福山ほどふさわしい土地は他にない。その理由は?

 今やJリーグクラブは全56クラブにまで膨れ上がった。Jクラブがない「土地」のほうが希少価値が高い時代になるとは、いわゆるオリジナル10の時代に誰が予想できただろうか。Jクラブが「ある土地」、もしくは「ない土地」から薫るフットボールの物語を、アンダーカテゴリーに魅入られた著者が描きだす『フットボール風土記』から、福山シティフットボールクラブの章より一部抜粋して前後編で公開する。今回は前編。(文:宇都宮徹壱)

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 それにしても、なぜ、福山にJクラブなのだろうか?

 広島といえば、言わずと知れたサンフレッチェ広島がある。J1リーグ優勝3回、J2リーグ優勝1回。選手と指導者の育成で圧倒的な実績を誇り、幾多の優れた人材を日本サッカー界に送り込んできたのは周知のとおり。その存在感が大きすぎるあまり、サンフレッチェに続いて県内から上を目指そうとするクラブは、これまでまったく現れなかった。そうした中、にわかに注目を集めるようになったのが、福山シティFCなのである。

 実は私は、福山には多少の土地勘はあった。FC今治の取材後、しまなみ海道を高速バスで移動し、福山から新幹線で東京に戻る機会がたびたびあったからだ。その時の印象からすると、福山市は広島市よりも、心理的には今治市や岡山市に近いように感じられる。駅前の風景を見ても、サンフレッチェやカープの影響は希薄。そんな福山に、Jクラブを作る。これを考えた人物は、かなりの知恵者に違いない。

「僕は広島市の人間なんですが、福山の人は地元のことを『誇れるものは何もない』とか『遊ぶ場所もない』とか言うんですよ。県外の人から出身地を聞かれて、『福山市です』って言える人もそんなに多くない。でも誇れるものがない土地ほど、Jクラブを作るのには立地として最高ですよね? まさに、そこにピンと来たわけですよ。広島第2のJクラブを作るのに、福山ほどふさわしい土地は他にない。あるなら逆に教えてほしいくらいです(笑)」

福山シティFC、もう一人の主人公とは?

 そう語るのは、福山シティFC代表の岡本佳大、平成元年生まれの31歳である。彼こそが、私が言うところの「知恵者」。人口が47万人もあって、新幹線のぞみが停車して、それなりに観光資源もあり、独自の商圏と文化を有し、サンフレッチェやカープの熱からは遠い。「むしろなぜ、今まで福山にJリーグクラブが生まれなかったのか。そっちのほうが不思議でしたね」と若き代表は力説する。

 その続きを聞く前に、本稿のもうひとりの主人公にも登場してもらおう。

「出身は、岡山県の倉敷です。地元の理学療法士の学校を出て、2006年から千葉県の勝浦市でスポーツ整形外科の仕事を始めました。そこで3年働いてから横浜に移って、川崎フロンターレの下部組織のメディカルも担当していました。もともとJクラブのトレーナーになるのが夢で、3年間フルコミットすれば何とかなると思っていたんですね。そうしたら、たまたまファジアーノ岡山からお声がけいただいて、地元のクラブだったので二つ返事でしたね。それが2011年のことです」

 クラブの副代表である樋口敦は、自らのキャリアのスタートについて、このように振り返る。岡本よりも6歳上の37歳。容貌も対照的で、全体にシュッとした感じの代表に対し、副代表は分厚い胸板と日焼けした太い二の腕が印象的だ。

(文:宇都宮徹壱)