2部のレギュラーシーズンは2月末に終了しており、ロケレンでは選手たちが練習をボイコットしていたとの報道もあった。新型コロナウイルスの影響による外出制限なども考慮すれば、3月以降はまともにボールを蹴れていないだろう。

 もし欧州でのプレーにこだわって移籍先を探していたら、最悪の場合9月頃まで新天地が決まらず、半年近く公式戦はおろかボールにもまともに触れない可能性もあったはず。現役選手として限られた時間を浪費するよりは、自分を必要としてくれる環境でプレーしていた方がいいのは明らかだ。

「自分自身もこんなに早く帰ってくるつもりではなかったですし、ロケレンでステップアップして来季は1部の舞台で活躍するつもりでいたので、すごく悔しい思いは正直あります」

 多くの選手が20代前半で欧州に渡る一方で、28歳になる直前に満を時して海を渡った。「この1年でステップアップしなかったら次は本当にない。僕には時間がない」と覚悟を決めていたが、結果的には個人の頑張りではどうにもならない外的要因に翻弄される形で念願叶っての欧州での挑戦を終えることになってしまった。

「本当に行ってみないとわからなかった苦労や難しさを非常に痛感した1年でした。日本でキャリアを積み上げていたとしても、向こうに行ったらただの『アジア人』というか、誰も何も知らない中で自分の力だけで上がっていく厳しさを痛感しました。いま欧州で活躍している、若い選手たちも含めてですけど、改めて尊敬しますし、もっと欧州でやりたかったというのはあります」

新背番号「39」に込めた思い

 ベルギー2部では24試合に出場して3得点3アシスト。環境さえ整っていればもっと目立った結果を残せていただろう。それだけのクオリティは十分に示していた。今度はかけがえのない経験と、成長をマリノスに還元してJリーグ連覇を目指していくことになる。

 今のマリノスは天野が移籍した後に確立されたマルコス・ジュニオールをトップ下に据える4-2-3-1のベースがあり、昨季は圧倒的な強さで後半戦を駆け抜けて15年ぶりのJ1優勝を果たした。

「中盤では、より前への意識を監督は求めていますし、そこでの前への推進力はベルギーで成長した部分かなと自分自身ですごく感じています。そういうところを見せていければチームにプラスアルファをもたらせるのではないかと思っています」

 天野は再びゼロからチーム内の競争に加わり、居場所を手に入れるために自らの価値を証明していく必要がある。成長した姿は「ファン・サポーターの方に見て感じて欲しい」と言葉に力を込めた。

 新たに選んだ背番号は、「こういう状況で受け入れてくれたマリノスへの感謝を込めて」の「39(サンキュー)」。ロケレン移籍前は「10番」を背負っていたが、「海外の舞台で活躍し、ひと回りもふた回りも成長して、マリノスの10番にさらにふさわしい選手になって帰ってきたい」と宣言した通りにはならなかった。

 だからこそ「ステップアップしてもっと活躍して帰ってきたら着ける価値があったと思いますけど、それほどマリノスの10番は軽くない」という決意も「39番」には込められている。

 再び「自分のすべてが詰まっている」マリノスの「10番」にふさわしいと認められる選手になるために。「マリノスのために全てを尽くして、まだ自分は優勝の味を知らないので、みんなと一緒にシャーレを掲げたい」という言葉に嘘偽りは一切ない。

 ベルギーで取材した際、天野はこんなことも言っていた。この言葉は不思議と強く印象に残っている。

「自分がいるステージにおいて、ピッチ上の22人の中で一番目立っていたいし、一番上手くて、一番サッカーを楽しんでいる選手でありたい。自分の中で小さい時から変わらず持ち続けている目標です。そのためにもっともっと伸ばさないといけないところもあるし、逆算して自分に足りないところを必死に探して努力しているところです」

 天野のサッカーにかける思いは、ベルギーにいようが日本にいようが変わらない。J1連覇を目指す勇猛果敢なトリコロール軍団に、頼もしい“新戦力”が加わった。

(取材・文:舩木渉)