5位:12分で4得点! “童顔の殺し屋”と呼ばれた現役指揮官

長い歴史を持つマンチェスター・ユナイテッドというクラブは、これまで多くの傑出したストライカーを輩出してきた。そこで、今回は21世紀に在籍した選手を対象とした得点ランキングを紹介する。※01/02シーズン以降に在籍した選手が対象、20/21シーズンは成績に含めず、データは『transfermarkt』を参照
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FW:オーレ・グンナー・スールシャール(元ノルウェー代表)
在籍期間:1996年夏〜2007年夏
クラブ通算成績:365試合126得点
代表通算成績:67試合23得点

 現役指揮官は、選手としてもマンチェスター・ユナイテッドで活躍した。23歳のときにユナイテッドに加わり、34歳で現役引退するまで、11年間プレーした。晩年は怪我に泣かされたが、懸命なリハビリの経験は後の指導者キャリアにつながっているのかもしれない。アレックス・ファーガソン監督の下でU-23チームの監督を務め、古巣モルデの指揮官として結果を残した。解任されたジョゼ・モウリーニョ監督の後任として2018年12月にユナイテッドの暫定監督に就任すると、まもなくして正式に監督に就任している。

 最も印象的なのは98/99シーズンだろう。1-4とリードして迎えたノッティンガム・フォレスト戦で、試合終盤に投入されたスールシャールは、12分間で4得点をマーク。さらに、その3か月後には、大舞台で劇的なゴールを奪った。バイエルン・ミュンヘンとのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は、0-1のリードを許して後半ロスタイムに突入。ユナイテッドはテディー・シェリンガムのゴールで追いつくと、その2分後にスールシャールが逆転ゴールを決めた。劇的な逆転勝利でユナイテッドはトレブル(3冠)を達成。スールシャールはヒーローとなった。

 ドワイド・ヨーク、エリック・カントナら名だたるストライカーが同僚だったこともあり、スールシャールはスーパーサブとして起用されることも多かった。ときにはサイドでプレーすることもあったが、“童顔の殺し屋”という異名をつけられた男の活躍もあり、ユナイテッドはこの11年間で6度のリーグ優勝を達成している。 

4位:3度のCL得点王も、C・ロナウドとは不仲で…

FW:ルート・ファン・ニステルローイ(元オランダ代表)
在籍期間:2001年夏〜06年夏
クラブ通算成績:219試合150得点
代表通算成績:70試合35得点

 ルート・ファン・ニステルローイはUEFAチャンピオンズリーグで得点王に3度輝いた名ストライカーだった。PSV時代にエールディビジで2度の得点王に輝き、25歳のときにマンチェスター・ユナイテッドに迎え入れられた。このとき、アンディ・コールとテディー・シェリンガムはチームを去っており、ファン・ニステルローイは新たな軸として期待されている。

 成績だけで見れば文句の付け所はない。しかし、ワールドクラスへの階段を上るクリスティアーノ・ロナウドとの仲は最悪だった。トレーニング中にファン・ニステルローイは、ドリブルばかりするロナウドに向かって「サーカスにでも行ったほうがいい」と叫び、口論に発展したこともある。両者は3年間ともにプレーし、09/10シーズンにもレアルで再びチームメイトとなっている。ファン・ニステルローイは後にその時の出来事を振り返り、自身の非を認めている。

 ユナイテッドでの2年目の02/03シーズンにはティエリ・アンリを1得点上回る25ゴールで得点王に輝き、CLでは2年連続で得点王に輝いた。怪我に苦しんだ04/05シーズンを除くすべてのシーズンでリーグ戦20得点以上を記録。頭と両足のどこからでもゴールを決められる器用さがあり、ペナルティエリア外からでも精度の高いシュートを放つ、偉大なストライカーだった。

<h2>3位:マンU一筋の名手

MF:ポール・スコールズ(元イングランド代表)
在籍期間:1994年夏〜2011年夏、12年冬〜13年夏
クラブ通算成績:710試合152得点
代表通算成績:66試合14得点

 ストライカーではないポール・スコールズがこのランキングの3位に入ったことが、得点能力の高さを示している。マンチェスター・ユナイテッドのアカデミーに入り、2013年にスパイクを脱ぐまで、20年以上に渡ってこのクラブ一筋でプレー。710試合という出場試合数は、盟友ライアン・ギグスに次ぐクラブ2位の大記録である。

