「ドイツではまずボールを前に運ばなければいけない」

 昨シーズン、川崎フロンターレがJリーグを独走したのは記憶に新しい。3/8発売『フットボール批評issue31』から、ドイツ・ブンデスリーガの名門シュトゥットガルトでコーチ経験のある河岸貴が、Jリーグの弱点を浮き彫りにし、「川崎フロンターレ対策」を徹底的にあぶりだした記事を発売に先駆けて一部抜粋して前後編で公開する。今回は後編。(構成:石沢鉄平)

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――その根本には風間八宏前監督が教え込んだ「止めて蹴る」があるとよく言われます。フロンターレの選手は基礎技術が高いのでしょうか。

「確かにテクニカルな選手は多いといった印象です。日本の土俵では技術はあるほうだとは思います。ただ、そもそも日本とドイツではテクニックの定義が違います。『蹴る』はわかりますが、ドイツでは風間さんが仰るような『止める』、足元にピタッと止めるケースはあまりありません。

 Jリーグでは『止める』でいいのでしょうけれど、ドイツではまずボールを前に運ばなければいけない。要するに『止める』と『運ぶ』の違いかもしれませんが、『止める』という表現はやっぱり違うんですよ。基礎技術の定義、それもディテールを突き詰めていかないと、日本のサッカーはよくなっていかないでしょうね」

――鬼木達監督の手腕に関してはどうでしょうか。

「みなさん、鬼木監督を過小評価しすぎだと思います。フロンターレの礎は風間さんが作ったと言われていますが、鬼木さんも絶対に褒められてしかるべきで、Jリーグでは名将と言っていいでしょう。応援がなかった昨年は監督の声がよくマイクに拾われていたので僕としては面白かったんですが、鬼木さんの指示はかなり的確でした。

 例えば[4-3-3]の3ラインを意識させるコーチング。さらに、息が上がる60分以降に三笘薫選手を投入するなど選手交代も効果的でした。同じ指導者目線からも『うん、そうだよな』という場面が多かった。

 僕がシュトゥットガルトの育成組織にいた時代、フロンターレU-12に帯同させてもらったことがあって、選手に交じって鬼木さん(当時フロンターレU─12コーチ)と練習中の試合で対戦したことがあります。僕が選手たちに『プレッシング、プレッシング』と指示をすると、相手チームの鬼木さんは『落ち着いてボールを回せ』と叫んでいたのは今も忘れもしません」

――では、鬼木監督のマネジメントの部分ではどう評価されますか。

「Jリーグの最終節に左SBの登里享平選手がケガをしてしまい、天皇杯の準決勝、決勝こそバックラインを固定できませんでしたが、前の選手はシーズン中からうまくミックスして、固定せずにやれていました。あとは三笘選手の使い方、フルタイムで出させないとか、シーズンを通して選手交代のプランをしっかり持っていた印象です。コロナ禍の中での長期戦でこれは大正解でしょう。鬼木さんの力量が全面に出たシーズンだったと言えます」

『中村憲剛を見た時に、現役を辞めようと思った』

――中村憲剛選手の引退試合(天皇杯決勝)で、彼をピッチに出さなかった点については。

「いかにも鬼木さんらしいな、と。僕が監督だったとしても同じ選択をしたと思います。5、6点入っていたとしたら別でしたが、後半になってガンバ大阪が盛り返してきたあのシチュエーションで投入するのは難しかった。それで出された中村選手もうれしくなかったでしょう。

 確か焼き肉屋だったかな、鬼木さんが『中村憲剛を見た時に、現役を辞めようと思った』と言っていたことを何となく覚えています。僕は『そんなことないでしょ?』と思いましたけど、鬼木さんに引導を渡したのは中村選手だったようです。話は逸れてしまいましたが、勝負に徹するという意味では当然の采配でしょう」

(構成:石沢鉄平)

▽河岸貴(かわぎし・たかし) 1976年7月25日生まれ、石川県出身。金沢大学卒業、同大学大学院修了。ドイツ・シュトゥットガルト在住。高校の講師を経て2004年にプロサッカー選手を目指し単身ドイツへ渡り、2006年にブンデスリーガの名門シュトゥットガルトの育成指導者に。2011年1月に岡崎慎司のシュトゥットガルト移籍と同時にトップチームに昇格。2013年8月まで監督とコーチをサポートし、ドイツカップ準優勝、2回のヨーロッパリーグ出場を経験。その後、スカウトと日本のコーディネーターを歴任し、2015年6月に退団後、サッカーコンサルティング会社「KIOT CONNECTIONS」を設立。2019年12月に石川県宝達志水町で海外を目指す若手Jリーガーのキャンプ、2021年1月に同県同町でドイツサッカーに基づく指導者講習会を実施するなど、サッカー指導者として日本でも活動している。