屈辱の12年ぶり無冠。最後は…

  新型コロナウイルスという未曾有の脅威によって2度目の夏を迎えることになった、欧州の長い2019/20シーズンがようやく閉幕した。トラブルに見舞われ、新たな様式への適応も求められながら、タイトル獲得や昨季からの巻き返しなど様々な目標を掲げていた各クラブの戦いぶりはどのようなものだったのだろうか。今回はバルセロナの1年を振り返る。(文:編集部)

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 バイエルン・ミュンヘンに2-8で敗れたUEFAチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝は、バルセロナにとってサイクルの終焉を印象づける決定的な試合となった。

 ラ・リーガではレアル・マドリードの後塵を拝しての2位。コパ・デル・レイでもアスレティック・ビルバオに屈して準々決勝敗退に終わり、2019/20シーズンは12年ぶりの無冠に終わった。だが、もはや当然の結果のように思える。

 10年以上にわたって世界最高のプレーヤーとしてバルサを引っ張ってきたリオネル・メッシは、リーグ優勝を逃した直後に「このままではCLに勝つことはできない。優勝したいなら大きく変わる必要がある」と警鐘を鳴らした。

 結果的にはバイエルンに大敗。ピッチ内外でバルサの混乱と迷走が屈辱的な結果になって表れる形となった。もちろん責任の一端はメッシにもある。

 とはいえフロントも含めたクラブとしての決断の数々が間違っていたことが、無冠の大きな要因だろう。

 停滞感の強かったエルネスト・バルベルデ監督をシーズン途中に解任し、キケ・セティエン監督を招へいしたが、全く問題の解決には至らなかった。

 新監督は就任当初、3-5-2を採用して自分らしさをバルサのサッカーと融合させることを試みたが、すぐに断念。その後は馴染み深い4-3-3をはじめ、中盤の4人がフラットに並ぶ4-4-2や、トップ下を配置する中盤がダイヤモンド型の4-4-2など様々なシステムを試すも、最後までベストな形や組み合わせを見つけられないままだった。

 6月のリーグ戦再開後の10試合でもセビージャ戦やアトレティコ・マドリー戦など取りこぼしが多く、快勝と言えた試合も数えるほど。セティエン監督はリキ・プッチやアンス・ファティなどの若手を重用して流れを変えようとしていたようだったが、チームがうまく回っていないのは誰の目にも明らかだった。

 こうした悪い流れを断ち切れない中で、指揮官は完全に信頼を失ってしまった。やたらと口うるさく、前に出たがり、越権行為ともとられかねない振る舞いが続いていたエデル・サラビア第2監督も同様に選手たちの信頼を得られず、ほとんど無視されている有様。もはやバルサはチームとしての体をなしていなかった。

 フロントと選手たちの対立も浮き彫りになった。エリック・アビダルSD(スポーツディレクター)は監督交代にともなうゴタゴタの中で、選手たちを非難するようなコメントを残してメッシらの怒りを買った。

 ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長も求心力を失っている。メッシら中心選手たちはネイマールの復帰を望んでいたというが、一方でフロントが獲得してきたアントワーヌ・グリーズマンは不甲斐ないプレーを続けて完全に期待外れ。フレンキー・デ・ヨングも決定的な活躍を披露したとはいえず、ルイス・スアレスの負傷を受けて緊急補強したマルティン・ブライスワイトもチームにプラスをもたらしたとは言い難い。

大きくなり過ぎた「メッシ」という存在

 クラブ内の不協和音がメディアを通して次々に明らかになったことで、同時にメッシという存在がバルサにとってあまりに大きくなりすぎたことも表面化している。冒頭で「責任の一端はメッシにもある」と述べたが、ピッチ内外で彼こそが今のバルサが抱える矛盾の最たるものなのかもしれない。

 33歳になったメッシは、スプリントスピードやアジリティ、体力面など主にフィジカル能力が低下してきており、かつてほどドリブルのキレもなくなっている。「走らない」と揶揄されることもあるが、近年のバルサはメッシがゴール前で最大限の力を発揮できるよう、他の10人が少しずつ無理をすることで1人分の守備タスクなどをカバーしてきた。

 周りの選手たちもメッシに絶大な信頼を寄せているし、まだまだ決定的な仕事もできる。だが、チーム全体がうまくいかなくなってきた展開でも「メッシなら何とかしてくれる」と、やや強引でも背番号10にボールを集める傾向がある。グリーズマンやスアレス、ジョルディ・アルバも、常に視線の先に捉えているのはまず「メッシ」だ。