 ひと際小柄な身体には無尽蔵のスタミナが備わり、自陣から敵陣までの広いエリアをカバーするボックス・トゥ・ボックスのMFだった。デビュー2年目の95/96シーズンにはプレミアリーグで10得点をマークし、02/03シーズンにはキャリアハイとなる14得点を挙げている。

 長いパスを正確に通してチャンスを生み、強烈なミドルシュートでゴールを襲う。芸術的な右足のキックを持つスコールズは名手という愛称がぴったりだった。ロイ・キーンとの中盤のコンビは相性抜群で、勝ち続けたユナイテッドの象徴だった。プレミア歴代5位となる97枚のイエローカードは、スコールズが守備にも貢献してきた証。負けん気の強いセントラルMFは11度のリーグ優勝と2度の欧州制覇を経験した。

 スコールズはシャビ・エルナンデスを一緒にプレーしたかった選手に挙げている。シャビも「少しだけ後悔があるとすれば、スコールズと一緒にプレーできなかったことだ」と言っている。育ったクラブにキャリアのほとんどを捧げた両者は互いをリスペクトする関係にあったようだ。 
<h2>2位:40歳までマンU一筋、兼任監督も務めたファーガソンの愛弟子

MF:ライアン・ギグス(元ウェールズ代表)
在籍期間:1991年夏〜2014年夏
クラブ通算成績:930試合162得点
代表通算成績:64試合12得点

 1986年にアレックス・ファーガソン監督を招聘したマンチェスター・ユナイテッドは、徐々に強さを取り戻していた。プレミアリーグが開幕した92/93シーズン、ユナイテッドは26年ぶりにリーグタイトルを奪取しているが、ライアン・ギグスが台頭したのはその前のシーズンだった。

 ギグスは左サイド、中央ではポール・スコールズ、右サイドではデイビッド・ベッカム、最終ラインではネヴィル兄弟が活躍。「92年組」の彼らは「ファギー・ベイブス」と呼ばれ、のちのプレミア3連覇やトレブル(3冠)達成の原動力となった。彼らはのちに『The Class of 92』というドキュメンタリー映画になったほど、イングランドサッカー史に残る活躍だった。

 左サイドでプレーするギグスは、圧倒的なスピードと切れ味鋭いドリブルを武器にするウイングだった。右サイドから精度の高いクロスを供給するベッカムに比べると、ゴールに迫るプレーも得意としていた。年を追うごとに自慢のスピードは影を潜めたが、セントラルMFとしての境地を開拓。ファーガソン監督のコンバートは、ギグスの選手生命を延ばすことになった。

 13年夏にファーガソン監督が勇退すると、ギグスはデイビッド・モイーズ監督の下で選手兼任コーチを務めている。シーズン終盤にモイーズ監督が解任されると、選手兼任監督として指揮を執った。ハル・シティ戦では途中出場してアシストを記録したが、このシーズン限りで現役引退を決断している。公式戦通算930試合出場は、この先も破られることのない大記録である。 

1位:悪童から主将へ、唯一無二の万能フットボーラー

FW:ウェイン・ルーニー(元イングランド代表)
在籍期間:2004年夏〜17年夏
クラブ通算成績:559試合253得点
代表通算成績:120試合53得点

 1960年代に活躍したデニス・ローが持つ公式戦におけるクラブ通算得点記録を、ウェイン・ルーニーは大幅に更新した。20歳のときにマンチェスター・ユナイテッドに加入したルーニーは、デビュー戦でハットトリックを達成。アレックス・ファーガソン監督の下で数々のタイトルを獲得している。

 ルーニーは8歳か9歳のころにバイシクルシュートを決めていたという。どこからでもゴールを狙うことができるシュート力とボディバランス、そしてスピードとテクニックを兼ね備えていた。飲酒運転や不倫などピッチ外でニュースになることもしばしばあり、2006年のドイツワールドカップでは相手選手に激高して退場処分を受けている。その言動から悪童という名をつけられた。

 ただ、不名誉な異名とは対照的に、ルーニーは身を粉にしてチームのために走った。常に100%の力で戦い、ディフェンスも決して怠らない。最前線、トップ下、サイドハーフ、晩年はセントラルMFとポジションを変えたが、どのポジションでも高い能力を発揮した。14年夏にはキャプテンに就任し、15/16シーズンにはFAカップのタイトルを獲得している。どこのポジションでも違いを生むことができる、唯一無二のフットボーラーだった。