かつての輝きはどこへ…

 サッカー選手は常に怪我と隣り合わせだ。1つの怪我でキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大怪我を負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は怪我と戦いながらサッカー選手としてのキャリアを歩む"ガラスの天才"5人を紹介する。

————————————

MF:フィリペ・コウチーニョ(ブラジル代表/バルセロナ)
生年月日:1992年6月12日
ブラジル代表:64試合18得点11アシスト

 次世代のブラジル代表を背負うと期待された天才、フィリペ・コウチーニョはこれまで怪我に悩まされ続けてきた。18歳で移籍を果たしたインテルでは、加入した10/11シーズンに膝を負傷。約2ヵ月の離脱を強いられると、翌シーズンには脛骨高原骨折を負っている。それでも、インテルの未来とまで言われたこのMFは、2012年にリバプールに引き抜かれた。

 すると、10番を託されたコウチーニョは覚醒する。毎シーズン負傷による離脱はあったが、華麗なテクニックを活かした鋭いドリブルと強烈なミドルシュートを武器に、プレミアリーグを無双。低迷していたリバプールを牽引し、復活へ導いた。イングランドで世界最高峰の選手に成長したこのMFは、その後2018年に高額な移籍金でバルセロナに移籍したが…。

 レンタル移籍に出されたバイエルン・ミュンヘンでは、シーズン終盤に足首を負傷。翌シーズンにはバルセロナに復帰するも、左膝外側半月板を損傷し、2021年1月以降すべての公式戦を欠場することになってしまった。度重なる怪我によりかつての輝きを失った天才は、先月クラブに復帰したレジェンド、シャビ・エルナンデスの下で復活を果たすことが出来るだろうか。

ブラジルが生んだ小さな天才

MF:ジュニーニョ・パウリスタ(元ブラジル代表)
生年月日:1973年2月22日
ブラジル代表:50試合4得点2アシスト

 ブラジルが生んだ小さな天才、ジュニーニョ・パウリスタも怪我に苦しんだ選手の1人だ。1995年にブラジル代表デビューを果たしたパウリスタは、同年に行われたコパ・アメリカ1995ではセレソンの新10番として全試合に出場。チームを決勝に導く活躍を見せると、大会後にミドルスブラへ移籍を果たした。

 2年目の96/97シーズン、ミドルスブラは降格したにも関わらず、このMFはプレミアリーグ年間最優秀選手賞を受賞。その名を欧州に轟かせ、1998年に行われるフランスW杯出場も確実とされていた。しかし、1998年2月に左足首靱帯断裂。この負傷によりW杯を棒に振ると、その後はブラジル代表からも遠ざかっていった。

 靭帯断裂後、低調なパフォーマンスが続いたパウリスタだが、2000年にヴァスコ・ダ・ガマに移籍すると復活。代表にも復帰を果たすと、日韓W杯では優勝に貢献した。だが、その後も度重なる怪我に苦しまられたこのMFは、2010年に引退。怪我無くキャリアを歩むことが出来ていれば、この天才はより多くの名声を得られていただろう。

世界最高峰の選手となるはずが…

FW:アレシャンドレ・パト(元ブラジル代表/オーランド・シティ)
生年月日:1989年9月2日
ブラジル代表:27試合10得点2アシスト

 2006年、アレシャンドレ・パトは日本で開催されたクラブW杯に出場。17歳でこの大会に出場したパトは、肩ドリブルなどの華麗なプレーでサッカーファンを魅了し、優勝に貢献している。世代別代表でも活躍したパトは、翌年 ACミランに加入。背番号7を与えられ、08/09シーズンのセリエA年間最優秀若手選手賞を受賞した。

 一気にスター街道を駆け上がり、世界中から注目を浴びたパトだが、7年ぶりのスクデット(セリエA優勝)を獲得した10/11シーズンは筋肉系のトラブルにより負傷離脱。翌シーズンも同様の負傷により戦線離脱を余儀なくされると、その後は負傷と復帰を繰り返し、ほとんど試合に出られないまま2013年にACミランを退団している。

 ACミランを退団後は母国に帰還したが、2015年にチェルシーへ加入。欧州リーグ復帰を果たしたが、かつての輝きは戻ることなく、わずか3ヵ月で退団している。一時は復調の兆しも見えたが、今年2月に加入したオークランド・シティでは膝を負傷。再起を目指した矢先に再び長期離脱を強いられた。怪我癖が無く、活躍できていれば間違いなく世界最高峰の選手となっていた逸材は、現在も怪我と戦い続けている。

ブラジルの10番を受け継ぐ男

FW:ネイマール(ブラジル代表/パリ・サンジェルマン)
生年月日:1992年2月5日
ブラジル代表:116試合70得点52アシスト

 世界最高峰の選手の1人、ネイマールはそのプレースタイル故か、これまで幾度も怪我に悩まされてきた。サントスで脚光を浴び、2013年にバルセロナへ移籍を果たすも、同年に2度の負傷離脱。2014年に初出場した南アフリカW杯では、コロンビア代表との準々決勝で後方から悪質なファールを受け、脊椎骨折を負っている。

 長期離脱から復帰したネイマールは、これまでと変わらぬ活躍を見せ、数々のタイトルを獲得した。復活を果たしが、パリ・サンジェルマン(PSG)に移籍した2017年には右足首を骨折。2019年に再び足首を骨折すると、コパ・アメリカ直前には足首の靭帯断裂と、立て続けに負傷を負い、コパ・アメリカ2019を欠場することになってしまった。

 その後も捻挫や筋肉系のトラブルにより、負傷を繰り返したネイマールは、先月末のリーグ戦で左足首の引退を負傷。またしても戦線離脱を余儀なくされている。だが、度重なる怪我にも屈せず、ネイマールは世界最高峰の選手となった。怪我と共にキャリアを歩むこの男は、そのボロボロの体で世界中のファンを魅了し続けている。

”フェノーメノ”と評されたストライカー

FW:ロナウド(元ブラジル代表)
生年月日:1976年9月22日
ブラジル代表:98試合62得点17アシスト

 ”フェノーメノ”と評されたロナウドは代表やクラブで得点を量産。ブラジル歴代最高のストライカーと呼ばれるまでに成長したが、そのキャリアは輝かしいものばかりではない。1994年にPSVへ移籍したロナウドは、1年目からリーグ戦33試合30得点を記録し、欧州リーグ初挑戦で得点王となる活躍を見せた。しかし、翌シーズンに膝を負傷。13試合12得点を得点を量産していたが、シーズン後半戦を棒に振ってしまった。

 翌年移籍したバルセロナでも得点王に輝き、復活を果たしたロナウドだが、その後に移籍したインテルでは99/00シーズンに再び膝を負傷。この負傷により、00/01シーズンは公式戦全試合を欠場することとなった。01/02シーズンに復帰を果たしたが、ハムストリングの負傷により、またしてもシーズンのほとんどを欠場している。

 約2年間怪我に苦しめられたが、直後の日韓W杯で復活。ブラジルを優勝に導き、大会後にレアル・マドリードへ移籍すると、3シーズン連続で20点越えを記録した。しかし、05/06シーズン以降は再び負傷と復帰を繰り返す日々。ACミランやコリンチャンスに移籍するも、古傷の再発など度重なる怪我により、本来のパフォーマンスを取り戻すことは出来ず、2011年に引退を決断している。膝の古傷による再三の離脱がなければ、この怪物はより多くのゴールを決め、様々な記録を塗り替えていただろう。