「選手人生の集大成」だったはずが…

FIFAワールドカップにはこれまで数多くの選手が出場してきた。しかし、4年に1度の大舞台で輝きを放つことができる者はほんの一握り。世界の誰もが知る選手でさえ苦労を強いられてしまうことが珍しくない。今回は2010年に開催された南アフリカワールドカップで、期待されながらも残念ながら活躍できなかった名手を5人紹介する。

MF:中村俊輔(元日本代表)
生年月日:1978年6月24日
南アフリカワールドカップ:1試合0得点0アシスト

 2006年のドイツワールドカップで中田英寿が引退して以降、イビチャ・オシム、岡田武史両監督の下で絶対的な選手として起用されていた中村俊輔。しかし、09年夏に加入したエスパニョールで絶不調に陥っていたことや、ワールドカップ直前の強化試合で4連敗を喫したことで、岡田監督は中村を外す大幅な戦術変更を決断した。

 それまで絶対的な主力として起用していた中村俊輔、岡崎慎司らをスタメンから外し、本田圭佑と松井大輔を先発に抜擢した。中村自身は南アフリカワールドカップを「選手人生の集大成」と強い意気込みを持っていたが、結果的にグループスリーグ第2戦オランダ戦の途中出場1試合のみに留まった。

 初戦のカメルーン戦では、先発に抜擢された松井のアシストから本田がゴールを決めるなど岡田監督の戦術変更は的中し、日本代表は2大会ぶりとなる決勝トーナメントに進出した。だが、これまで日本代表の背番号「10」としてチームを牽引していた中村は、ピッチ内でその躍進に絡むことができず、ワールドカップ終了後に日本代表からの引退を表明した。

2大会連続で活躍できなかったのは…

FW:ウェイン・ルーニー(元イングランド代表)
生年月日:1985年10月24日
南アフリカワールドカップ:4試合0得点0アシスト

 自身初となるワールドカップ出場だった2006年のドイツ大会、1ゴールにも絡めないまま準々決勝ポルトガル戦でリカルド・カルバーリョの股間を踏みつけて退場し、イングランド代表も敗退という最悪の幕切れで大会を去ることになったウェイン・ルーニー。だが、2010年大会に向けた欧州予選では9試合で9ゴール5アシストと大車輪の活躍でイングランド代表をワールドカップ出場に導いた。

 また、2009/10シーズンはプレミアリーグで当時のキャリアハイである26ゴールを挙げており、代表での背番号も10を着用するなど、国民から大きな期待を寄せられていた。だが、ルーニーはまたも国民の期待を裏切ってしまう結果に終わる。グループリーグ3試合、決勝トーナメント1回戦の計4試合で1ゴールにも絡むことができなかったのだ。

 2大会連続でFWとしては痛恨すぎる成績に終わったルーニー。2010年大会、イングランド代表は4試合でわずか3ゴールと深刻な得点力不足に陥っており、エースのルーニーがゴールに絡めなかった責任は大きかった。

ジダンの後継者だったが…

MF:ヨアン・グルキュフ(元フランス代表)
生年月日:1986年7月11日
南アフリカワールドカップ:2試合0得点0アシスト

 2006年のドイツワールドカップを最後に現役引退したジネディーヌ・ジダンの後継者として期待されていたヨアン・グルキュフ。ボルドーをリーグ優勝に導いた2008/09シーズンはリーグ・アン年間最優秀選手賞を受賞、続く2009/10シーズンもリーグ・アンのベストイレブンに選出されるなど大きな期待を背負って南アフリカワールドカップに臨んだ。

 だが、大会期間中にフランク・リベリら年長の選手から”いじめ”に合ったという内容の記事がメディアで報じられ、ピッチ外で様々な憶測が流れた。また、プレー面でも上手くいかずグループリーグ第3戦、南アフリカ戦では先発に名を連ねたが、26分にレッドカードの処分を受け一発退場に。アネルカ追放の事件をきっかけに完全崩壊していたフランス代表のグループリーグでの敗退が決まった。

 南アフリカワールドカップ後にグルキュフはリヨンへと移籍したが、ボルドー時代の輝きを披露することができず、その後のキャリアは下降傾向に。2012年のユーロ(欧州選手権)、2014年のブラジルワールドカップの代表メンバーからも落選しており、南アフリカワールドカップが最後の国際大会出場となった。

開幕直前に”まさか”の負傷で…

MF:アンドレア・ピルロ(元イタリア代表)
生年月日:1979年5月19日
南アフリカワールドカップ:1試合0得点0アシスト

 2006年のドイツワールドカップで優勝を果たしたイタリア代表。アンドレア・ピルロは中盤の要として7試合に先発出場し、準決勝、決勝でアシストを記録する大活躍みせた。大会を通じて1ゴール4アシストという好成績を収め、同大会で3番目に活躍した選手に贈られるブロンズボール賞を受賞した。

 2006年大会以降も好調を維持し、イタリア代表の絶対的な選手として中盤に君臨していたピルロ。当然、2010年の南アフリカ大会もメンバー入りを果たしたが、開幕2週間前の強化試合メキシコ戦でふくらはぎを負傷。代表チームから離脱することはなかったが、開幕2試合の欠場を余儀なくされた。

 ピルロの代わりにはリッカルド・モントリーボが先発に抜擢されたが、その穴は埋めきることができず。パラグアイ、ニュージーランドと格下相手にそれぞれ1-1の引き分けに終わった。グループリーグ第3戦スロバキア戦では1点ビハインドとなった展開で、ピルロが56分から強行出場。だが、試合には敗戦し、前回大会王者がまさかのグループリーグ敗退という屈辱を味わった。イタリア代表にとって、開幕直前のピルロの負傷はあまりにも痛恨だった。

監督と揉めて追放処分となったのは…

FW:ニコラ・アネルカ(元フランス代表)
生年月日:1979年3月14日
南アフリカワールドカップ:2試合0得点0アシスト

 02年にシドニー・ゴブに代わる追加招集を拒否したことでフランス代表から遠ざかっていたニコラ・アネルカだが、06年夏に加入したボルトンで得点を量産すると代表に復帰した。チェルシーに所属していた2008/09シーズンはプレミアリーグ得点王のタイトルを獲得し、2010年には自身初となるワールドカップの代表メンバーに選出された。

 しかし、ワールドカップの歴史に残る事件が第2戦メキシコ戦をきっかけに起きてしまう。2試合連続で先発出場を飾ったアネルカだが、無得点に終わったハーフタイムに監督のレイモン・ドメネクと口論に。暴言を吐いたとされ、ハーフタイムでの交代を命じられると、同時にフランス代表から追放された。アネルカは同大会終了後に代表引退を表明した。

 後半に2点を決められメキシコに0-2の敗戦を喫したフランス代表。もとよりドメネク監督は大会前より求心力を失っており、ダビド・トレゼゲやフィリップ・メクセスらは彼との確執がきっかけで代表を引退していた。アネルカの代表追放に反発した選手たちは、第3戦南アフリカ戦を前に練習をボイコット。最終的にはニコラ・サルコジ大統領(当時)が事態の収集を命じる事件までに発展した。完全に崩壊したフランス代表は、1勝も挙げられないままグループリーグで大会を去ったのだった。