29年目を迎えたJリーグでは、これまで様々な外国籍選手がプレーしてきた。横浜F・マリノスでも、多くの外国人選手がクラブの歴史に名を残している。今回は、横浜F・マリノスでプレーした外国籍選手の中から、所属時の得点ランキングを紹介する。※成績はJリーグ通算

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4位タイ:Jリーグ外国人通算最多得点記録保持者

マルキーニョス(ブラジル)
生年月日:1976年3月23日(45歳)
Jリーグ通算成績:78試合/34得点
在籍時期:2003, 2012-14

 2001年に東京ヴェルディに加入して日本にやってきたマルキーニョスは、2003年に期限付き移籍でマリノスに。24試合で8ゴールを挙げて、リーグ優勝に貢献した。

 しかし翌年、アン・ジョンファンの加入に伴い、マリノスを去ることに。再びマリノスに加わったのは、2012年のことだった。開幕前の負傷で出遅れたが、それでも22試合に出場して10ゴールを挙げてると、2013年は32試合で16ゴール。2年連続の2桁得点を記録した。

 長くJリーグで活躍したマルキーニョスは、マリノス以外のクラブでもゴールを量産しており、Jリーグ通算得点数は歴代6位の152得点。外国人選手としてはトップで、マリノスにとっても大きな助っ人だったことは間違いない。

4位タイ:W杯3度出場の元スペイン代表FW

フリオ・サリナス(スペイン)
生年月日:1962年9月11日(58歳)
Jリーグ通算成績:47試合/34得点
在籍時期:1997-98

 1997年にマリノスに加わったサリナスは、その年に21ゴールを記録すると、翌シーズンには13ゴールを記録。Jリーグ8試合連続弾の偉業も成し遂げた。

 サリナスはスペイン代表の有力選手だった。日本にやってくる前は、バルセロナやアトレティコ・マドリードで活躍。代表では3大会連続でワールドカップメンバーに入ったビッグネームが、キャリアの終盤にやってきたのがマリノスである。

 188cmの長身が最大の武器であるサリナスは、得点を奪うだけでなく、ポストプレーでも存在感を発揮。マリノスの攻撃を押し上げた。マリノスを離れたあとは母国スペインに戻り、アラベスで2シーズンを戦ってスパイクを脱いでいる。

3位:右足のキャノン砲でゴール量産

ラモン・メディナベージョ(アルゼンチン)
生年月日:1966年4月29日(54歳)
Jリーグ通算成績:70試合/36得点
在籍時期:1994-95

 アルゼンチン代表に呼ばれていた1994年にマリノスに加入。1年目に15ゴールを挙げると、2年目は21ゴールを記録した。

 先輩ラモン・ディアスらと強力な攻撃陣を形成したメディナベージョ。特長的だったのは、173cmと決して大きくない身長から繰り出される強烈なシュートだ。驚異の破壊力を武器に、ビスコンティらとともに1995年の初優勝に大きく貢献した。

 1994年はアメリカワールドカップが開催された年。当時アルゼンチン代表だったメディナベージョは、Jリーグのクラブに所属している状況でワールドカップに出場した数少ない選手の一人だった。

2位:Jリーグ初代得点王

ラモン・ディアス(アルゼンチン)
生年月日:1959年8月29日(61歳)
Jリーグ通算成績:75試合/52得点
在籍時期:1993-95

 アルゼンチン代表でディエゴ・マラドーナの相棒を務め、クラブレベルでも数々の成功を収めた世界的なFWが、Jリーグにやってきた。1993年に開幕したJリーグで、特に注目を集めたビッグネームの一人がラモン・ディアスだ。

 期待を集めても、それも応えることができずに帰るビッグネームは数多いる。しかし、ラモン・ディアスは「本場のサッカー」をJリーグで示した功労者だ。開幕戦のヴェルディ川崎戦で決勝点を挙げると、2試合連続ハットトリックなどの活躍もあり、28得点でJリーグ初代得点王となった。2年目も23ゴールを挙げて、Jリーグ初期のマリノスの原動力となっている。

 2年連続の20ゴール超。得点力の高さは言うまでもないが、中でも左足の精度は多くのファンを魅了した。昨年は本田圭佑(現ネフチ)が所属していてボタフォゴの監督に就任したが、健康上の都合で1試合も指揮を執ることなく退任している。

1位:ラモン・ディアスの相棒

ダビド・ビスコンティ(アルゼンチン)
生年月日:1968年9月22日(52歳)
Jリーグ通算成績:121試合/53得点
在籍時期:1993-96

 1993年にマリノスに加わった歴代最強助っ人ビスコンティは、Jリーグ1年目から攻撃的MFとして活躍。もちろん、得点力も申し分なし。1995年はリーグ得点ランキングで3位となる27得点を挙げている。

 アルゼンチン代表経験もあるビスコンティは、同じ時期に加入したラモン・ディアスのゴールを演出するのが主な仕事。同胞のエースをラストパスで輝かせた。そのラモン・ディアスが退団したあとは、ビスコンティ自らが得点を奪う姿勢がより強くなり、27ゴールの大暴れ。マリノス初優勝の立役者の一人となった。

 ビスコンティは1996年にマリノスを退団したが、2000年にアビスパ福岡で日本復帰。2002年にはサガン鳥栖でもプレーして現役を引退した。母国アルゼンチンでのキャリアよりも日本でのキャリアが長かった選手だ。