 近年のバルサはメッシそのものが戦術として存在してきた。シャビやアンドレス・イニエスタをはじめとしたアイコンが去ってから、年々メッシへの依存度は高まり、絶対的なエースとして君臨するようになった。そして、比例するようにロッカルームを飛び出して、クラブ内での発言力も大きくなっていった。

 その反動が顕在化し、「戦術メッシ」の限界を突きつけられたのが2019/20シーズンだったと言えよう。セティエン監督もメッシの守備負担を減らしながらチーム全体を機能させる術を模索したが、最後まで解決策は見つからなかった。

 4-3-1-2のトップ下にメッシを置けば、どうしても守備タスクが生じてしまう。自由を与えるとなると2トップの一角が最適かに思われたが、すると今度は代役がおらず、シーズンを通したプランニングが困難になる。メッシの負担を軽減するためにアルトゥーロ・ビダルを中盤に配置する起用法も多くの試合で採用されたが、根本的な問題の解決には至らなかった。

 最近のメッシは単独突破でゴール前に侵入して自分でフィニッシュに持ち込むような場面は、以前に比べて減っている。ドリブル突破の威力が落ちてきたことで、味方のゴールを演出するラストパスやチャンスメイクを増やす方向にシフトしているようだ。

 それでも周りの選手たちは「彼なら何とかしてくれるはず」とボールを預けるが、絶対的エースに頼りすぎたことでバルサらしい組織的な崩しのアイディアが失われ、メッシ一辺倒になってしまう。個の打開力だけでラ・リーガでもCLでも勝ち続けることは難しい。

19/20シーズンは“終わりの始まり”

 いかにメッシを輝かせるかに注力したことで、バルサは長年かけて培ってきた哲学を打ち捨ててしまったかのようだ。10番の周りを支えるためのサブキャストばかり巨額を費やして外部から買い揃え、下部組織で育ってきた若者たちを軽んじる。

 さらに目先の勝利だけを確実に拾っていくばかりの監督を呼び寄せ、結果が出なければすぐに切り捨てる。特にティト・ビラノバ監督が去ってからは、クラブの将来を見据えた中長期的な目線が著しく欠けている。

 何事にも終わりの時はやってくる。メッシありきのサッカー、というサイクルは8失点したバイエルン戦で「時代遅れ」を突きつけられた。もはや今のままでこれ以上の結果を追い求めることは不可能だ。

 ジェラール・ピケがCL敗退後に放った「クラブはあらゆる面で変わる必要がある」という言葉が持つ意味は重い。彼はさらに続けた。

「僕たちは落ちるところまで落ちた。新たな血が求められ、大きな変化が必要とされるなら、僕が最初に出ていく。自分たちを見つめ直して、省みなければならない。そしてバルサにとって何がベストで、何が最も重要なのかを決めていかなければ」

 まさに一時代の終わりを中心選手が認めている。いつまでもメッシにばかり頼ってはいられず、変化の必要があることを重く認識しているのだ。

 バルトメウ会長はCL敗退後にセティエン監督の解任と、クラブOBであるロナルド・クーマン監督の招へいを発表した。だが、小手先の人事はもはや付け焼き刃に過ぎない。

 新監督はスアレスらチームの中心だったベテラン選手たちに構想外を言い渡し、移籍を促したとも報じられている。この世代交代のように見える改革は、あくまで目の前の臭い物に蓋をするだけで、中・長期的な目線に立てばほとんど意味をなさないのは一目瞭然だ。

 そんな中、バルサ現状と未来に絶望したメッシが書面でクラブに退団を申し出たと母国アルゼンチンやスペインのメディアが一斉に伝え、瞬く間に世界的なニュースとなった。

 もはや「クラブ以上の存在」を掲げるクラブにおいて「クラブを超えた選手」になってしまった背番号10の退団は避けられない状況だ。誰もが望まなかった形での別れの時はいよいよか。

 バルサにとって2019/20シーズンは“終わりの始まり”だった。クラブに関わる多くの人々が歴史と伝統が失われゆく未来に危機感を覚えているはずだ。今、まさに長年かけて築き上げてきたものが音を立てて崩れ落ちようとしている。

(文:編集部)