●サッカー日本代表、ワールドカップ背番号6~10の系譜(1)

 サッカー日本代表は、初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて、カタールW杯で7大会連続の出場となる。背番号6~10を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍をみせたのか。今回は過去6大会で6~10を背負った日本代表選手たちを紹介する。※所属チーム、年齢は大会時点のもの。

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背番号6

フランスW杯:山口素弘(横浜フリューゲルス)
1969年1月29日(29歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

日韓W杯:服部年宏(ジュビロ磐田)
生年月日:1973年9月23日(28歳)
個人成績:1試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16

ドイツW杯:中田浩二(マルセイユ)
生年月日:1979年7月9日(26歳)
個人成績:1試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

南アフリカW杯:内田篤人(鹿島アントラーズ)
生年月日:1988年3月27日(22歳)
個人成績:出場なし
戦績:ベスト16

ブラジルW杯:森重真人(FC東京)
生年月日:1987年5月21日(27歳)
個人成績:1試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

ロシアW杯:遠藤航(浦和レッズ)
生年月日:1993年2月9日(25歳)
個人成績:出場なし
戦績:ベスト16

 当時のJリーグを代表するボランチ、山口素弘はフランスW杯アジア最終予選で主力としてプレー。日本の初出場となった本大会では名波浩、中田英寿と中盤のトライアングルを形成してグループステージ3試合全てにフル出場したが、日本代表は3連敗でフランスを去ることとなった。

 同大会後、背番号6を継承したのは服部年宏だ。1996年のアトランタ五輪で「マイアミの奇跡」の立役者となったこの男は、山口と共にフランスW杯に臨んだが出番は回ってこず。同大会後はトルシエジャパンに選出されが、中田浩二ら黄金世代の台頭により2度目の大舞台で出場したのはロシア代表戦の15分に終わり、同大会後に中田が6番を受け継いだ。

 中田は、2003年8月に左膝靭帯断裂の大怪我を負い長期離脱を余儀なくされた。ジーコ率いる日本代表からも遠ざかったが、2004年7月に代表復帰すると同月のアジアカップに出場。ボランチを務めて準決勝では先制点、決勝では勝ち越しゴールを決めて日本の大会連覇に貢献している。しかし、ドイツW杯でジーコ監督はボランチに中田英寿と福西崇史を起用。2大会連続出場となった中田浩二は、ブラジル代表戦での34分間のプレーに留まった。

 2大会連続の決勝トーナメント進出を逃した日本代表は、大会後にイビチャ・オシム監督を招聘。すると、同監督は当時19歳の内田篤人を代表に抜擢した。後任となった岡田武史監督の下で右サイドバックに定着した内田は、南アフリカW杯でも先発すると思われていた。だが、本大会直前に左太ももを負傷してしまい、直前の合宿から控えに。本大会では駒野友一が先発することになり、内田は出場機会なしという悔しい結果に終わってしまった。

 その後も内田は背番号6を着用していたが、2013年8月のウルグアイ代表戦から2番に変更。これにより、森重真人が6番を付けることになった。同選手はブラジルW杯初戦のコートジボワール代表戦に先発出場したが、日本代表はまさかの逆転負け。失点に関与した森重は第2節以降は出番が回ってこなかった。ブラジルW杯後も森重は日本代表に名を連ねたが、ロシアW杯のメンバー入りは叶わず、背番号6は遠藤航が着用したがこの男に出番はなかった。