元アーセナルの天才FW

若くして才能を披露して高く評価された選手が、そのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみコンディションを落とす選手がいれば、ピッチ外での問題で活躍の場を失っていく選手も多い。今回は大きな期待を背負いながらも、大舞台から姿を消した5人の韓国人選手を紹介する。
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FW:パク・チュヨン
現所属クラブ:FCソウル

 パク・チュヨンは2005年にFCソウルに加入し新人王を獲得。同年のワールドユースに出場すると、翌年のドイツワールドカップに臨む韓国代表メンバーに選出された。同大会ではグループリーグの第3戦スイス戦で先発出場を果たした。

 2008年にフランスの名門モナコへ加入したパクはリーグアン初挑戦で31試合に出場5得点7アシストを記録。一気に主力へ駆け上がったが、2010/11シーズンにモナコは降格となる。パクは移籍を志願すると、リール移籍直前のメディカルチェックをキャンセルし、アーセナルへ電撃移籍となった。

 だが、アーセナルでポジション奪取とはいかず。2011/12シーズンのリーグ戦出場はわずか1。公式戦9試合の出場にとどまった。2012年8月にレンタルでセルタへ加入。ラ・リーガで韓国人選手初ゴールを決めるなど、21試合3得点を記録。翌シーズンにアーセナルへ復帰するも、2014年1月にワトフォードへレンタルとなった。

 2014年6月にパクは契約満了によりアーセナルを退団。欧州で輝けず、同年10月にアル・シャバブ・リヤドへ移籍し、サウジアラビアへプレーの場を移した。だが、加入後わずか4ヶ月で契約解除となり退団。2015年からはプロデビューを果たしたFCソウルでプレーしている。

 パクは五輪2度の出場を誇り、ロンドン五輪では銅メダル獲得に貢献。ワールドカップ出場は3回を誇る。若くして期待され、アーセナルも認めた才能だが、今のソン・フンミンのように欧州で輝けたかと言えばそうではない。期待が大きかっただけに、それだけ落胆も大きかった。

ロンドン五輪で銅メダル獲得に貢献した長身FW

FW:キム・ヒョンソン
現所属クラブ:城南FC

 FCソウル下部組織出身のキム・ヒョンソンは2009年にトップチーム昇格。だが、翌年に大邱FCへレンタル移籍。2012年8月には清水エスパルスへレンタル移籍となり、Jリーグでもプレーした。

 清水に途中加入となったキムであったが、後半戦のほとんどの試合に出場。いきなり清水で主力に定着し、2012年のJリーグで12試合に出場3得点1アシストを記録した。2013年からはFCソウルへ復帰している。

 キムは2016年、プロデビューを果たしたFCソウルを離れ、釜山アイパークへ完全移籍。2019年からは城南FCでプレーしている。186cmの長身を活かしたポストプレーやセットプレーで強さを発揮していた。

 ロンドン五輪に出場したキムは3位決定戦の日本代表戦にも出場。韓国代表の銅メダル獲得に貢献したが、A代表での出場はなし。Kリーグで期待された大型FWは欧州の舞台へ行けず。A代表でもプレーできていない。

日本戦で政治的メッセージ。A代表では鳴かず飛ばずのMF

MF:パク・チョンウ
現所属クラブ:釜山アイパーク

 パク・チョンウはU-23韓国代表としてロンドン五輪に出場。6試合中5試合に出場し、韓国の銅メダル獲得に貢献した。だが、日本と対戦した3位決定戦の試合後の行動が問題となった。

 パクは日本戦の後、上半身裸になり国旗の太極旗とともに「独島(竹島)は我々の領土」と韓国語のメッセージを掲げた。国際オリンピック委員会(IOC)と国際サッカー連盟(FIFA)は調査に乗り出し、パクは表彰式に出席せず。結局、パクは国際Aマッチ2試合の出場停止と罰金処分となった。

 釜山アイパークでプロデビューを果たしたパクは2014年に中国・スーパーリーグの広州富力(現広州城)に移籍。翌年にUAEのアル・ジャジーラへ移籍すると、加入初年度から活躍し1年目は30試合に出場。AFCチャンピオンズリーグ(CL)でもプレーした。現在はプロデビューを果たした釜山アイパークでプレーしている。

 ロンドン五輪後の2012年10月、パクはイラン代表とのワールドカップアジア予選でA代表デビューを果たす。その後もA代表でキャップ数を重ねていったが、完全には定着せず。A代表では目立たなくなった。2017年10月の親善試合で3年ぶりに代表復帰するも、それ以降代表ではプレーしていない。

”リトルマラドーナ”と呼ばれた男

FW:チェ・ソングク
現所属クラブ:なし

 2004年に行われたアテネ五輪の韓国代表で10番を背負ったチェ・ソングクは、かつて”リトルマラドーナ”と呼ばれ、将来を期待されていた。卓越された技術によるドルブルが武器でこの世代の韓国代表の中でも群を抜いていたという。

 そんなソングクは2003年に蔚山現代に入団。2005年に柏レイソルへレンタル移籍。だが、出場わずか8試合に終わり、半年で蔚山に復帰となってしまった。ソングクは2007年に城南一和に移籍し、同年10月に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝浦和レッズ戦の2ndレグで同点ゴールを決めるが、PK戦で失敗。結局、ソングクが唯一のPK失敗者となり、チームは準決勝敗退となった。

 2011年10月、ソングクは大韓サッカー協会(KFA)から八百長関与したとして永久追放処分を言い渡される。さらに、懲役10ヶ月、200時間の社会奉仕活動を科された。

 それでも、2012年にマケドニアのラボトニツキと契約。だが国際サッカー連盟(FIFA)により、全世界のプロリーグでのプレーを禁止され、事実上の永久追放。そのため、同クラブを退団することになった。2013年12月には飲酒運転の疑いで逮捕されたと報じられた。アテネで背番号10を背負った逸材だったが、八百長に関与しFIFAからも見放されてしまった。

日本キラーと呼ばれたイケメンKリーガー

MF:ペク・チフン
現所属クラブ:なし

 高校時代から数々のタイトルを獲得してきたペク・チフンは2003年に全南ドラゴンズへ入団。その後、2005年にFCソウルへ移籍。翌年には水原三星ブルーウィングスへ移籍し、ここで長らくプレーすることになる。

 2012年に蔚山現代、2014年に金泉尚武へレンタルしたペクは水原と蔚山でAFCチャンピオンズリーグ(ACL)に出場。幾度となくJリーグ勢と対戦してきた。

 各年代別の韓国代表に選出されていたペクは21歳の時に2006年のドイツワールドカップメンバーに名を連ねるが、出番なしに終わった。韓国代表では日本代表戦で強さを発揮するため、ペクは”日本キラー”とも称されている。だが、2010年8月のナイジェリア戦以降は代表でプレーしていない。

 端正な顔立ちからイケメンKリーガーとしても韓国国内では有名だったペク。ワールドカップに出場するも、その後は鳴かず飛ばず。若くして期待されていただけに残念逸材となってしまった。